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政治 , 橋本龍太郎氏と

龍さん、山で会いましょう

政治 , 橋本龍太郎氏と

2005/09/12

龍さん、山で会いましょう

  自民党圧勝のこの度の衆議院選挙。私は小池環境大臣の応援演説で小池さんと商店街を歩き、街頭演説も、初めて選挙カーに乗り組み、ウグイス嬢が「小池ゆりこ 小池ゆりこ」と連呼するマイクを奪い「みなさん、富士山はごみだらけ。富士山に限らず日本はごみ、ごみ、ごみ、ごみ列島日本です。郵政民営化も改革ですが、環境問題も改革必要です。小池ゆりこさんと一緒になって日本の環境問題取り組みます。小池ゆりこさん、よろしく。アルピニスト 野口健でした~」といきなり甲高い早口の声が選挙カーから流されるので通行人が「えっ なんなの今の」って顔しながら足を止め不思議そうに選挙カーを眺めるのが、おかしかったが、これで果たして応援になるのか不安であったが、とにかく小池さんには再び環境大臣として日本の遅れている環境行政をさらに改革してほしいと無力ながら応援させていただいた。その小池さんが圧勝しなぜか私が選挙事務所で万歳三唱させて頂くこととなり、できるだけ目立たないように端っこで「バンザイ・バンザイ・バンザイ」をさせて頂いた。よほど嬉しかったのか小池さんの後ろでバンザイしている自分の全快の笑顔を新聞で見て恥ずかしかった。

 小池さんの勝利に心底喜び家に帰って一人祝杯をあげたが、酒を飲みながらこの選挙に出馬せず引退した橋本龍さんの事を考えていた。岡山県、倉敷市が龍さんの地元であり、前回の衆議院選挙では龍さんに自分からお願いして応援演説させていただいた。あれが最初で最後の龍さんへの応援演説になるとはあの時思いもしなかった。これも1つの時代の流れなのか、分からないものだなぁ~としみじみ食卓の横の額に飾ってある龍さんと二人で写っている写真を眺めていた。昨年、橋本派による不正献金問題が世の中を騒がせた。その渦中の一人が龍さん。連日の報道は正直辛かった。真相はどこにあるのか、龍さんからも国民が納得するような言葉がでなかった。政治家である以上、説明責任はついてくる。どうしてあえて世論を挑発するようなあの独特な言い回しをあえてするのか。「客観的に見れば事実でしょう」とまるで人ごとかのようなあの発言。国民が怒るのも当たり前。その後、ソトコトという雑誌で橋本龍さんとの対談が続いたので、何度か橋本事務所に通った。



 帰り際、秘書の方に「なんで記者会見させないの?そのほうが橋本さんらしいと思う」と生意気にも意見したら「本人はやりたがっているが、でもそうさせてもらえない」と政治の世界は複雑なのだろうなぁ~とただ疑惑の渦中にあり続けながらも貝にならなければならない身になれば、さぞかし、もどかしいだろうと思い、また早くスッキリさせてよ!と心底残念でならなかった。あれだけの報道があったわけで、何もなかったはずもない。そして「小選挙区からもう立候補しません」と橋本龍さんの責任の取り方となった。父、龍伍氏から引継ぎ60年以上守り続けてきた選挙区を手放すのはさぞかし重たい決断だったと思う。今回、次男の岳氏が倉敷から立候補したが、橋本龍さんは最後まで反対した。息子には政治家になってほしくなかったのだ。

 私が橋本龍さんと始めて出会ったのが2000年6月。エベレストで回収した日本隊のごみの中に88年の日本隊のものが多く名誉隊長だった橋本龍さんの事務所にごみであった酸素ボンベを届け「橋本先生の12年前の忘れ物を届けに参りました」と本人にそのボンベを差し出したら、怒ると思いきや「確かにこれは我が隊の物です」と頭を下げられた。日本の山岳関係者から色々なプレッシャーをかけられていただけに最高責任者であった橋本龍さんが素直に「申し訳ない」と言葉をかけてくれ、それからエベレスト清掃活動に協力してくれた。私にとって山の先輩であり、そして影で支えてくれた恩人でもある。「若い野口君が我々が残してきたごみを回収してくれている。感謝しなければならないのに、どうして邪魔するんだ」とかばってくれた。

