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7大陸最高峰

七大陸最高峰~エルブルース~(新ヨーロッパ)

7大陸最高峰

1996/01/02

七大陸最高峰~エルブルース~(新ヨーロッパ)

 

ハーハーハー、呼吸がどうにも整わない。それだけじゃない、体にカが入らない。そして猛烈に眠い。一緒に同行している山岳部の同僚、及川幸治にどう頑張っても追いつけない。こんな事は一度もなかった。どうしたんだろうか。そういえぱ、ここ数日間やたらと体が重かったし、めまいもした。及川の後ろ姿を追ううちに、次第に意識が遠のいていく。この程度の山で失敗するわけにはいかない。及川のトレースだけを頼りに、なんとかついていくが、限界であった。そしてついにエルブルースの山頂を視野に入れながら、私の意識はプツリと途切れた。どれだけ時間がたったのだろうか。



11番小屋に向かう途中で休憩

所々、及川とガイドのギーナの顔がぼんやりと私をのぞき込んでいるのが分かった。しかし、それもまた夢の中だ。気絶し倒れた事すら私には分からなかった。23才の夏、エルブルースは私に罰を与えたのだった。

 
 


カフカス山脈をバックに、頂上アタックに備える

ミネラリヌイボディ行きの国内線もまるで輸送機のように殺風景で、機内食もパン1つ、といった粗末なものだ。いつ墜落してもおかしくないように思えてくる飛行機に乗りながら、これがロシアかと実感した。ミネラリヌイエポディにはガイドのギーナが待っていた。42歳で小柄な体をしていて、ロシア人にしては珍しく愛想がいい。ロシアに訪れて初めてみるニコニコ顔に内心ホッとした。彼がエルプルースの玄関口アザウ村まで車で案内してくれるたが、運転している彼の指をふと見たら数本、第一関節から先が無くなっていた。凍傷の跡だ。痛々しく見えたが、同時にたくましさを感じた。

アザウ村からはエルプルースの中腹、標高3500mまで上ることができる。冬はスキー場になり、それは沢山のスキー客で賑わうそうだ。ロープウェイの終点から2時間程登ったところに、11番小屋と呼ばれる山小屋がある。3階建てのドーム型をし、アルミが張ってあるのか、屋根は銀色であった。小屋というよりも、要塞のようであった。入るのも不気味で、ギーナの後にくっつくようにして付いていった。無人小屋で、中に入ったら最後、一生出てこれないような威圧感を感じる。やはり山小屋もロシアカラーであった。

夜、寝ていると突然頭痛に襲われ起きた。4200メートルしかないのに、高山病?。そうか、ロープウェイで一気に標高を稼いだから、体が低酸素に慣れていないのだ。しかし、まあ、なんとかなるだろう。この頃はまだまだ余裕があった。

翌日、高度順化のために標高4700メートルのパスツーコフ岩という岩場まで往復した。しかし、また途中から体が猛烈に重くなり、頭痛もひどくなった。なんとかパスツーコフ岩までたどり着いたが、あまりの頭の痛さに悲鳴をあげそうになった。あの頭が爆発しそうになったキリマンジャロを思い出した。及川も私の苦しみように驚いていた。及川とはヒマラヤ登山で何度もパートナーを組んでいたのでお互いの力を把握していたが、これ程までに私が絶不調なのは初めてだという。これ以上悪化してはまずいので、急いで11番小屋に戻った。

 
 


山頂アタックを開始。後方に見えるのが頂上

その次の日から天気が崩れ、3日間11番小屋に留まった。その間、頭痛も随分となくなり、回復の兆しを見せたかのように思い込んだ。4目目にやっと天候が回復し午前3時に及川、ギーナと3人で山頂アタックを開始した。いつもは及川が私に付いてくるのに必死になるのに、この日は私が及川に付いていくのが必死である。暗い中、及川のトレースを探し、離された及川の背中を追った。しかし、どんなに頑張っても追いつけない。途中、及川が私を待っていてくれたが、追いついてもまともに口がきける状態じゃなかった。ろれつが回らず、睡魔との戦いになった。

