2002年シシャパンマ , ヒマラヤ

2002/09/12

ABCは遠かった

 


 ベースキャンプを出発したくても、なかなかヤクに荷を詰めない。チベットのヤクは元気がいい。跳ねるは、頭を威嚇しながら角を振るはで、ヤク使いのチベット人もなかなか近づけない。結局、ベースキャンプを後にしたのは午前10時30分。目に前の川を渡らなければならず、靴を脱ぎ川の中へと入っていったが、氷河から溶け出したこの水はめちゃくちゃ冷たく足の指先がキーンと痛んだ。
だだっ広い高原をひたすらシシャパンマへと向かって歩くが、全然近づいてこない。そしてお決まりの雪が降りだす。雪の中、ヤク達と歩いていたら、今後の展開について色々と考えてしまった。パッと頭を切り替え
「日本に帰ったらなにが待っているんだろうか」
と、楽しいことだけを考えるようにした。途中で高畑隊員が遅れ、デンディシェルパが彼についた。いくつもの、モレーンを越えるが全然、ABCが見えてこない。氷柱群が表れその美しさだけが救いだ。

 午後5時30分、ABC着。目の前のシシャパンマは雪に覆われ真っ白。どう見ても雪崩れ多発地帯にしか見えない。サーダのニマ・オンチュウの顔を見たら彼も同じ事を思っているに違いない表情をしていた。
「シシャパンマ」

「雪崩れ」
僕にとってはこのシシャパンマ挑戦は弔い合戦でもある。

 今から6年前の今ごろ、僕の命の恩人がこのシシャパンマで雪崩れに巻き込まれ亡くなった。彼の名前はギーナァ。僕がヨーロッパ大陸の最高峰であるエルブルース峰に彼と挑戦し、しかし、高度障害でアタック中に意識を失った僕の体をギーナァが山頂直下から担いで下ろしてくれたのだ。その彼がこのシシャパンマで雪崩れで亡くなったのだ。その悲しい知らせを聞いた時に
「いつかシシャパンマに行く」
と、心に決めていた。あれから6年。ABCからシシャパンマを眺めながら
「ギーナァはこれにやられたんだ~」
と気持ちがグッと引き締まった。

 高畑隊員とデンディシェルパがいつになっても、ABCに着かない。チベット人にお願いし、馬で彼を迎えに行ってもらった。それから数時間後、彼はABCに着いた。
「遅れました~ すみませ~ん 体調が悪くなりました。高山病です~」
とまたまた悲しげな表情。しかし、この短期間でこの標高まで登ってくれば誰でも体調を崩す。
「体調を崩すのは当たり前なんだから気にするなよ」
と伝えた。以前、高畑隊員はアドベンチャレースに参加し、チベットに来たことがある。その時もチベット高原で高山病犯され1人、馬に乗せられたことがあったそうだ。その屈辱がいまだに抜けていないみたいだ。でも、人間の体なんかそんなもんだ。酸素がなければ当然、あちらこちらに障害がでてくる。僕なんか、ここ数年、どうも記憶力がなくなってきたような気がする。この間なんか友人と寿司を食べに行ったんだけど、その彼女が美味しそうに食べているその寿司を見てたら自分も食べたくなって
「それ、なに!俺も食べたい」
と、言ったらその彼女がキョトンとした表情で
「ケンさん、たった今、同じ物を食べたじゃない!」
と言われたがどうにも思い出せない。数分前の事なのに・・・。高所の影響かそもそもそれが自分の体質か分からないが、しかし、年々、高所に行くと自分の体が衰えているのが分かる。そもそも高所登山は不健康だ。ゆっくりゆっくり体を慣らしながら最後は体をごまかしていくしかない。早く日本に帰って温泉にでも浸かりたいな~

 

 

 

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