本日の産経新聞、連載コラムです。
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産経新聞 2023年10月5日掲載
直球&曲球「試練を与えてくれたマナスルに感謝」
ポタ、ポタと管へ流れ込んでくる抗生剤の音を聞きながら、カトマンズ(ネパールの首都)の空を病室から眺め、「僕にとってマナスルとは一体なんであったのか」と思いを巡らせていた。4度目となるマナスル(標高8163メートル)挑戦。約1カ月間、エベレスト山麓で高所順応を徹底的に行った上でマナスル入りした。しかし、挑戦はあっけなく1週間で幕を閉じた。
直接的な原因は肺炎が悪化し肺水腫を誘発、血中酸素濃度が53%まで落ちた。あの状況で6300メートル地点のキャンプ2からよくベースキャンプまで下りられたものだ。テントの中で溺死する程に苦しくのたうち回った。その姿に長年支えてくれているシェルパは泣き、他のシェルパが祈りをあげる声も響いた。早朝、ヘリコプターでカトマンズへ緊急搬送。医師は「レスキューがあと少し遅れたら危なかった」と話した。
しかし、今回の敗退はそれだけではないだろう。山岳カメラマンの平賀淳(ひらがじゅん)さんの遭難死(アラスカ・デナリ)から1年が過ぎた。彼とともに約20年間、ヒマラヤに登り続けてきたが、前回のマナスル敗退の際、彼は僕の手を握り「今度こそ一緒に『。』をつけましょう」と。その思いを晴らすことのみを考えた1年間。いつしか弔い合戦が始まっていた。何か、えたいの知れない渦のようなものにのみ込まれていた気もする。
ヒマラヤ入りしてから楽しいと感じた日はたったの1日もなかった。「生き死に」の世界へ足を踏み入れるときには澄み切った心で挑まなければならない。弔い合戦は「死」を意識の真ん中で捉えてしまう。生き延びてしまったことへの罪悪感にもさいなまれた。
カトマンズの夜景を眺めながら自分に負けたのだと悟った。平賀さんにマナスルに「。」をつけることができなかったことをわび、しばしの別れを告げた。
「これから先は一人旅だ」とつぶやいていた。「負けを知る」のは必要なこと。大きな試練を与えてくれたマナスルに感謝し、再び奮起したい。エベレスト挑戦に失敗を繰り返し、もがきながらも挑み続けた学生の頃のように。
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