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李登輝×野口健 対談「『同胞愛』なき政治家が国を滅ぼす」

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2020/08/15

李登輝×野口健 対談「『同胞愛』なき政治家が国を滅ぼす」

李登輝元総統対談001

2010年7月19日、李登輝元台湾総統と野口健の対談が台北で行われました。テーマは「いまの日本に必要な"指導者の条件"」。PHP『Voice』2010年11月号に掲載された対談の内容を以下に転載させていただきます。

権力を持った人間が、国家の誇りを取り戻せ

李) 野口さんは太平洋戦争で亡くなった日本兵の遺骨を集めて回っているそうですね。三十歳代という若さで遺骨収集という大きな事業をやるのは、大変なものです。これまで、どのあたりの場所で遺骨を集めてきたのですか?

野口) ルソン島、レイテ島、ボホール島やセブ島など、主にフィリピンです。集めた遺骨は焼骨して日本に持ち帰り、東京の千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑に納骨するんです。

李) じつは私の兄が、太平洋戦争でフィリピンのマニラに出兵したんです。彼は海軍の陸戦隊で、マニラ湾で日本軍が撤退する際、殿しんがりとして軍を守って戦死しました。ですが、兄の遺骨はいまだ戻ってきていません。そのため彼の墓もない。私の父は、死ぬまで兄が生きていると信じていたのですよ。だからあなたが遺骨収集をしていると聞いて、とても感銘を受けました。

野口) 遺骨収集活動には五年ほど前から携わるようになったのですが、なぜ自分は遺骨収集をやるのか、活動しながらいろいろと考えてきました。私自身は戦没者遺族ではないので、ご遺族のためではない気がする。英霊のためかというと、当然それはあります。ただ、それだけではない。言葉で表現するのは難しいのですが、私が収集しているのは、たった一つしかない命を国に捧げた方々の遺骨です。いま自分が生きている国のために命を懸けてくれた方々に対しては厚く敬意を払うべきで、それができないような国は必ず滅びる、と思うのです。

李) それが「アイデンティティー」というものです。または「同胞愛」といってもいい。あなたは、誰にいわれるでもなく、日本人としてどうしてもやらなければならないと思って、やっているのでしょう。
いま日本の政治家や政治に関わる人間には、その「同胞愛」がありませんね。国を率いる者にとって、最も基本でかつ大切なことは、国と国民を愛することです。しかし、政治の指導者にそれがなくなっている。

野口) そうですね。私は逆に、台湾の方々は同胞愛を持っていると実感しました。今年二月、高砂義勇隊の慰霊碑に献花をするために台湾に来たのですが、そのときに元・台湾義勇志願兵の方とお会いしました。私が遺骨収集をしているというと、その方が「野口さん、日本のためにありがとうございます」とおっしゃったのです。これにはびっくりしました。というのも、日本では「遺骨収集をやっている」というと、必ず批判的な意見が出るからです。「日本はアジアを侵略した国である、侵略した側の日本兵の骨を懸命に拾うということは、あの戦争を賛美している」と......。

李) それは、昭和期にそのような政治を行なったからです。政治をやった人間の責任ですよ。亡くなった人は、政治とは関係ありません。

野口) 日本には同胞愛が失われているとおっしゃいましたが、そのほか、とくに現代の日本の指導者に必要なものは何だとお考えでしょうか。

李) それにはまず、いまの日本は何が問題かを考えねばなりません。私が思うに、いま日本は二つの重大なものが欠けている。一つは、自国が独立国家であるという自主性、二つ目は、日本人としての誇りです。以前は二つともあったのですよ。私は二十二歳までは日本人で、そのことがとても誇りでした。日本を守るために家族総動員で戦った。私も兄も、徴兵ではなく志願兵として戦地に行ったのです。

野口) 第二次世界大戦で敗北したことが大きいと思います。敗戦によって、日本人は精神的に大きなダメージを負いました。さらに戦後は、日本人に誇りを持たせないような教育ばかりがされてきた。