その後もずっと及川のトレースを追ったが、何故だか涙が流れてきた。別に悲しいわけでもないのに、涙が止まらない。そして、ついに私は倒れた。その瞬間を及川とギーナが見ていた。及川の話だと、私の口から泡がボコボコと吹き出し、白目になり、呼んでもほとんど反応も無かったという。ギーナは慌てて私を担ぎ、数時間かけて11番小屋まで下ろしてくれた。それから次の日までほとんど記憶がない。小屋に着いてから、私はスープを飲ませてもらったというが、これも記憶にない。夜中、寝袋の中で、私が高校時代の彼女の名前をうわ言のようにつぷやき出したという。それを聞いた及川は、ついに私が死を迎えると思い、帰国後に開かれるであろう記者会見でなんと説明すればいいのか心配になったらしい。

 
 


意識を失う直前。ペースが遅いと感じた及川が撮影した

その翌日、時間は覚えていないが、ふと目覚めると頭上に及川の顔があり、ビックリした。なにが起きたのか自分には分からない。ただただ、目がグルグル回り、吐きそうになった。及川に「一体俺はどうしたんだ」と事情を聞くが、あまりにも苦しくなにを言っているのか理解できない。とにかく、今は早く山から下りること、それ以外に治療に方法はない。ギーナに首根っこをつかまれるように下山を開始する。歩行が苦しいので休もうとするが、それをギーナが許さない。「早く、早く、一刻も早く下山しろ!」と初めてギーナが私の前で怖い顔をした。後で聞いた話だが、私がいつ死んでもおかしくない状況だったのと、また、死ななくても後遺症は避けられないとギーナは感じのだ。

半強制的にアザウ村まで下るされた私は次第に同復した。ギーナが居なければ、私は死んでいた。彼が体を張って僕を下界まで下ろさなければ、今私はこうして原稿など書けなかっただろう。あの世にいっていただろう。ギーナは僕の命の恩人だ。本物のガイドだった。こうして私のエルブルース初挑戦は幕を下ろした。

帰国した私はすぐにエルプルース再挑戦の準備に取り掛かった。 僕さえ問題なければ及川は登頂できた。申し訳なかった。それでも及川は嫌な顔一つしなかった。私が自己管理を怠った事、山を軽く見てしまったこと、いくらでも反省材料があった。自分のミスで人に迷惑をかけてしまった。自分がたまらなく情けなかった。私は心を入れ替え、エルブルース再挑戦へ本腰を入れた。いつしかエルブル一スはヨーロッパ大陸の最高峰とは関係なく、私を本気にさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 
 


あの突然の気絶から3カ月、私は再び凍て付く厳冬季のロシアの地に戻ってきた。エルブルース、私を死の縁まで追いやった山。この3カ月間、一日たりとも私の脳裏から離れたことがない。私だけではない。一緒に挑戦した山岳部の及川にも多大な迷惑をかけた。あの出来事さえ起きなけれぱ、彼はエルブルースに登頂していただろう。それなのに私には嫌な顔一つしなかった。自分の山に対する誤った気持ちが敗退につながった。今度こそ、人に迷惑をかけてはいけない。

12月中旬、及川と私は再ぴロシアヘと渡った。前回と違い、季節は厳冬季。モスクワでさえマイナス12度以下、風が吹けばたちまち衣服が凍りつく。モスクワでさえこれほど厳しい状況の中、果たしてエルブルース登頂など可能なのか。及川と私はなんとなく不安を覚えた。



エルブルースに登頂。中央が野口、右が及川、左がガイド

2日間、モスクワで滞在しエルブルースの麓アザウの村へと向かった。命の恩人であるギーナと合流し、再会を喜びあった。ギーナに「この冬の時期のエルブルース登山は可能か」と聞くと、「天候さえ良ければ大丈夫だと思う。天候が良けれぱね」。天候の事を強調していた。冬のロシアか...。大丈夫かな。

