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夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第5章 新しい日々と野口との再会

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2020/11/23

夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第5章 新しい日々と野口との再会

ウパカルが日本に帰り、入社式を三週間後に控えた時、いきなり入社式の社辞を述べるよう通達された。これには焦ったが、何度も何度も練習したおかげで、詰まることなくスムーズに読めた。
入社式の後は、レストランのウエイター業からベッドメイクまでホテル業務を知るための研修が連日行われる。トレーの持ち方、シーツの張り方、どの業務にしても慣れるまで大変だった。
その頃、野口は、ヒマラヤの山々を登っていた。仕事の後、野口が写したヒマラヤの山岳写真を眺めながらウパカルは毎日、天空の峰々を想像していた。

そんな新生活、真っ只中の2015年4月25日。信じられないニュースが入ってきた。ネパールで M7.8の地震が起こったという。死者は約 8,969名、負傷者 22,321名。
野口は、標高 4500mの斜面で岩雪崩に遭遇しながらも無事でいてくれた。すぐに日本に帰ってくると思いきや、野口はそのままネパールに留まり、荒れ果てた現場で支援活動を行っていた。そして現地の惨状をネットで世界に発信し、寄付を求めていた。
それを見てウカパルは「こんな日本人、どこにもいない」と呟いていた。野口と出逢えた事が、奇跡のように思えていた。
ネパールを愛し、ネパール人のために命がけで動いている野口に比べ、自分はどうだろうか。ホテルでのちょっとした事に落ちこんだり、腹をたてたり......。自分の小ささに嫌気がさしてくる時もあった。社辞で「全身全霊で頑張ります」と誓ったことが、嘘になっていないだろうか。夜勤の時、人の動きのないロビーを見ながら自問自答をしていた。
その時だった。胸を押さえながらイギリス人のご婦人が、フロントまで降りて来た。持病の心臓病の薬を全て機内に忘れてきたと言う。直ちに薬品名を聞き、ホテルから一番近い病院に電話を入れた。救命救急センターの担当医は「患者の経緯が分からないので、すぐに薬を出すことはできません」と言い切った。しかしその瞬間も、ご婦人は苦しみ続けている。 
医師とのやり取りは一時間以上続いた。
「こうしている時間に、お客様に万が一の事があったらどうなさいますか!」
何があっても薬を出してくれるまで引き下がれないと思った。そして、とうとう医師は言った。
「あなたには負けました。用意しましょう!」。
ご婦人はこのことを支配人に手紙で知らせてくれたようだ。ウパカルはその年の「ベストサービス」賞を頂いた。
『おもてなしの心』という言葉の意味を、ウパカルは実体験を持って、理解し始めていた。
「おもてなし」=「表なし」とは、見えない所で相手の事を思いやり、相手にとって何が必要なのかを考え、それを実践することなのだろう、と。
受験シーズンにはたくさんの高校生がホテルを利用する。試験当日、ロビーですれ違いざまに、笑顔でグーサインを作れば、緊張した顔が笑顔に変わる。心の底から「頑張れ!」とエールを送れば相手にも届くのだ。
海外からのビジネスマンは、アタッシュケースを抱えて足早にエレベーターから降りて来る。「Have a good day!」と言葉を掛ければ、立ち止まりやはり笑顔で『Thank you !』と返してくれる。
どんなお客様にも全霊で接しているうちに、「ウパちゃん!」と言って、話しかけてくれるリピーター客もでてきた。

そのようにして、仕事に慣れてきたころ、嬉しい電話が入った。
県内の高校で講演をする野口が、その後でウパカルのところに来てくれるという。
二人は、ウパカルの友人が経営するネパール料理の店に向かった。「これは日本人向けにアレンジされていない、本物のネパールの味だ!」と野口は言いカレーやナンを口に運びながら、ネパール地震のことを話しはじめた。
その地震で、野口が学校を作ったサマ村も被害を受けてしまったそうだ。サマ村の奥には、8000m峰のマナスルがある。その高峰は半世紀前の1956年、日本人が初登頂をした山である。
それ以来、サマ村の村人たちはマナスルを「ジャパニーズマウンテン」と呼び、登山に訪れる日本人に対して、とても友好的だという。そんな彼らに、日本人として何か恩返しをとの思いから、野口はそこで学校づくりをはじめたという。
「はじめは、大変だったんだよ」
そういう野口の言葉に、建築自体が大変だったのかと思った。だが、そうではなかった。
「村人は、教育に価値を感じていなかったから、勉強よりも家の仕事を優先させる村人が多かったんだよ。子どもたちに『将来の夢は何?』と聞いても、『夢』という言葉自体がかわかっていない感じだった。はじめは、きょとんとするばかりだったんだよ」
岡山の夜の町を見ながら野口はこう続けた。
「僕は小さい頃から、家にある本を読んでいて、『ここではない場所』をいつも想像していた。本で読んだことを親父や兄と話したりもしたよ。でもサマ村しか知らない村人たちは、そんな読書体験がないんだ。確かに昔ながらの農作業をするのに、本は要らないのかもしれないよ。でも村で生活を続けるにしても、世界を想像できる人生と、そうでない人生は、大きな違いがあると思う」
 少し熱い口調で、野口はこうも語った。
「子どもたちに夢を持つということの素晴らしさを知ってほしい。すべてのネパールの子供たちに教育を受けられるようにしてやりたい――。」
その言葉と姿に、ウパカルは、教育者である自分の父を重ね合わせていた。
ウパカルはそこでふと思った。ウパカルが野口に魅かれていたのは、野口と父が、どこか似ているからなのかもしれない、と。

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野口健、サマ村の子どもたちと。野口健、サマ村の子どもたちと。

写真 ウパカル 文責 大石昭弘

野口健が理事長を務める認定NPO法人ピーク・エイドでは、ネパールポカラ村の小学校支援を行っています。

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