テレビ関連 , 戦争 , 橋本龍太郎氏と

2006/07/09

インドから帰国

 今朝、インドロケから帰国。それにしても暑かった。また雨季の真っ最中で毎日が雨。インドカレーのルーツを探る旅でしたが、このタイミングで日本を離れたのはある意味、良かったのかもしれない。インドで橋本氏のやり残したこと、また言い残したことを色々と考えてきました。私なりに色々と感じるもの、また見えてきたものがあります。そして残された私達、いや私自身が取り組まなければならないこと、やらなければならないことを、1つ1つ頭の中で整理してきました。橋本氏との突然の別れは私の今までの人生の中でもまた特に苦しい出来事でした。「おやじ」だと思っていたし、また生意気かもしれませんが、親友であり仲間であり、心の支えでした。マナスル遠征中、よく龍さんからメールを頂いていました。テントの中で龍さんからのメールを読むのがなによりもの楽しみでした。本当にいままで支えられてきました。そんな橋本氏に恩返しが出来なかったのがとても残念。結局、親孝行できないままのお別れになってしまいましたが、これからの生き方が恩返しに繋がるよう精一杯頑張って生きていきたい。
 

 インドからの帰り、シンガポールに立ち寄り、日本人墓地、日本占領次期死難人民記念碑、クランジ戦没者記念碑にお参りしてきました。日本人墓地はシンガポールの日本会によって作られ維持されていますが、シンガポールで亡くなった多くの日本人墓地で東南アジア最大の日本人墓地でもあります。第二次世界大戦の南方軍総司令官、寺内寿一元帥やまた戦後処刑された100人を超える将兵、またからゆきさんのお墓までありました。日本会の愛情を感じる素敵な墓地でした。そこに眠る兵士のお墓を眺めながら、いまだに戦地で供養もされず野ざらしになっている多くの遺骨が可哀想でならなかった。
 クランジ戦没者記念碑には日本軍と戦い亡くなったイギリス兵約4000人や無名戦士の墓がありました。お墓には亡くなった兵士の年齢が書かれてありその多くが20代前半であった。若くしてイギリスから遠く離れたシンガポールの地で死んでいった彼らの無念さを少しでも感じてみたかった。
 そして最後に日本軍によって虐殺された(数万人とも言われている)華人の霊を慰めるため、日本、シンガポール両政府によって1967年に建てられた慰霊塔(戦争記念公園)に向かった。それぞれのお墓にお参りしてきましたが、あの戦争は一体なんだったのだろうかとしみじみ考えてしまった。あれだけ殺し合ったわけだが、60年も経つとその歴史がまるで嘘のように自由に交流し今では友好関係を築いている。果たして殺し合いをしなければならなかったのだろうか。今の感覚で当時の出来事をとやかく意見するのは結果論でしかないが、しかし人は過去の犠牲から学ばなければならない。大事なことは繰り返さないことだ。ショッピングセンターには多くの日本人旅行者が訪れていたが、私が訪れた3箇所の墓地や記念碑でただ一人の日本人と会う事がなかった。先月訪れた韓国の38度線でもそうであったが、現場からリアリティーを持って歴史を知る事の大切さを改めて感じてきました。
 そして旅の最後にシンガポールの最高峰に登頂しました。200M弱の山でしたが、心地よい汗を書きました。インドの旅は8月上旬にテレビで放送しますので、それまでは内容は内緒!放送日が決まりましたら、案内します。それでは、おやすみなさい。

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