◇世界最高点へ(C4から頂上)

エベレスト南峰から、見た山頂。最後の難関、ヒラリーステップが目前に迫る。 |
頂上に向けてスタートする午後10時になった。真っ暗で月はない。ただ、空一面の星空が、晴天でること教えてくれた。しかも無風だ。
「これからアタック開始します」。BCに連絡を入れ、出発した。真っ暗な死の世界にヘッドランプの光のみで飛び込んでいかなければならない。野口隊、英国隊、ノルウェー隊の合計約20人が、ほぼ同時にアタックを開始した。暗闇のなかで動き回るヘッドランプの光が蛍を思わせた。酸素ボンベを毎分3リットルにセットし、ゆっくりと歩く。
視界はヘッドランプのごくわずかな光の輪のみ。馬の鼻のようなマスクを口に付けているため足元が見えない。また、ゴーグルを着用しているので両サイドも視界が限られる。風がないといえども8000メートルとなれば、寒さで肌が刺すように痛む。皆、酸素マスクを付けているので会話もない。ザクッ、ザクッとアイゼンが氷の斜面を踏み付ける音のみが響く。
なんともいえない孤独感。氷山が浮かぶ闇の北極海に1人沈んでいくような気持ちになった。ふと、映画でみた「タイタニック」が頭をよぎった。ばたばたと、凍り付く闇の海に放り出された人々の気持ちが、少し分かったような気がした。太陽がでるまでは我慢するしかない。黙々と歩くだけだ。なにも考えないように努力することにした。
出発して3時間以上たっただろうか。ヘッドランプの薄暗い光の中に、アイゼンを付けた人の足が浮かび上がった。誰か倒れてしまったのだろうか。目を凝らしてみると、胴体は雪に埋まっていた。足のみが露出している。遭難した人の遺体だった。
午前6時ごろ、待ちに待った太陽の光が出てきた。8時間暗闇の中を歩いてきたのだ。目の前にエベレストの南峰(8763メートル)がドーン、と現れた。ところが、雲の流れが早い。風も強くなってきた。慌てた。ここまできて撤退はしたくない。もう撤退する事など考えず、頂上を目指そう。
南峰直前からは、膝下まで雪に潜るラッセルが始まった。間欠的に睡魔に襲われ、意識が途切れそうになる。恐らく酸欠の影響だろう。また、一睡もせず、アタックを開始したから疲れが出てきたのかもしれない。私の前を歩いているシェルパの姿がダブって見える。目をつぶるとそのまま倒れ込みそうだ。
雪を手にとり顔面に擦りつける。そして、唇や舌を噛む。それでもダメならピッケルで額を叩いた。これはさすがに痛かった。その繰り返しで登り続ける。休むとそのまま寝てしまいそうだから、疲れていても休めない。やっとの思いで南峰にたどり着いた。ここで倒れ込むように、初めて座り込んだ。
前を見ると世界最高地点が飛び込んできた。時間を確認する為、時計を見る。針は午前7時15分を指している。もうとっくに午前10時を回っていると思い込んでいたのでビックリした。暗闇の中を永遠と歩いてきたからか、実際にかかっている時間よりも永く感じていたのだ。シェルパたちにも時間を告げると、彼等も驚いた表情を見せた。

ヒラリーステップを越える |

ヒラリーステップを抜け頂上直下に迫る。登頂を確信した。 |
ここから世界最高地点まで、ヒラリーステップと呼ばれる急峻な岩稜を歩かなければならない。頂上を目指すこのルート上で、最も危険な場所である。固定ロープは張ってあるが、風雪にさらされ、今にも切れそうなものばかり。滑る事は許されない。落ちれば、そのまま2000メートル下まで一直線。木っ端みじんになる。慎重に、細心の注意をして歩いた。
目の前の頂を登り詰めた。「登頂した!」と思ったら、その向こうにさらに高いピークが顔を見せた。いわゆる「ニセピーク」だった。こんなことを3回ほど繰り返した。
しかし、ついに頂上の直下にたどり着いた。今度こそ間違いない。登頂を確信した。
1999年5月13日9時30分、世界最高峰に登頂した。山頂では約10人のクライマーが万歳をしていた。3畳ほどしかない狭い山頂になんとかスペースを確保して体をもぐり込ませ、ザックを下ろした。
無線機を取り出し、BCに連絡を入れた。交信できるか心配だったが、BCマネージャの西尾さんの声がすぐに飛び込んできた。彼女の声の後ろからは、皆の喜びの声が聞こえてきた。

頂上での記念撮影。3回目の挑戦は快晴に恵まれた。 |
「自分がやったんだ。これでやっと堂々と日本に帰れる」
もうろうとした意識の中で、この時初めて実感がわいてきた。登山を始めて10年。エベレストには、このうち2年を費やした。「あー、長かった」と、しみじみと思った。
私を頂上へと導いてくれたシェルパ違と喜びを分かち合い、30分後の午前10時、下山を開始した。ガスが発生し、天候が刻々と悪化していくのが分かった。BCからもしきりに「はやく降りて下さい」と連絡が入った。
サウスコルから頂上まで11時間30分かかった。その事が頭を横切った時、とてつもなく遠くまで来てしまったというにようやく気が付いた。ここで天候が悪化すれば、私は帰れない。もう気持ちの迷いもない。黙々と足を動かし下り続けた。
午前11時、振り返ると山頂はもう雲に包まれ、見えなかった。天候が悪化しているのは、誰が見ても間違えようがなかった。
しかし、肉体の疲労は極限に達していた。最終アタックを開始してから、ほとんど何も食べていない。風と雪が吹き付ける中、へとへとになりながら午後2時半、ようやくサウスコルに到着した。
下山中に遭難した例はエベレストでは数多くある。無事であることをBCに伝えなければ、と思っていたが、テントに入ると同時に寝てしまった。BCではいつまでたっても私からの無線が入らないため、心配していたらしい。午後4時過ぎになって、連絡を入れていないことに気がついたシェルパが、BCに無事である事を伝えてくれた。
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