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正論8月号 野口健手記「英霊に愧じぬ遺骨収集の道を求めて」

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2010/08/01

正論8月号 野口健手記「英霊に愧じぬ遺骨収集の道を求めて」

正論8月号に野口健の手記が掲載されました。以下、全文です。

「英霊に愧じぬ遺骨収集の道を求めて」 
アルピニスト野口健


遺骨を発見

なぜ、遺骨収集を始めたのか

「生きていて申し訳ない」―。
かつて祖父が、幼かった私に繰り返し語った言葉だ。祖父は職業軍人であり、ビルマ作戦に参謀として加わっていた。終戦により捕虜となり生還を果たしたが、その心は、ビルマに眠る兵士のもとに残しているかのようだった。
 
「おじいちゃんは生きて帰ってきたけれど、部下の大半が死んでしまった。ほとんどが餓死か病死だった。イギリス軍に追われてね。ジャングルの中を食料もなくひたすら逃げるんだ。まともに食べていないから体力のない兵士は歩けなくなる。最後は自決用の手榴弾を渡さなければならなくて…。自分の兵士を死なさなければならない。それが一番辛かった」

 「洞窟の中に潜んでいた時、兵士の一人がシクシクと泣いているんだ。『どうしたんだ』と聞くと、彼は悲しそうな目で自分の足を見ているだけだった。その足は、傷口が化膿しウジ虫だらけだった。そのウジ虫を払う余力も残されていない兵士は、自分の足を食べているウジ虫を、涙を流しながら、悲しそうに眺めているんだ。その数日後、彼は静かに息を引きとった。私は何もしてやれなかった。水も食料も医薬品も何もなかったから」 

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 洞窟内で旧日本兵の御遺骨を見つける

  幼い頃、この話を何度聞かされたことだろう。話し終えて、「生きていて申し訳ない」とうつむく祖父の横顔を、今も鮮明に覚えている。
 
 それから数年後、父の仕事の関係でエジプトで過ごしていた私は、家族旅行で国境付近のエルアラメーンに出かけた。小学校高学年の頃だ。砂漠の中を車で走っていると、突然、塔のようにも見える建物が現れた。英軍の無名戦士の墓だった.
 英軍と独軍の戦車部隊が激しく戦ったエルアラメーン。ロンメル将軍に率いられ、カイロを目指して怒濤の進撃を続ける独軍に対し、スエズ運河を失ってはならないと英軍は必死に戦った。その時の犠牲者が眠る無名戦士の墓。私は小学生ながら、こんな砂漠のど真ん中に突然現れる建物の存在に驚き、その建物の管理が行き届いていることに二重に驚いた。歴史の事はよく分からなかったが、それでも「戦争で亡くなった人たちを大事にしている」という事だけは伝わってきた。

 さらに数十年の時が経ち、私は登山家の道を歩んだ。エベレスト挑戦が続けば、絶えず意識せざるを得ないのが死の世界だ。今年で36歳になるが、すでに、その年の数を上回る仲間を失っている。死を感じれば感じるほど強まる生に対する執着心。死は決して美しいものではなく、朽ち果てていく肉体は、直視出来るものではない。
 死んでいく者も苦しいが、何も出来ずに見送る者の苦しみもある。私は二度、エベレストの頂に立ちはしたが、その二度とも下山中に仲間を失い、置き去りにしなければならなかった。冒険は自己責任であり、遭難する側の責任であると言ってしまえばそれまでだろうが、私にとっては、生涯消えない十字架である。
 
 登山活動を続けるうち、改めて祖父の話が思い出され、身近に感じるようになっていた。
 2005年、私はヒマラヤで悪天候に閉じ込められ、テントの中で無我夢中に遺書を書いていた。死への心の準備はいつでも孤独なもの。そんな時、ふと頭を過ぎったが戦場で亡くなっていった兵士たちだ。彼らは薄れゆく意識の中で、最後に何を思っただろう。きっと日本に、祖国に帰りたかったに違いない。私は自身の判断でヒマラヤにいるが、彼らは国家の命令で戦地に赴いた。そしてその遺骨は、今も戦地の土中にある。さぞかし無念であっただろう。そうだ、もしも無事にこのヒマラヤから生還できたら、遺骨収集を行おう。私は、そう心に誓った。