李) 日本は「反省、反省」といって自虐感ばかりが強くなってしまった。自虐感が強くなると、肯定的に社会の現状を捉え、今後どうしていくかを前向きに考えることができません。
だから日本においてはまず、権力を持った人間が、国家の自主性と誇りを取り戻すにはどうすればよいかを考える必要がある。具体的にいえば、それは憲法改正や日米同盟の再構築、また教育改革などでしょう。ですが、日本では毎年のように総理大臣が誕生しているにもかかわらず、誰もこのようなことを口にしない。不思議でなりません。

李登輝元総統対談002

「恨みに対して徳を以てす」と反日教育

野口) 過去、強力なリーダーシップを発揮した日本の指導者はたくさんいます。台湾では、日本統治時代に台湾民政長官だった後藤新平さんがまさにそうだった、と李先生はおっしゃっています。いま台湾が親日なのも、彼の影響がとても大きい。

李) そうです。後藤新平は、第四代台湾総督の児玉源太郎の信任を受け、八年七カ月にわたって台湾の近代化に尽力しました。台湾人への教育、警察や裁判所の創設、鉄道や水道のインフラ整備など、すべて彼の時代に成し遂げられたものです。時間を守る、法律を守るなどの近代社会の習慣も、この時代にできたのです。

野口) 不思議なのは、同じく日本が統治した朝鮮は、対日感情がよくありません。台湾と朝鮮では、日本の統治方法が違ったのでしょうか?

李) 置かれた環境と時代背景が異なりました。朝鮮人は、自分たちが独自の文化を持つと考えていますし、その昔、朝鮮に出兵してきた豊臣秀吉の軍を撤退させたという歴史もある。自尊心が非常に強いのです。だから、日本が教育を行なうにしても、「自分の国の教育があるから、日本人には何も教えてもらう必要はない」となる。しかし、台湾人にはそのような意識がありません。というのは、台湾は長いあいだ未開の土地だったからです。
もともと中国大陸の南海岸は、倭寇(日本の海賊)が出るからと、人が住むことも台湾へ渡ることも禁止でした。歴史的に台湾は「中国の中の一省」ではなく、十九世紀末になって、清の李鴻章りこうしょうが台湾に巡撫じゅんぶという地方統治機関を置いたのが、台湾統治のはじまりです。しかしそれから十年も経たないうちに、日本の統治がはじまった。つまり台湾人は、日本統治時代まで、誰にも国をよくしてもらった経験がなかったのです。

野口) 自然と日本から受ける影響が強かったのですね。さらに日本統治で台湾の近代化が一気に進んだ。

李) そう。しかも戦争が終わった途端、急に中国大陸から無政府的な人間と文化が入ってきました。彼らの考え方は日本とはまったく違った。中華民国政府の汚職もひどかった。台湾人は、日本統治時代の教育がいかに素晴らしかったか実感したのです。

野口) 中華民国政府と台湾人との考え方のギャップがあまりにも大きく、二・二八事件という大きな事件が起こりました。この二・二八事件と、その後続く中華民国政府による白色はくしょくテロは、台湾に悲劇をもたらしました。しかしこれらは、日本ではあまり知られていない史実です。

李) 事件の経過を簡単に説明しましょう。日本統治時代、総督府が専売局をつくりました。酒、塩、タバコなどが専売となり、台湾開発の財源とされたのです。専売局は戦後も続けられていましたが、日本がいなくなってからは無政府状態でした。そして街では、香港や上海を通して入ってきた欧米のタバコが売られるようになった。このタバコ売りを、専売局の取り締まりの人間が怪我をさせたのです。これがきっかけになって、不満の溜まっていた国民が中華民国に対しデモを起こし、全土に拡大したのです。
普通なら、この事件は一つの革命になりえます。しかしそうならなかった理由は、台湾に指導者がいなかったからです。日本統治時代は、のちにこういう時世になることが予測できなかったから、台湾人の指導者を養成するということをしなかったんですね。
中華民国政府はデモを収拾しようと、地方の重要な地位にいた人間を集めて、台北市で調整委員会を開きました。私も会議を見に行きましたが、「これは大陸から軍隊が来るまでの時間稼ぎだ」とすぐに分かりました。案の定、数日で軍隊が上陸し、街でクルマを走らせながら機関銃で掃射し、周囲にいた人間はやみくもに殺されていったのです。