 
 


登頂後、自分で撮影したら顔が切れて写ってしまった

一気に4200メートルまでロープウェイで高度を稼ぐエルブルースで前回、酷い高度障害に犯された経験から、今回は事前に近場の山に登ることにした。最低でも4000メートルラインを越えることで、その高度に体を慣れさせる為だ。途中、吹雪に遭い、途中で引き上げた。次の日もあきらめる事なく高度順化の為に登りかえす。アザウ村からちょっと登っただけでも、冬のロシアの地は我々に厳しかった。

3日間、順化活動に費やし、我々はあの因縁のロープウェイに乗った。「俺はこいつにやられたんだ」と、数カ月前の事を思い出した。ロープウェイの終点から11番小屋まで悪天候の中、歩く。視界は悪く、酷く寒い。

11番小屋に着いても、小屋の中が冷凍庫と化している。あまりの寒さにジっとしていることもできない。慌てて寝袋を取り出し、その中に入る。しかし、トイレに行きたくなるともう最悪だ。小屋の表は猛吹雪だが、我慢にも限界がある。全装備を身につけ、泣きたい心を抑え小屋を出る。そのとたんに突風で体が吹き飛ばされそうになる。あまりの寒さで私の息子もすっかりと縮んでしまい、パンツの中のどこを探してもなかなか見つからない。しかも手が凍り付くほど冷たくなっているのでなおさらだ。なんとか見つけ、引っ張り出しても、つかめない程のサイズになっているため、そのままおしっこをすると、あちらこちらに飛び散ってしまう。まして向かい風にあおられれば自分にかかってしまう。なさけない思いをしたエルブルースのトイレであった。

予想通り悪天候が続き、結局、年内のアタックは諦めていったん、アザウの村まで下りた。年越しはロシア人に囲まれ、テレビではエリツィン大統領一の演説が延々と続く。ウオッカを一気飲みをするロシア人を横目に、及川と2人で「俺達、一体なにやっているんだ」と愚痴をこぼす。

 
 


下山途中、11番小屋付近で

1月2日、天候が回復するとの情報を得て我々は再び11番小屋へと向かった。相変わらず寒かったが、地吹雪は起きなかった。翌日の早朝3時過ぎ、及川とギーナ達と11番小屋を出発。猛烈に寒く、しまいに口がきけなくなる。気が付くと及川の顔の至る所が白く凍っており、凍傷にかかっている。私が気をつけるよう告げると、及川も同じ事を私に言う。どうやらお互いが凍傷にやられていたようだ。

太陽がでる時間になると雲行きが怪しくなり、また雪が降り出した。1度目の挑戦で倒れたあたりだ。引き返すことも、検討しなければならなかったのだが、私も及川も、もうこの山に来たくないという気持ちが強く、山頂アタックを決行する。

何時間歩いたのだろうか、寒さのためか頭がボーッとしてしまい、時間の感覚がない。視界もガスのせいでほとんどない。ギーナの後ろ姿をただただ追うだけだった。

ギーナが突然立ち止まった。ふとみるとそこにポールやら旗らしい物が頂に刺さっていた。エルブルースの頂上であった。感動はない。早くこの寒さから解放されたいと切実に感じた。

 
 



11番小屋付近で。後方がエルブルース山頂上

すぐに下山を開始するが、視界が悪くてルートが分からず、見失う。及川がクレパスにはまり、次いで私も落ちた。幸いにロープで結びあっているので途中で止まるが、それでもやはり怖い。ジグザグに下りるうちに、ふとガスの合間から11番小屋付近の岩が見えた。なんとか11番小屋までたどり着いたが、皆疲れ果てていた。

内容はともかく6大陸最高峰に登頂した私の最終目標は、世界最高峰に絞られた。いよいよチョモランマ!大きな期待と不安が交互に入れ替わりながら、私は極寒の地、ロシアから離れた。

 

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