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 遺留品の手榴弾とともに見つかった御遺骨

なぜ、空援隊だったのか
 
 あれから3年、遺骨収集に取り組む私は、さまざまな批判にさらされた。「お前はあの戦争を美化するのか」「日本兵は侵略者ではないか」「アジア諸国への戦後補償が先だ」…

 遺骨収集に対し、色眼鏡をつけて見る人が未だに少なくない。私は小中学校などで環境問題や冒険をテーマに講演する際、最後に10分ほど遺骨収集について話す事が多いが、先生方の中には、不愉快そうな表情を露骨に示す人も少なくない。ある学校では講演後に、校長先生から「野口さん、あの戦争の話は余計でしたな」とも言われた。 
 だが、色眼鏡をかけていない子供たちの反応は、全く異なる。想定していなかったストーリ展開に驚き、どの話よりも真剣に、吸いつくように聞いてくれる。その後の質問も、遺骨収集に関するものが圧倒的に多い。
 岡山県のある小学校での出来事を、私は生涯忘れないだろう。全校児童を代表して一人の6年生が、こんな挨拶をしてくれた。「野口健さん、兵隊さんのために遺骨収集してくださりありがとうございます」と。私は、涙を堪えるのに必死だった。

 2008年、私は京都にあるNPO法人「空援隊」に入会した。 遺骨収集の活動の母体がなかなか見つからず、やきもきしていた時、空援隊の倉田宇山氏から「一緒に現場に行きませんか」とメールをいただいたのが、入会のきっかけだった。

 当時の厚生省は、「遺骨収集事業はあくまでも国家事業であり政府派遣団でないと収集はできない」という立場で、空援隊は「遺骨調査活動」しか出来なかった。それでもセブ島、レイテ島、ボホール島などに独自調査で入り込み、多くの遺骨をジャングルの中で発見していた。

 空援隊の特色は、現地での情報収集活動にある。日本国内の情報のみでは限界があるため、セブ島に現地事務所を建て、現地人を雇用し当時日本兵と戦ったフィリピンゲリラの生存者や村人からの証言を集めた。そして、「私はあそこで日本兵と戦った」との情報が入ればその現場に駆け付けた。
 もちろん、空振りに終わったことも数知れない。ある時は情報提供者に案内され、苦労して現場にたどり着いてみると、そこには子供サイズの小さな頭蓋骨が一つポツンと置いてあるだけ。明らかに日本兵の遺骨ではなく、現地人によって用意された骨であった。情報提供料や案内人の日当など、金銭目的であったのだろう。倉田宇山氏は「これは明らかに違う! 山から降りるぞ!」と声を荒げた。案内したフィリピン人に、「俺らは簡単には騙されんぞ」と、強く意志表示していたのだ。

 厚生省からようやく許可が出て、遺骨調査活動だけでなく遺骨収集活動が出来るようになっても、苦労は絶えなかった。日本兵の遺骨であっても勝手に持ち帰ってはならず、フィリピン側からの許可が必要だったからだ。遺骨を発見し地元の村や町などの行政に許可申請すれば、村長あたりから「今度選挙がある。金が必要だ」などと、公然と賄賂を要求されることがよくあった。

 今年3月、私たちはフィリピンのパラワン諸島で遺骨収集活動を行っていた。150体ほどの遺骨を確認したが、例の如く村長、町長らが賄賂を要求してくる。もちろん、そんな賄賂を払えばきりがなくなる。結局、発見したものの一体も持って帰れずに無念の帰国。しかし、本当に辛かったのは、灼熱の現場での捜索活動中に、日本の週刊誌に掲載された空援隊への批判記事だった。

