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トレーニング・体調管理

断食生活からのある気づき

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2004/05/16

断食生活からのある気づき

ゴールデンウィークに日本にいるのも何年ぶりだろうか。この10年間でヒマラヤ遠征は27回を超えた。私にとってこの時期(3~5月)にエベレストにいないのがなんとも不思議で、今頃多くの登山家があのエベレストの過酷な状況の中で、果敢に登っている姿を想像してみればこそ、今こうして安全地帯で過ごしている自分がなんだか警察に追われている逃亡者のように感じられてしまうのが、いやはや、なんとも不思議な感覚です。

 実はこの春にヒマラヤ遠征を計画していた。しかし、昨年の秋ごろから体調不良が続き検査してみたら医師から「あなたの血は汚れてドロドロしていますね。これでは人に輸血することもできませんよ。タバコを吸っていませんか? ストレス抱えていませんか? アルコールを飲みすぎていませんか? 大病するまえに治さなければいけませんよ」と指摘された。そういえば昨年の秋ごろからタバコについ手を出してしまい、晩酌しなければ寝られなくなった。
 朝の起床もだるく、午前中は頭が重くて仕方がなかった。そしていつまでも続く疲労感。ストレスもなかったといえば嘘になるだろう。身の回りの状況が大きく変化したし、一気に色々なことが起こりすぎていた。嫁さんからは「最近、言葉が聞き取れない。どもりが酷い」と指摘されていたが、これは私の健康や精神状態を知る上でのバロメーターらしく、イライラや体調不良が続くと自分では気がつかないのだが、どもり始める傾向があると親にもよく言われていた。

 ちょうどその頃、ある雑誌に私の顔写真が掲載されたのだが、偶然それを目にした友人からメイルを頂き「酷い顔していた。生気がない。なんだか老け込んだなぁ~」と言われた。これは挑戦者として大ショックだった。今年は都レンジャーが始まる。全国での自然学校もスタート。また世界規模で環境を捉えるべく、できるかぎり世界各地に出かけたい。登山家として遣り残したことへの挑戦もある。この際、春のヒマラヤ遠征は中止し、思い切って転地療養を行うことにした。

 ある方の紹介で伊東市にあるヒポクラティックサナトリウムという断食を行う保養所に入った。院長はテレビでもよく見かける石原結實先生(イシハラクリニック院長)だ。
 石原先生は、にんじんジュースなど、東洋医学を取り入れた独自の食事療法を指導されることで有名。一日9杯のにんじんジュースと生姜湯、具なしの味噌汁1杯で過ごす。施設はゴルフ場に囲まれており、早朝にその周辺を散歩、午後にはスポーツジムで汗を流す。夕方は温泉にサウナ(保養所以外の温泉も使用)、そして体に生姜湯に漬かした湿布を背中とお腹に巻きつけることにより浄血器管である肝臓や腎臓の動きを活発化させ毒素を排除するといったメニューを毎日繰り返すのだ。

     

 石原先生のお話の中で印象に残ったのが「人間の歯は32本のうち、20本が臼歯(穀物食用の歯)、8本が門歯(野菜・果物・海藻用の歯)、4本が犬歯(魚・肉用の歯)であるところを見ると、人の食物は90パーセント近くは、植物性を食べるようにできている。」
 確かに、ライオンのような肉食動物は尖った歯しかもっていないため、草は食べられず、肉しか食べない。石原先生の話では「ヨーロッパではほとんど野菜が取れなかった。だから仕方なく狩猟をして肉食生活を始めた。そのヨーロッパ人の食習慣を基盤に作られた「栄養学」が戦後の日本で定着してしまった」とのこと。

 確かに北極圏に住むイヌイットがアザラシなどの生肉を食べるのは、野菜がないので、その代わりに生肉の中にあるビタミンを補給するためだ。以前、白人が北極圏を冒険し生肉を食べているイヌイットを見て野蛮人と決めつけ「生肉を食べる野蛮人」といったような意味合いでエスキモーと呼んだようです。しかし、皮肉なことに、野蛮人だと生肉を口にしなかったその白人らは、ビタミン不足で壊血病に犯され、歯ぐきから血を流しながら死んでいったそうな。イヌイットが生肉を食べるのにはちゃんとした意味がある。その土地で生き抜いてきたスペシャリストからなんら学ぼうとしなかったどころか、野蛮人だと差別した西洋人らのおごりが招いた哀れな結末でしょう。

 たかだか、4本しかない犬歯で毎日のように肉を食べるのはやはり無理があるのだろう。「この食い違いにより、血液中の成分の過不足や老廃物の増加を起こして血の汚れが酷くなる」との石原先生の指摘には素直に納得させられた。

 断食5日目を過ぎたあたりから自分の吐く息の臭さに驚く。尿の色も濃くなり、8日目には宿便の排泄、汗もベタベタし、口の中は唾液がネトネトとなり、舌が黄色っぽくなる。
 断食によって血液中の老廃物や汚れが分泌、排泄されていく過程だとのことらしいが、汚いものがどんどん自分の体から排泄されていく経験は毎日が驚きの連続だ。異臭が漂う自分の部屋にいると、いかに日ごろの不規則な生活で血液を汚してきてきたかを実感する瞬間でもある。

