戦没者遺骨収集にみる いのちの写真集―21世紀の平和への願いをこめて (単行本) 鈴木 基之 |
近年、靖国神社参拝に関する議論が喧しい。先の大戦で亡くなられた方々のために靖国神社を参拝するということは、とても大切なことだと思う。私も毎年、ヒマラヤ遠征の前に必ず靖国神社を参拝し、祈りを捧げる。両の手を合わせ、目を閉じると様々な思いが去来する。
去年、ヒマラヤのシシャパンマ峰に登頂したとき、アタック前に悪天候のため上部キャンプで足止めをくらった。周りは白銀の世界。夢破れた登山家の遺体があちらこちらにある死の世界でもある。テントを吹き飛ばさんばかりの強風にさらされていると「ひょっとしたら俺は死ぬのではないか」という恐怖がふつふつと湧き上がってきた。
靖国神社にて
眠れずに、テントの中で先の大戦で亡くなられた方々について思いを馳せた。私は自らの意思でここにきている。しかし戦争に行かれた方々はどうだろう。日本のために、国民のために行かれたのだ。亡くなられた方々の中には、飢えや病気、怪我などにより、徐々に死を迎えられた方も多かったに違いない。薄れ行く意識の中で何を思ったのだろうか。そんなことを考えている中で、あることを思い出した。
以前、橋本龍太郎氏が「先の大戦で亡くなられた方々の遺骨がアジアのいたるところに放置されている」と仰られていたことだ。ヒマラヤから帰国後、この写真集を購入した。無数の遺骨の写真は、残酷な現実をつきつけてくる。兵士の無念さがあった。白骨化した英霊は「俺らを忘れないでくれよ」と訴えかけてくるようだった。
靖国神社の参拝も大切だが、その前に日本のために亡くなられた方々の遺骨を回収し、弔う努力が必要だと強く感じた。そこで私は今年の十二月にフィリピンへ遺骨収集に赴くことにした。是非、この写真集を手にとっていただき、こういった現実もあると多くの方々に知っていただきたいと思う。
シンガポールにある日本人墓地を訪れたときの様子
日本人墓地 | クランジ戦没記念碑 |
クランジ戦没記念碑 | 日本人墓地 |
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