 
なぜ、実績が好転したのか

 「フィリピン人の骨が千鳥ヶ淵に埋められる?!」「『遺骨収集事業』に戦没者遺族が重大懸念」――。週刊文春3月18日号に踊った見出しだ。まるで空援隊が、フィリピン人の墓を掘り起こして骨を集めているかのような内容。その根拠として、?軍が行動していない場所から遺骨を発見している ?空援隊が関わってから遺骨収集の実績が急激に好転した ?遺骨鑑定が厳密でなくなった――ことなどを挙げていた。

 だが、戦友会関係者によれば、戦争末期は部隊が組織的な機能を果たせなくなり、多くの兵士が周辺の島やジャングルに逃れ、他の部隊の兵士と離合集散しながらフィリピンゲリラなどと戦闘を繰り返していたという。つまり、部隊が配置されていなかった場所でも、いたるところでゲリラ的な戦闘が行われていたのであって、記録がないからと言って日本兵の遺骨もないはずだとは断言できない。

 また、空援隊が関わるようになってから急激に収集される遺骨が増えたことに対する疑問だが、その理由の一つは、収集システムが変わったからだろう。6年ほど前、フィリピンの大学教授による「鑑定人制度」が導入された。遺骨の骨格などから「日本人であるか否かを科学的な根拠で検証する」というのだが、バラバラに砕けてしまった遺骨を鑑定するには限界がある。日本兵の遺留品があっても、鑑定人に「判定不能」とされれば、せっかく収集した遺骨を帰すことができない。そんな悔しい経験を何度も繰り返してきた。

 そこで昨年、鑑定人制度が見直され、厚生労働省によって新制度が導入された。現地住民の情報、土地所有者の証言、地域の行政府長の了解を得ていることを「公正証書」にし、フィリピン国立博物館の鑑定を得た上で「日本兵の遺骨である」という証明書が発行される。つまり、最終的にはフィリピンの大統領府が「これらは日本兵の遺骨だ」と正式に認めた遺骨に限り、政府派遣団が日本に持ち帰っているのであって、空援隊が勝手に「日本兵の遺骨」と決めつけたり、遺骨を持ち帰っているわけではない。

 新制度で、「大学教授の鑑定」よりも「実際に日本兵と戦った地元住民らの証言」が優先されるようになった結果、収集される遺骨は飛躍的に増加した。週刊誌の記事は「そんなに多くの遺骨が収集できるわけがない。インチキをしているのではないか」というが、私はこうした「システムの違い」が大きいと思う。

 ただし、日本兵以外の遺骨が絶対に混ざっていないかと言えば、それも断言できない。なにしろ、60年以上が経過しているのだ。まして多くがバラバラに砕け散っているわけで、あれだけの戦闘が繰り返され日本兵と戦ったフィリピンゲリラの骨が交じっていても、今となっては判別は極めて困難である。

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     現地での焼骨式

 私は、この度の週刊誌の疑惑報道を受け、逆に日本社会に対し問題提起をしたい。遺留品または現地人からの情報により限りなく日本兵の遺骨と推測されても、完璧な科学的根拠が完全でなければ一切収集しないのか、それとも一部混ざってしまうかもしれないが、その大半が日本兵の遺骨と判断されれば収集するべきなのか――と。

 賛否両論あることは、百も承知している。しかしこれは、60年間ほったらかしにしてきたツケなのだ。今こそ国を挙げて議論すべきだろう。

 個人的な考えを言えば、「大学教授の鑑定」といった旧制度では、遺骨が日本に帰るハードルがあまりにも高すぎる。死ななければならなかったハードルがあれだけ低かったにも関わらず、戦死してからは一転、今度は帰国するまでのハードルがあまりに高いのは、アンフェアではないか。遺骨収集させない理由を作ろうと思えばいくらでも見つかる。しかし、国家の為に戦い命を捧げた英霊なのだ。私たちはもっと、「何が何でも一体残らず日本に帰すんだ」という気持ちを持ってもいいはずだ。