 一緒にネパールにでかけ、土砂崩れの現場を視察したり、橋本龍さんが支援してきたカトマンズ唯一の小児科病院にも出かけた。橋本龍さんもまた徹底した現場主義であった。小児科病院での出来事が橋本龍さんを象徴していた。病院の中で周りに記者がいないのを確認すると、全身がチューブだらけになっている赤ちゃんを抱えながら目を真っ赤にしながら、「助けなければいけない」とポツリと言っていたが、病院を出るときに記者に囲まれたら突然憮然とし記者を寄せ付けずに車に乗り込んだ。「なんでいつもそうなんですか」と本人に確認したら、「あくまでも個人で支援してきた病院だ」とピシャリ。その辺りの政治家ならば、赤ちゃんを抱っこしているところを写真にとらせ、いいことしているだろうとパフォーマンスするところだろうが、彼はそうゆう行為をもっとも軽蔑した。仮にパフォーマンスでなくてもそう受け取られる事が大嫌いな人だった。僕はそんな彼が好きになった。橋本龍さんを最も象徴するエピソードがある。

 父、龍伍氏が突然亡くなり、父親の地盤を継ぎ昭和38年11月に初出馬したときの話。橋本龍さんの父、龍伍氏が亡くなって一年を経過していたため同情票をあまり計算できない、また同じ選挙区から江田三郎という社会党の大物が立候補していたので、この新人候補の選挙参謀として自民党青年局長の竹下登氏をあてた。竹下氏が橋本龍さんに演説案を用意した。そこには「いまこうして私が皆様のご支援を訴えて回っている途中、ふと瀬戸内の空を見上げると、雲間に亡父、龍伍の笑顔が浮かび、私に語りかけてきます。「龍太郎、お前は私と違って健康に恵まれている。それを思えば、どんなに苦しくても戦い抜けるはずだ。けっしてくじけてはならない」と・・・。」と書かれてあったが、新人候補の橋本龍さんは「そんなお涙頂戴の演説をするのは、私の知性と教養が許しません」とピシャリ断ったのだ。26歳の政界デビューする前の橋本龍さんの姿だが、竹下氏の著書に書かれてあるエピソードを読みながら今と全然変わっていないなぁ~とおかしかった。

 橋本龍さんの父、龍伍氏のエピソードもなるほど親子だと思った。龍伍氏は小学生の頃に結核性腰椎カリエスにおかされた。中学生の頃から闘病生活に入り、学校に通えなくなり独学で勉強し、検定で開成中学校を卒業。その後、帝国大学を受験しようと願書を提出するものの、当時は身体障害者に対して国立大学への道が閉ざされていた。慶応に入学したと同時に文部省通いが続く。「足が不自由だからといって受験させないのはおかしい」といって文部省の玄関に座る込み抗議を続けた。そして半年間続けたら文部大臣との面会を許され直訴したら、その翌年から受験の認定制度が改定され、自分で行動できる障害者にも国立の高等学校、大学への受験資格が与えられた。



 その後、政界入りした龍伍氏は新人議員ながら厚生大臣に起用された。昭和27年、当時の閣議で戦死者の遺族補償問題が議論され、厚生大臣であった龍伍氏が「きちんと補償するべき」と遺族年金を要求したが、池田隼人大蔵大臣に「財源がない」といって予算額を大幅に削った。そこで吉田茂首相に「遺族年金の財源を確保してほしい」と判断を迫ったところ、吉田首相は「現状をみるに池田君のいうことが正しい」と裁断を下した。龍伍氏は「こんな内閣では大臣を務めるわけにはいかない」と飛ぶ鳥を落とす勢いであった吉田茂首相に辞表を叩きつけた。鼻っぱし強い、負けん気な性格は息子龍太郎にもしっかりと引き継いだ。

