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2013年ヒマラヤ遠征

ヒマラヤ生活~空白からの誕生~

2013年ヒマラヤ遠征

2013/04/20

ヒマラヤ生活~空白からの誕生~

19歳の時から始まったヒマラヤ通い。平均すると年に2回。目的は登山から始まり清掃活動、シェルパ基金、マナスル峰山麓での学校建設、気候変動による氷河湖融解問題などその時々によって目的は異なりますが、実はもう一つあります。それは空白時間をつくることです。
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最近、自分でも何屋さんか分からなくなるほど活動が広がっています。登山、清掃活動、環境学校、遺骨収集、チベット問題、尖閣諸島の生態系保護を目的とした「センカクモグラを守る会」、講演活動、テレビ出演や執筆などですが、つまりこれだけのテーマを抱え込むということは毎日が「何か」に追われるということ。たまに休日を頂いても原稿の締め切りが迫っていたりして結局は自宅に引き篭もり原稿書きで終わってしまったり。また日々の活動の1つ1つを振り返ってみては落ち込んでみたり。例えば「昨日の講演会のあの時にもっとこういう風に表現していればもっと伝わったのかな?」と考え始めるとそれこそキリがなくなり、気がつくとドツボにハマっていたりする。

そして時間的、精神的な余裕がなくなると本を読まなくなる。新聞などの新刊の広告を見るたびに「これ読みたい」と思いつつも、本を読むという事は想像力や読解力、時に忍耐力が求められるものでついつい敬遠してしまう。これでは新しい知識や、新たな捉え方が身に付くわけもない。

では1日休みがあるからといって本当に休めるものかと言えば実は物凄く難しい。確かにマッサージを受けて一日中横になっていれば肉体的にはだいぶ楽になる。しかし、行き詰まった「思考回路」が休まる事はない。そして気がつけば心身ともに疲れている。 

実はこれはとても怖いことで、本人の気がつかない内に価値観が固定化され、新たな知識なり感性を受け付けなくなってしまう。何故ならば新しい「何か」を発見したり、受け入れるという事はとてもエネルギーを必要とするからです。

僕にとってヒマラヤ遠征は永遠と続く日々の流れを一端止めること。それこそ一昔前までは衛星電話もなかったので短期的な社会からの離脱となりましたが。これが僕にとっての「空白期間」です。

例えば「一ヵ月半、講演会がない」というだけでどれだけ心が開放的になるか。ヒマラヤでは体調管理に十分に気をつけていても体調を崩すことがある。そんな時は「休む」事ができる。しかし、講演活動は倒れて病院に運ばれない限り「休む」という選択肢は存在しない。熱があろうが、絶望的にお腹を壊していようがそんなことは「休む」理由にはならないわけで、冷や汗を掻くながらも会場の誰一人にもその不調を悟られないように盛り上げなければならない。代わりがいないだけにプレッシャーは大きい。また活動のテーマが多岐にわたっているだけに同時進行的に複数のプロジェクトが展開していくわけでたまに頭の中がショートする。

ヒマラヤ生活はそうした生活からの逃避行、またはプチ離脱。少なくともあのエベレストのアイスフォール地帯でクレバスや雪崩の恐怖に怯えている時に「明日の講演会は」などと考える必要もない。究極は、その日、その日をどうやって生き延びるのか、それだけに専念すればいいわけです。

「1つの事に専念できる世界」こそが僕にとってのヒマラヤ生活。僕にとって最も贅沢な環境です。そして気がつけば心が自由になる。心が自由になれば突如、今まで気がつかなかった新しい「何か」をひらめいたりする。僕の行っている活動の多くはヒマラヤ生活の中でひらめいた事の積み重ね。つまり「空白からの誕生」です。

それとヒマラヤ生活には時間がある。悪天候になれば一日中待機。嬉しい事に本を読める。長い遠征期間で本を読みつくしてしまったら、また一から読み返せばいい。日本ではなかなかやらない読み返し。重さがあるので沢山の本は持ち込めない分、僕らには読み返しの文化がある。一回サッと読んだだけでは言葉の表面しか触れなかったりするもの。この読み返しによってどれだけ多くの発見があったことか。

空白期間が必要なのは何も僕だけではない。僕のスタッフも同じです。僕が日本にいれば日々「ああだ、こうだ」と言われ続け、またその日の気分次第で僕の言う事がコロコロ変わり、それにいちいち付き合わなければならないスタッフたちは実に苦労しているはず(自覚しているのならば直せ!と言われそうですがそう簡単に直らないのもまた人間かもしれない)。

また講演会1つとってみてもその実現のためには僕の知らないところで先方さんとの打ち合わせを繰り返し、沖縄での遺骨収集活動でも事前に沖縄で活動現場の地権者や地元行政から許可を取り付けたり、その為の根回しに追われたり、また参加者が怪我をしないように安全対策を練ったりと、それこそ人目には付かない細かな事を1つ1つ積み重ねているわけです。そうやってスタッフが用意した現場に僕が参加者と現れる。

僕が1つのアクションを起こすということは、その陰でスタッフがいくつもの壁をクリアしなければならないということ。難しい案件ならばなおさらのこと汗を掻いてかいてもらっているわけだ。

つまり日々の役割に追われているのは僕だけではなくスタッフも同じです。僕が日本を離れヒマラヤにいる時ぐらいはスタッフにとっても「空白の期間」になればと願っています。それぞれが「空白の期間」から「何かしら」の新たな発見があるとするのならば、その集団は魅力的になるのだろうし。

だだね~、何が難しいって、僕がヒマラヤ生活の中でひらめく度に、気がついたら衛星電話を手に持っちゃっていること。気持ちがホットなうちに早く「伝えなきゃ!」と電話魔状態。スタッフからすると「ヒマラヤからどれだけ連絡してくるんだ!これじゃ、僕らは休めないよ。何が空白の期間だ!」と、なっているんだろうなぁ~きっと、と思いながら今日もまた電話をしてしまった。反省。

2013年4月19日 ナーにて 野口健

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