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大場満郎冒険学校に期待すること

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2001/07/15

大場満郎冒険学校に期待すること

 

大場氏の学校は広い野原にある
この学校にかける意気込みを語る大場氏。今回の原稿を読み返してみれば、私もその熱意に動かされたのかもしれない
大場氏に紹介されて壇上で…

6月24日、南北両極の単独徒歩横断を世界で初めて成功させた冒険家の大場満郎さんの次なる目標である冒険学校が山形県最上町に開校した。冒険学校は、「アースアカデミー大場満郎冒険学校」と名づけられ、学校の周辺は一面が山々に囲まれた野原。授業は主に農業体験や冬山登山になるそうだ。私はその開校式に出席した。

広く開けたその土地でこれから大場さんは、子供達に農業体験や厳しい冬山登山から肌で感じる自然の厳しさや、美しさを伝えたいと話す。私は大場さんのやろうとしている冒険学校に最大限の魅力を感じる。五感で物事を感じ取る事が出来なくなりつつある頭でっかちな日本の子供達にもう一度、心と体で厳しい自然と向き合い、その中から生まれるであろう仲間との絆を築いてほしい。

私はこの2年間、日本中の小中高学校を講演して歩いたが、一番感じられたのが子供達の表情の乏しさであった。若者の無鉄砲なまでの勢いが感じられない。そして団体生活ができない若者。自分勝手で人の事などおかまいなし、勘違いした個人主義がはびこるようになってしまったのも、結局は人々が人間関係を築けなくなってしまったからじゃないだろうか…。

過剰な親の過保護の元で子供達はモヤシのようにひ弱になり、我慢を教えられないまま成長し、些細な事でぶち切れ大人顔負けの罪を犯すようになる。子供は子供の過酷な世界で、時にはいじめられ屈辱にまみれる事も必要だ。

いじめは子どの世界に限らず大人社会でもさらにえげつなく形を変えて存在する。その陰険な世界の中でどれだけ自分の行き方を貫き通せるのか。これは人生を賭けた戦いだ。

皆社会に入っていけば嫌でも戦わなければならない。強さをもたなければいけない。子供の頃にはいじめられ、いじめ返し、殴り合いの喧嘩もあれば、卑怯ないじめもあるが、そこで強さも心の痛みも理解できる。子供の世界では子供自身が解決しなければならない事が沢山ある。しかし、親が過剰に子供を過保護に育てるが為に自身で困難に立ち向かうすべを知らない。そして、子供達が友達とのつながりを避けるかのように、自分の部屋に閉じこもるようになる。公園でも子供達の遊ぶ姿を目にしなくなりつつある。先生も本気で子供達と向き合わない。

私は「落ちこぼれてエベレスト」なる本を書いたが、このタイトルの影響か、講演に呼ばれていく学校の多くが荒れ果てている。校長先生が真っ先に「うちの生徒は人の話を静かに聞けませんが、1つよろしくお願いします」と言う。

あえてきつい言い方をさせてもらえば「わが学校の生徒は質が悪いがまあ~よろしくたのみまっせ!」と第三者の私に向かって自分の生徒を否定するような、責任を放棄している校長が校長としてその地位に甘んじていることに憤りを感じる。

講演が終わったときにはその学校の教師が不思議な顔をしながら
「野口さんのお話に生徒が釘付けになっていました。あんな真剣な生徒の顔見たことありません。ビックリしました」
とよく言われるが、私はそのような教師に
「それはあなたが本気で生徒と向き合っていない証拠ですよ」
と思わず本音を吐き出してしまう。そして、その私の発言に唖然とする教師になんとも情けなさを感じる。

ある時、不登校児に悩まされた校長が私にこう言った。
「いや~野口さん、今の子供はよく分かりません。我々は苦労の連続ですよ。これじゃ教師になりたがる人も減るでしょうなぁ~」
私はこの校長をぶん殴ってやりたかった。大人が子供に対してさじ投げてどうするんだ!バカヤローと怒りがこみ上げた。

私は今でも高校時代に先生にぶん殴られて流した涙のことをよく思い出す。落ちこぼれになり荒れ果てた時に私を救ったのが、担任の信岡先生のパンチであった。殴られながら、このヤローと信岡先生の顔を睨みつけたら、信岡先生も目に涙をためながら私を殴っていた。突っ張っていた僕が、初めて先生に負けた瞬間だった。腕力に負けたんじゃない。大の大人が本気で僕と戦っている姿に負けた。痛かったけどどこかで嬉しかった。

自分の為に最後まで諦めずに戦ってくれた先生の姿に思わず涙が流れた。その先生との出会いがその後の私の人生を大きく変えた。

山に登るようになってからも、試練の連続であった。97年にチョモランマに初挑戦したが、あっけなく敗北。98年の再挑戦では山頂直下で悪天候の為に撤退。莫大な借金を抱え、また失敗が続くにつれ声援が批判の声へと変わっていった。しかし、その逆風の中で耐えた。自分の成功を最後まで信じた。そして3度目の挑戦でやっと世界最高峰を足下にした。世間の私への評価が一変した瞬間でもあった。登頂し帰国した私をまっていたのは拍手の嵐だったが、一番苦しんでいた時に振り向きもせず、冷たかった世間の変貌振りに世の中の厳しさを知ったのもこの時だ。

チョモランマでは絶えず自分の判断が求められた。98年、山頂直下で突然の嵐に、迷いに迷った。1時間半もの間、顔面を凍傷にやられながら、頂上アタックを決行するのか、それとも断念して下山するのか悩んだ。しかし最後は生きて戻る事を優先し登頂を諦めた。あの状況を思えば正しい判断であっただろうが、帰国した私にはまたしても失敗とのレッテルが貼られた。厳しい自然環境の中に身をおけば、人間本来の本能だろうか、生への猛烈な執着心が芽生える。生きるための戦い、死の世界からの脱出であるが、人間はそのような危機に迫った時にこそ逆に生き生きする。生きている事の実感、いや生きていられることへの喜びと同時に死んでたまるかと、本気で戦うのだ。

冒険とは厳しいいかなる状況においても最後まで生き残る行為そのものが冒険じゃないかと思う。

目標もなくひたすらぐれていた私を生きることに本気にさせたのが戦ってくれた先生との出会い、また死という究極の危機感を身を持って感じさせ生き残る事の難しさを教えてくれたのが山だった。

大場さんの学校の話から少しずれてしまったが、大場さんには冒険学校で子供達に自然のなかで生きることの苦しさを体験させてほしい。

その苦しさの中で、仲間と助け合いながら最後まで諦めない我慢強さを身に付けてほしい。日本の学校がまた家庭での教育が失いつつある、生きる事に必死になるような、ときには危機感をも体験させてほしい。

過剰な過保護、意味を取り違えた人権に真っ向から戦ってほしい。大場満郎氏なら本気で子供達と向き合える。熱い情熱が大場さんにはある。私は大場冒険学校を応援したい。また私も参加したい。素晴らしい学校になってほしい。日本の子供に豊かな表情を取り戻してほしい。

そして私自身も近い将来、環境教育を取り入れた野外学校を青森県十和田湖周辺に作りたいと思っている。

 

大場満郎氏のホームページ 

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