本日(1月14日)の産経新聞に野口健 連載「直球&曲球」が掲載されました。
ぜひご覧ください。
2016年1月14日掲載
「女性登山家、谷口けいさん 多くの人に愛された濃い人生」
また一人、大切な仲間を山で失った。ヒマラヤ登山のためカトマンズ入りした日に1通のメールが届いた。「残念なお知らせがあります」。僕ら登山家はこの言葉が持つ響きの重さ、残酷さを身に刻みながら生きてきた。視線を宙に浮かせ「誰だろう」と。何人もの登山仲間たちの顔が浮かんでは振るい落とした。そして深呼吸した後、メールの続きを追った。「谷口けい」「北海道の黒岳にて滑落」「行方不明」という単語だけが目に飛び込んできた。視線は再び宙を彷徨(さまよ)った。
谷口けい(43)。小学校時代に植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」と出合ったことが彼女に大きな影響を与えた。大学も植村さんと同じ明治大学へ進学。学生時代はアドベンチャーレースに挑戦し卒業後に山の世界へ。そして僕とはエベレストやマナスルで活動を共にした。エベレストにも登った。それからの彼女の活躍は凄(すさ)まじかった。ヒマラヤの未踏ルートにも挑戦。(非大編成の)アルパインスタイルで登攀(とうはん)に成功。2008年には世界で最も優秀な登山家に与えられる「ピオレドール賞」を受賞。女性初という快挙であった。
彼女の成功は心からうれしかった。しかし、同時に彼女が活躍すればする程(ほど)、僕の不安も大きくなった。一つの成功はより厳しく、より危険な新たなステージへと続いてしまうからだ。けいさんに会うたびに「山で死んではダメだよ」と繰り返した。彼女はいつもニコニコしながら「大丈夫。絶対に山では死なないから」と。目をキラキラさせる彼女の笑顔に「死んでくれるな」と祈るしかなかった。
黒岳への登攀中、核心部を抜けた山頂直下でロープを外し1人岩陰に向かった。これが最後となってしまった。けいさん程の人にも気の緩みがあったのだろうか。繰り返されてきた仲間の死から学んだことは「死」に対し人は無力だということ。諦める事(こと)しかできない。しかし、彼女の生き様(ざま)を胸に抱いて生きていくことはできる。短い人生であったが彼女は精一杯(いっぱい)生きた。多くの人に愛された濃い人生だった。享年43。くしくも植村直己さんと同じだった。
http://www.sankei.com/colu.../.../160114/clm1601140009-n1.htmlho