野口) そして台湾では、蔣介石しょうかいせきをはじめ中国大陸から来た人間が指導者となった。ここから白色テロという、いわゆる恐怖政治が敷かれたわけですね。また日本語や日本文化は禁止という、排日政策も行なわれたと聞きます。

李) おかげで私も、ずいぶん日本語を忘れてしまいました。蔣介石は、日本に対しては「恨みに対して徳を以てす」ということで、台湾にいた日本軍を速やかに日本に帰しましたが、台湾内部においてはまったく逆の政策を行なったのです。
とくに学校教育は厳しくなりました。反日教育と同時に、中国の五千年にわたる皇帝型統治の歴史教育が行なわれた。その教育がはじまって、約五十年が経ちます。台湾で陳水扁前総統が汚職に染まったりしたのは、この教育の影響です。「総統」になったことを「皇帝」になったと勘違いしているのです。

野口) 教育の恐ろしさを、チベットで感じたことがあります。私はよくチベットに行くのですが、いまチベット人は「自分の子供がいちばん怖い」といいます。どういうことかといえば、いまチベットの学校の教師は、だいたいが中国から来た漢民族の人で、ダライ・ラマ法王がいかにひどいか、という教育をするわけです。たとえば、チベット人はよくペンダントを身につけているのですが、信仰深い人はペンダントの裏側にこっそりダライ・ラマ法王の写真を入れたりしている。しかし学校で「ダライ・ラマは悪い」と教わった子供は、友達や先生に「うちの父さんはペンダントにダライ・ラマの写真を入れている」と教えてしまう。そして父親は警察に捕まっていくのです。教育によって家族のあいだに不信感が生まれている。

李) 台湾でも、いまの五十歳前後の人は、学校で学んだ反日思想が身についています。中国流の反日教育が行なわれると、やはり考え方が変わってしまうのです。

李登輝元総統対談003

「脱古改正」ではなく「脱古改新」が必要

野口) 李先生が総統になられて、それまでの恐怖政治に終止符が打たれていきます。そのリーダーシップには頭が下がるばかりです。

李) じつは、なぜ私が総統になったのか、自分でもよく分かりません(笑)。蔣介石の息子である蔣経国しょうけいこくという一人の人間によって、偶然引き上げられた。もともと蔣経国とは面識はありませんでしたが、私が農業経済に詳しかったため、彼の目に留まったのです。
台湾経済が農業から工業へ移行するターニングポイントに入っていた一九六五、六年ごろです。私はアメリカに留学中で、国連や世界銀行に招喚されたりしていましたから、それらの国際機関で働くことも考えていたのですが、当時所属していた農復会(中国農業復興聯合委員会)主任の沈宗瀚センゾンハンに「台湾の農業が大変なことになっている。帰ってきてくれ」といわれたのです。
帰ってみると、台湾の農業はかなり疲弊していた。とくに農業従事者に対する搾取がひどかった。私は政府の農業政策に反対の声を挙げ、そこで蔣経国が、話を聞きたいといって私を呼んだのです。彼は農業政策に関しては蔣介石と考え方が違っていて、私の意見に賛同してくれた。それが一つのきっかけで、蔣経国が行政院長になったとき、私は国務大臣を命じられたのです。

野口) そこから政治の世界に入ったわけですね。しかし政治に携わるのははじめてのはずです。政治的な感覚や手法は、どうやって養われたのでしょうか。

李) 国務大臣だった六年間は、政治に口を出す余裕はありませんでした。私はよくいうのですが、「この期間は蔣経国の学校にいたようなものだ」と。彼からさまざまな話を聞くことで、政治を勉強したのです。

野口) 総統になって台湾の民主化に取り組まれたことは周知の事実ですが、台湾の立場について先生は、「台湾を中国から独立させるといったことはない」とおっしゃっています。台湾の中には「中国から独立するんだ」という意見もありますが。