 そしてなかなか寝つけなかったのが断食中はびっくりするほど寝られた。よくお坊さんが悟りを啓くために断食を行うが、断食中は脳波にα波が出るからだという。α波が
出てくると、自律神経のうち交感神経(緊張の神経)の動きが抑制され、副交感神経(リラックスの神経)がよく働くとの説明。
 事実、東京にいるときは、休みの日でもどうしても仕事のことばかり考えてしまう。嫁さんにも「こんなに仕事人間だと思わなかった」と愚痴(?)られたりする。しかし、断食中は緊張感もなくなりボケーと、心底リラックスしていた。こんなに安らいだのはいつぶりだろうか。記憶にない。

 僕にとって「断食」のイメージは「ラマダン」だ。子供のころエジプトで過ごしたことがある。「ラマダン」とはイスラム教徒は毎年、行う一ヶ月間の断食のこと。断食といっても太陽が出ているときだけで、太陽が沈めば断食解禁となる。貧しい人の気持ちを理解するためだとか、食べ物のありがたみを感じるためだとか、エジプト人が僕らに説明してくれたが、しかし、まか不思議なことに食費が通常の時よりもラマダン中のほうが遥かにかさむ家が多いとか。夕方になると腹をすかせたエジプト人が急いで家に帰ろうとするため、交通事故が増える。そして太陽が沈めば、食えや飲めやで毎日のようにパーティーが開かれたりする。夜中までドンチャン騒ぎ。全てではないにしろ僕の目にはお祭り騒ぎとしか映らなかった。

 ラマダン中に、昼間にレストランに入ろうとすると、外国人証明書(パスポートなど)の提示が必要な場合がある。あるとき父が外国人証明書を忘れてしまい、レストランに入れてもらえなかった。「どうみても日本人だろ!我々はイスラム教徒じゃない!」と文句を言ってみても「証明書がなければダメなものはダメ」と頑なに入店を断られた。
 レストランを覗いてみたらサウジアラビアや湾岸諸国の金持ちアラブ人がエジプトに遊びに来て昼間からレストランでビールを飲んでいたので、短気な父がプッツンと頭にきて「彼らはアラブ人だろ! イスラム教徒だろ! なんで彼らが昼間からビール飲んでいるのに我々は食事もできないのか!」とけちをつけたら、「あれは外国人です」と言わた。
 「それでいいの?」とその金持ちアラブ人に声をかけてみたら、「旅人はラマダンを免除される」と嬉しそうに酔っていた彼らの顔が忘れられない。なんのことはない、ラマダンを免除されるための旅であったのだろう。そんな光景を毎年のように見せつけられていたのでアラブ全体の現象とは限らないものの、断食のイメージそのものがうさん臭かったものです。

 しかし、実際に断食を経験してみると 自分の体の変化なりがよく感じられ、いかに自身の肉体を理解せず無頓着であったかを気がつかされる。そして医学的なことはよく分からないが、朝目覚めたときの爽快感はなんともいえなく気持ちがいい。心身共に浄化されたことが感覚で伝わってくる。腕や股にできていた蕁麻疹がいつの間にか消えていた。そしてなによりも日ごろ無意味に必要以上に食べ物を口にしていたことを痛感させられた。
 「食事が始まったらゆっくりと何度も噛むようにしてくださいね」と指摘されたが、こればっかりはなかなかな治りそうもない。育ちが悪いのか食事のときも気がつけば自分の皿のおかずがなくなっていることがある。「あれ、俺ここにあったの食べたっけ?」と周囲の人が唖然と驚くことが多々ある。不思議なことに本人が自覚していないまま、食べているんだか、飲み込んでいるんだか分からないうちにちゃんと自分の胃袋に収まっているのだ。

 ただでさえ肉体を酷使してきた。エベレスト清掃登山でも一緒に頑張ってくれた仲間3名が清掃活動後に病で命を落とした。自分も入退院を繰り返した時期があっただけに低酸素や気圧の変化、そして極度の渇きから起こる脱水症状の怖さは理解していたつもりだった。日本に帰国して検査するたびに血液がドロドロしていた。時に顔色も土色になり、オイル交換をしないまま何万キロも走った車のように、体が重くだるく、体調不良と共に気力までもが衰えているのを把握しながら無理やりアクセルを踏みながら人前に出るのが正直辛かった。
 時間がとれないからとそのまま突っ走ってきたが、一つしかない体だ。我がままを承知の上で断食のために長期間スケジュールを空け、東京を離れ伊豆の山の中で過ごしたこのひと時はいままで感じたことのない時間の流れであり、余裕のなさからか今まで見えていなかった部分や新たな価値観が芽生えたような実に清々しく新鮮な体験であった。エベレストや富士山をきれいにするのもいいけれど、その前にまずは自分の体内をきれいに掃除しておけってことです。

 そしてきれいな体を作るためにはきれいな食物を摂らなければならない。きれいな食物を食べるためにはきれいな農業がなければならない。化学肥料や農薬の多投によって土壌が汚染され、また人体への危害が問題視されている。環境問題の中には当然「食の安全」が大きく関わってくる。口に入れる食物までが低価格競争の論理で繰り広げられ、その結果大量生産、大量消費が生み出した輸入依存症となっているが、本当にそれでいいのだろうか。
 農業に対してど素人の私でさえ首を傾げてしまう。人が生きていくうえで原点となる農作物がどのように作られていくのか、そしてどうあるべきなのか、伊豆の山中でふとそんなことを考え始めていた。

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