 一方、新制度にも問題はある。地元住民の案内で遺骨が散乱している現場に行った時のことだ。「あれ、頭蓋骨と骨盤がどうみても古さが違う」と感じた。部位によって色と重さが明らかに違ったからだ。そこでフィリピン国立博物館の鑑定士に「この頭蓋骨と骨盤は同一人物のものか」と尋ねたが、納得出来る返答は得られなかった。しかし「これは日本兵の遺骨で間違いないのか」と尋ねると、「イエス」と言う。その根拠を聞くと「地元住民の証言があるからだ」と答える。

 それだけで日本兵の遺骨とするのは、やはり不十分だろう。その証言者が誰なのか、どれだけ信憑性があるのかを、追及しなければならないと感じていた。完璧な制度などないのだから、その時その時の状況によってシステムを更新しなければならない。

 
あまりにも永かった60年間・・・


 なぜ、オールジャパンなのか

 空援隊のやり方にも、問題はあろう。あれだけ疑惑を報じられながら、何故に反論しないのか。私は空援隊の理事として、しっかりと反論するべきだと訴えてきたが、「余計な摩擦が生じるだけ」と、一切の反論は封印された。

 しかし空援隊は、遺骨収集基金などの寄付金で活動を行っている上、遺骨収集には税金も使われる。NPO法人であればなおさらのこと、疑惑が生じれば説明責任が求められる。「余計な摩擦が生じるから」では社会的に許されない。

 こうした疑惑に対する対応の在り方が、私と倉田宇山氏とでは大きく違った。それが原因で私は、空援隊を退会することとなった。断腸の思いであったが、「説明責任」は私にとって、どうしても譲れない一線であった。

 空援隊を退会した理由は、もう一つある。この活動を始めてから初めて知ったことだが、遺骨収集事業に関わっている様々な団体間の対立が、意外と深刻なことである。一体でも多くの遺骨を日本に帰したいとの思いは同じはず。だが、なぜか対立軸が生じてしまう。しかも、これらの団体がバラバラに活動しているため、全体としてのノウハウの蓄積がなされていない。

 これでは、国を挙げて遺骨収集活動を展開することはできない。そこで私は、独自色の強い空援隊から身を引くと同時に、大同団結の活動に努めたいと考えた。すなわち、既存の団体にメディアや有識者、企業、自治体など多様な主体を巻き込んだ形でのネットワーク化を図り、団体間での人材交流などに努め、それぞれの主体が得意とするノウハウを蓄積し、連携しながら遺骨収集を行う、いわば遺骨収集の「オールジャパン」構想だ。

 「いまさらオールジャパンなど出来るわけがない」といった声もあるだろう。しかし、やってみる価値はあると、私は真剣に考えている。私がブログなどで「オールジャパン構想」を打ち出して以来、様々な反応をいただいている。全国ソロモン会の安田会長からも「今後は性別、年齢を超えた形でご遺骨収集に取り組むべきである」とのエールをいただいた。来年8月をめどに、オールジャパンの形で、ガダルカナル島での遺骨収集活動を行うべく話し合いを進めている。

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  60年という歳月はあまりにも永い・・・

 遺族でもない、戦友でもない私が、なぜ、遺骨収集にこだわっているのか。それは、日本のために戦い亡くなった方々に対し、冷たい国は必ず滅びると感じているからだ。そんな国のために、これから一体誰が命を賭けて守ろうとするのか。これからの日本を思えばこそ、私は、日本社会が一致団結して遺骨収集を行っていくべきだと考える。全ての国民が何らかの形で関わるべき遺骨収集は、「国家のプライド」の問題そのものなのだ。


野口健の遺骨収集活動をまとめた映像です。

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