李) 歴史をきちんと踏まえなければいけません。戦後、日本は台湾を放棄しましたが、その後、台湾がどの国に属すかは国際的に決まっていない。アメリカ政府も、台湾の処理について何も決めていません。いわば、台湾の主権は誰にもない状態なのです。しかし本来、台湾の主権は台湾人が持つべきでしょう。そして諸外国の合意のもとにそうあるべきです。

野口) 台湾が自ら独立を主張するよりも、世界が台湾は一つの国であると認めるところに持っていきたいということでしょうか?

李) そうです。自分で決めるというより、決めさせる。その実現に向けた長期的な見通しを持ちながら、民主化を進め、経済を発展させ、台湾の文化をつくり上げていくことが肝要です。いまの台湾の若者は、台湾は独立国だと声高に叫ぶ。これは中国との争いを生む原因になります。

野口) 中国との対立が起きてしまうと、結果的に独立ができなくなってしまうということですね。チベットのダライ・ラマ法王も、チベットは中国から独立するとはいっていないということをおっしゃっています。もちろん頭の中には「チベット独立」があると思うのですが、それを前面に出さない。お考えが似ていると思います。

李) なにも、台湾と中国大陸が敵対関係を持つ必要はありません。争っていてはらちが明かないのです。
蔣介石政権は、台湾を「大陸反攻」の拠点と位置づけました。彼は、「動員戡乱かんらん時期臨時条款」という、臨時に憲法に優越する法律を制定し、米国の保護下の台湾を非常時の「国民戡乱時期」体制に置いて統治した。つまり国民党政権は中国共産党の「反乱」を口実に、台湾での強権政治を正当化したのです。この法律が一九九一年まで四十三年間にわたって施行されていた。
私は総統の権力として、共産党との内戦停止と動員戡乱時期の停止を宣言しました。中国大陸は中華人民共和国政府が治めているが、台湾は私のほうで治めていく、そして中国大陸が民主的になり、国民所得も平均的になり、自由化されたなら、そのときに話をしましょう、と。

野口) しかし、台湾内には国民党政権の影響が深く浸透していたのではないですか?新しい体制に移行させるのは、相当難しいように思われます。

李) もちろん、スムーズに事は進みません。全中国の統治を前提とした中華民国憲法の考え方や、大陸で選出された議員の存在を重視する「法統」思想は、根強くありました。しかし中国流の思想では「脱古改正」しかやれない。台湾は「脱古改新」をやらなくてはいけないのです。
まずは「万年国会」を潰す必要がありました。国民大会や立法院、監察院は、一九四七年に中国で選出されて以後、選挙の洗礼を受けていない人間が八〇%以上を占めていたのです。すべての臨時条款を廃止すると同時に、「万年国会」の人間をリタイアさせました。
臨時条款が廃止になると、凍結されていた古い憲法が適用されます。その憲法に基づいて、第二回目の国民大会と立法院の選挙を行ないました。そうして、新しい国民大会と立法院を立ち上げる。ここで当選した人たちは、みな台湾、金門、馬祖から選出された、いわば私のおかげで代表になれたようなものだから、憲法修正に応じてくれる。そこで少しずつ憲法を修正していく、というように一歩一歩進めていったのです。

李登輝元総統対談004

「精神性」が欠落した現代日本の政治家たち

野口) 李先生は、「権力は借り物」とおっしゃっていますね。しかし人間は権力を持つと、時に自分の力だと過信し快感となる。たとえば中国やフィリピン、タイでも、国家元首の親戚なり身近な人間が要職に就くような人事がなされます。日本でも、権力者が知り合いに便宜を図るといったことがあります。いざ権力を持ったとき、自分の心や精神を平静に維持することは難しい。

李) 心がければいいのです。私心を持ってはいけない、と。

野口) 李先生のお父さんは県会議員を務めたことがあって、李先生が総統になったときに知り合いの方の便宜を図ろうとなされた。ですが先生は、「父さんの友人の親戚の人を自分に紹介してくれるな」とおっしゃったとか。