 2003年、橋本龍さんの最後となった選挙応援に駆けつけたが、地元の県議の先生方が「橋本龍太郎先生が、当選せれればこの倉敷に貢献してくれる。まだまだ道路も作らなければならない。橋本先生が地元に仕事を持ってきてくれる!」と支持者相手に応援演説をぶっていたが、最後に張本人の橋本龍さんが演説を行うのだが、その県議の目の前で「私は必要でないものは作りません!」とピシャリと言い切ってしまった。会場にはどうみても土建関係者だと一目見て分かる人たちが大勢いようと橋本龍さんには関係なかった。そして長々と国際情勢の中で日本がどのように立ち向かっていくのか、おそらくその会場にいた人たちにはさほど興味がないような国家論、政策を訴えていた。正直、よくこれでこの人、勝ってきたな~と不思議であり、橋本龍さんにいとも簡単に否定されたその県議の明らかにムッとしている顔がおかしかった。後に岡山県在中の土建関係者が「龍太郎は地元業者を大切にしなかった。橋本ロードも橋本ブリッジもない。広島行けば亀井静香の亀井ロードも亀井ブリッジもある。新潟の田中角栄だってそりゃそうとうなものだよ。龍太郎は地元の事よりも福祉のほうが大切だったんだろう。あれで龍太郎もよく当選してきたと思うよ。地元じゃ婦人のほうが人気あったよ」と漏らしていた。

 今回の選挙で私は岳氏の応援演説も行った。橋本龍さんの息子だから無条件にしたわけじゃないし、これも私から応援させてほしいとお願いした。応援するからには責任もある。郵政民営化も元は龍さんが始めたもの。96年に首相に就任すると「6大改革」を掲げて行財政改革を進め、中央省庁再編などの実績を残した。消費税の税率を3パーセントから5パーセントにアップし、政府内では今でも「大英断だった」と評価されている。1997年、郵政三事業の一部民営化を行う。息子、岳氏もその影響があったのか学生の頃から国鉄民営化や米の自由化などの研究を行い数々の論文を世にだしてきたからだ。よく世襲議員が批判される。しかし、僕もそうだけど子供は親の影響を受ける。岳氏が親の姿を見ながら自分も改革したいと思うのはごく自然な流れで父、龍太郎氏から反対されても、橋本派の不祥事の後の逆風の中で出馬した彼の気持ちはよく分かる。強い気持ちがあれば二世だろうが三世だろうがいいじゃないですか。小泉総理だって二世、地元のしがらみどころか、自民党ぶっ壊すといって改革しているのだから、本人次第だと思う。
岳氏と街頭演説を行いながら台風の雨の中ずぶ濡れになりながら、倉敷の街中をあるいたが、再び県議の演説が始まった。「岳のおやじ、龍太郎は倉敷の土建屋を大切にしなかった。岳にはやらせます!」と演説するのだが、岳氏は顔を真っ赤させながら最後まで首を縦には振らなかった。その様子を横で眺めながら、ホッとし、応援しにきて良かったと思い、また岳氏もこれから大変な世界で闘っていくのだなぁ~と、ただこれもまた受け継いだ血であり宿命なのだろうと同年代の彼を応援していた。

 橋本龍さんは政界からは引退したけれど、まだまだ龍さんの役割は終わっていない。特に日本は外交面で弱い。現職議員からついに国際的に通用する元総理がいなくなってしまったが、中曽根さんのように民間人となっても国の為に貢献していただきたい。日本には政治屋が多い中、橋本龍さんは根っからの政治家だった。仕事師と呼ばれてきた男だから、これからも得意分野の外交、環境、福祉、思いっきり取り組んでいくのでしょう。私はこれからも特に環境の分野で橋本龍さんと連携していく。教わること、まだまだ沢山あるし、あの仕事に対する姿勢、一社会人として龍さんを見習いたい。

 そのうち、龍さんの時間ができたら好きな山に一緒に登りましょう。それと富士山の清掃活動にも参加してもらいますよ!

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