5月14日、キャンプ3周辺の清掃活動を終え、15日は最終キャンプ(サウスコル8000m)へと向かう。天候は朝から不安定で雪に強風、ベースキャンプでは昨夜から大雪に見舞われたらしく、
「野口さん、天候大丈夫ですか!」
と何度か連絡が入る。グルジア隊員のギーアはこの日にローツェ峰にアタックを開始し、悪天候でのアタックに心配する。

 午前6時30分、キャンプ3を出発。ローツェフェースをトラバースしながら、高度を少しずつ8000mへと上げる。酸素ボンベを担ぎ、酸素吸入しながらの登山だが、それでも息が切れる。今日中にサウスコルを清掃し、キャンプ2まで下らなければならないので、急がなければならないのだが、体はなかなか動かない。時より吹く地吹雪に気分が萎える。村口・渡辺・野口・シェルパ1人の計4名でもくもくと登る。63歳の渡辺さんの足取りは驚くほど軽い。僕と村口さんが置いて行かれてしまう。すごい63歳だ。

 キャンプ3を出発してから3時間ほど経ったのか、雲の上にでた。その途端、さっきまで寒かったのが一気に灼熱地獄! 太陽光線が足元の氷から照り返され、顔面の皮膚がジリジリと焦げ付くような熱さに襲われる。極度の寒さに暑さ。その繰り返しに体が拒絶反応おこす。サングラスは曇り、よく前方が見えない。また、酸素マスクが大きすぎて、足元もよく見えず、視界が良く効かない状況での登山にストレスがたまる。

 午前1時、サウスコル到着。3年ぶり、3度目のサウスコル。8000mはすぐ目の前。昨年はチョモランマで体調を崩し、7000mが最高到達高度であっただけに、今年は目標のサウスコルまで来られたことが、素直にうれしい。

 先に到着していたシェルパから2体の遺体があると報告を受けていた。99年、エベレストアタック前にサウスコルに来たときに我々のテントのすぐ裏に17年前に遭難死したシェルパの遺体が横たわっていた。3年前と同じようにその遺体があり、我々は検討した結果、遺体回収を困難と判断し、サウスコルの端に埋葬することにした。

 シェルパの遺体に僕のシェルパが石を投げつけ、つばを吐きかけている。驚いて、
「何しているんだ!」
と彼に聞けば
「悪い霊を追い払っている。遺体を触る前には、こうして石を投げるんだ!」
との返事。クライミング・シェルパにとって山での死は他人事ではない。遺体に石を投げるのも、彼らなりの死に対する必死の抵抗のように感じられた。遺体に無数のロープが結び付けられ、4~5人で遺体を引っ張る。ガレ場だけに、石や岩に遺体がぶつかり、なかなか引っ張れない。また、酸欠も手伝い、遺体を引っ張っている僕自身が遺体になりそうなほど、息が上がってしまった。

 サウスコルの端までなんとか、遺体を移動したら、そこでまた別の遺体を発見。頭部のみ白骨化した遺体。シェルパの話では92年に遭難死したインド人の遺体だとか・・・。サーダのダワタシは92年インド隊がサウスコルで遭難した際、たまたま別の登山隊のサポートでサウスコルにいた。ダワタシは夜中に、泣き叫ぶインド人の声を聞いている。救助に向かおうと思っていたら、インド隊員がダワタシのテントに救助を求めてきた。その10分後、インド隊のほうから、
「すでに仲間が死亡したから救助はいらない」
と連絡が入る。インド隊はよく早朝、登頂を諦め、遺体を放置したまま下山していった。

 午後10時、ダワタシがテントから顔をだし、ふと遺体のあるほうに視線を移したその時、彼は思わず悲鳴を上げてしまったという。なんと、死亡したはずの、インド人の両腕が動き出したというのだ。なにかを探しているかのように、両腕が空をつかもうともがいていたのだ。シェルパ達は怖くなり、遠回りしてサウスコルから逃げるように下山した。仮死状態だったのか、インド人は死亡していなかった。その後、そのまま放置され、10年たった今、そのインド人は遺体として発見された。頭部はカラスに突付かれたのか、完全に白骨化していた。その白骨化した顔面の表情からは無念さがにじみ出ていた。今まで何度となくヒマラヤで遺体を見てきたが、このインド人の遺体ほど恐怖を感じたことがなかった。

 シェルパとインド人の遺体の上から石を載せ、埋葬をすませた。1つ間違えれば死の世界がいとも簡単にやってくるヒマラヤの世界。いかなる状況に追い込まれようとも、最後の最後まで生き延びるための努力を怠らないのが冒険だ。埋葬された遺体に手を合わせながら「生きてこそ」冒険の意味があると自分に言い聞かせていた。

 一時間ほど、サウスコルに滞在し、キャンプ2へと向けて下山を開始した。午後6時45分、フラフラになりながらキャンプ2に到着。グルジア隊員のギーアは午後4時にローツェに登頂。しかし、下山中に悪天候に見舞われ、ほとんどギーアとの無線連絡が通じず、捜索隊派遣の打ち合わせまで行われた。キャンプ2でも午後8時過ぎには吹雪となり、我々は、無言の無線機の前で待機するほかなかった。

 午後9時30分、ギーアから
「最終キャンプに戻った」
と連絡が入り、一安心したが、実はギーアが僕らを安心させるために嘘をついていた。実際は最終キャンプに戻ったのは午後11時45分であったのだ。極めて危険な状況で無事に生還したギーア。ヒマラヤ登山の厳しさを嫌というほど実感した一日であった

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