李) そうです。「私とあなたとは時代も考え方も違います」とはっきりいいました(笑)。父は怒ったけれど、それ以来、父は一度も人を紹介してきませんでした。
公私の区別は厳格にしなければなりません。私は、家も別荘も贈与税を払って孫に譲りましたし、収入もすべて妻が管理しています。債券の類もいっさい持っていない。私は何かものが欲しいときは、「〇〇に使うから、これだけ金をくれ」と妻にお願いして小遣いをもらう(笑)。しがらみがないから職務を執行しやすかったのです。

野口) しかし、そのような厳格さを最後まで貫き通すことは、人間なかなかできるようでできません。これは先生が信仰をお持ちだったからでしょうか。

李) それもありますが、それ以上に日本教育の影響が大きい。私がいう日本教育とは、肝心なときに絶対妥協せず、自分をうまく自制、我慢をしていくということです。総統になれば、いろいろなところで嫌がらせを受ける。そのとき確固たる自分を維持できたのは、まさにこの教育のおかげです。われわれの時代の日本教育は厳しかった。
さらに、日本の書物からも大きな影響を受けましたよ。西田幾多郎の『善の研究』や新渡戸稲造の『武士道』、夏目漱石の作品に見られる「則天去私」......。

野口) ですが、たとえば最近も鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏に見られるように、日本は「政治とカネ」の問題を繰り返しています。日本教育が先生の厳格さに寄与したのであれば、なぜ現代の日本の政治家は自制心を持つことができないのでしょう。

李) それは「物質主義」の影響でしょう。戦後はマルクス主義の唯物論的弁証法的発展という考え方が非常に大きな影響を及ぼした。いま、みながプラグマティズム(実用主義)になっているでしょう。地位やカネといった「実体」だけを重視し、いわゆる「愛国」「品格」といった精神性が欠落している。中国大陸も台湾も同じです。

野口) 物質主義は浸透しやすいですね。チベットのラサは、私がはじめて行ったときは、本当に素朴な街で、独自の文化を持っていた。しかしいまでは高層ビルが立ち並び、鉄道もショッピングセンターも建設され、一見するととても裕福ですが、私は違和感を覚えてしまいます。これは、チベットの独立運動を抑えるために、中国が大量の「モノ」を投入した結果です。チベット文化を壊すにあたって、武力を用いると反発が生まれますが、モノを与えると受け入れてしまう。そして一度モノを与えられた生活を経験してしまうと、もう元の生活には戻れませんね。

李) 非常に残念です。チベットは中国に、ラサに大きな道路を造ることを許してしまった。何のための道路かといえば、中国から軍隊を送り込むためだった。ですが、当時はダライ・ラマ法王も若く、大臣たちも中国の意図が分からなかったのですね。
しかし私は、ラマ教が存在するかぎりは、今後もチベットは生きつづけると思いますよ。日本も、自然と情緒を重んじ、高い精神性を持った文化です。これを大切にしていくべきでしょう。
現代は科学が発展しすぎて、科学的にしかものを見ない。しかし、すべてにおいてそのような意識でものを見ていたら、分からないことがあるのです。最近、それを実感しました。昨年四月ごろ、風邪を引いたのですが、熱は三七度弱で、医師も「学理的には熱はないので大丈夫」という。薬をもらって家で療養していたのですが、いつまでたっても症状がよくならない。別の医師に電話をしたところ、私の平熱を聞いてきたので三六・四度だといったら、「すぐに病院に来い」という。そして検査をしたところ、なんと肺炎でした。もし気づかずにいたら、私はいまごろ死んでいました(笑)。
何がいいたいかというと、科学的にばかりものを見ていては、真実を見誤るということです。科学は普遍的かもしれないが、個を考慮しない。人間は、精神と物質をバランスよく持べきです。

李登輝元総統対談005

心から「国民のため」という気持ちがない

野口) 現在の台湾のリーダーは国民党の馬英九総統ですが、彼は李登輝先生の目にはどう映っているのでしょうか?

李) 非常に心配しています。馬総統は、中国流の教育を受けている世代です。また彼は、中国政府の信頼を得ようと必死になっている。本年六月に中国とECFA(経済協力枠組み協定)を締結しましたが、これはその表れです。

野口) ECFA締結の際には、台湾人民による大規模な抗議デモが起き、李先生も参加されました。何が問題なのでしょうか?

李) ECFAは「大陸地区と台湾地区」の協定であり、中国が台湾を「一つの中国」に組み込む策略です。イギリスが香港の主権を放棄したあと、CEPA(香港・中国経済貿易緊密化協定)を結んで香港を取り込んだのと同じ手法です。将来の台湾に大きな禍根が残る協定なのです。
台湾はWTOのメンバーなのだから、各産業別に分けて他国とFTAを結ぶべきです。FTAであれば、WTOという国際機関の中に、台湾は一つの国として存在できる。

野口) いまの日本の政治家が最も脆弱なのは、そのような長期的なビジョンを持つことです。たとえば、沖縄の米軍普天間基地移設問題でも、もし民主党が本当に沖縄から基地を撤退させたいならば、まずは日本が自国を守る体制を整えてからでないと、議論が成り立ちません。政治家は、みな口では「国民のため」といいますが、行動が伴っていません。

李) 何も実行できないのは、心から「国民のため」という気持ちがないからです。だいたい、日本でいま総理大臣や政治家になっているのは、ほとんどが先祖代々政治家をやってきた家系の人間ばかりでしょう。この方たちは、政治家という特定の家庭の生活状態は分かるでしょうが、広く一般国民の生活のことなんて分かるはずがない。
もっと国民と総理大臣の距離を縮める必要があります。首相を公選にしてもいいのではないでしょうか。
もう一つ、政治家に実行力が伴わない原因は、メディアにとらわれすぎているからです。メディアに振り回されてはいけない。数多くあるメディアはみな考え方が違い、それぞれに立場があるのですから。
どんな批判を受けようとも、思い切って物事を実行する人間が必要です。総理大臣こそまさに、そのような人間がなるべきなのです。

日本の総理大臣になったら......

野口) もし日本の総理大臣になったとしたら、何をおやりになりますか。

李) まず憲法改正です。そのために、すぐさまアメリカに使者を出し、説得に行かせます。「日本は戦後六十五年も経っているのだから、独立国家としての地位を確立したい。日米関係を維持するためにも憲法改正は必要なので、了解してほしい。でないと日米の友好関係は難しくなる」と。

野口) アメリカへの説得を試みながら、日本国民にも腹をくくってくれ、といわねばなりませんね。

李) そうです。日本は独立国家としての立場で物事を考え、政治も経済も処理していきます、と。そして、長期的にどのような社会政策をとるか、高齢者に対する福祉制度をどう改善するかなどのビジョンを提示する。
また、いま日本銀行は有効に機能していません。私は日本銀行を内閣府の一組織にして、国の経済政策に配慮するかたちで仕事を行なったほうがいいのではないかと考えています。

野口) 教育についてはどうお考えでしょうか?

李) いわゆる道徳教育、価値教育を行なう必要があるでしょう。時代錯誤と思われるかもしれませんが、現代の教育の中に教育勅語を一部、組み入れてもいい。というのは、自分は何のために生き、どう行動すべきなのか、という面が学べるからです。現代のように、毎日朝から晩までテレビやインターネットばかり観ていては、人間、何のために生きているのか分からなくなります。
また教育について一ついうならば、日本は核についての研究・教育に積極的に取り組むべきです。日本では、原子力発電など核の平和利用について素晴らしい技術を持っており、さらに優秀で愛国心を持った若い研究者もたくさんいるのですから。
これら私が述べたことは、けっして難しいことではありません。リーダーが決断するかしないかだけの問題ですよ。
野口さんのような若い方々に、ぜひ日本の次代のリーダーとしてがんばっていただきたいと思っています。

PHP研究所「Voice」2010年11月号より転載

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