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ヒマラヤ , 戦争

「男たちの大和」を観て

ヒマラヤ , 戦争

2006/08/15

「男たちの大和」を観て

先日、「おとこたちの大和」という映画を観た。その中で私が最も印象的だったのが、最後片道の燃料しか積まず沖縄へ最後の航海に出陣する直前に軍曹が大和で共に戦い負傷し入院中の戦友に今生の別れを告げようと挨拶しにいくが、いざ大和に乗り込むと、その入院中の仲間が病院を脱走し大和に乗り込んでいたのだ。軍曹が「せっかく助かった命。なぜ大和に戻ったんだ!」と怒れば「一緒に闘ってきた。俺だけ取り残されたくない。一緒に死のう」と涙ながらに訴えるシーンがあったが、私は病院を抜け出し大和に乗り込んだ彼の気持ちがよ~く分かった。 3 人もの犠牲者をだしたエベレスト清掃登山を終え、もう 2 度とヒマラヤには戻らないと冒険から離れた時期があった。しかし、ヒマラヤのシーズンを日本で迎え安全地帯にいると今頃、仲間たちがヒマラヤで死闘の戦いを繰り広げているだろうと彼らの姿を想像してしまう。彼らは自分たちの意思でヒマラヤに挑戦しているわけで、べつに私には関係ないと自分を説得するものの、平和な日本で過ごしていることへの罪悪感か、逃げ出してしまった事への後ろめたさなのか分からないがこそこそしてしまう。そんな生活が 2 年間続いた。山を忘れようと海に潜ってみたり旅に出かけてみたが、頭からヒマラヤが離れなかった。

今年の4月から5月までマナスル清掃活動を行った。ヒマラヤで最も積雪量が多いとされるマナスルは多くの登山家が雪崩で命を落としてきた。大和の水兵たちが何ゆえに死ななければならないのか、自問自答していた。私は彼らのように死を前提に行動していないが、それでも命を賭けるだけの意義を探し出そうとする。ふと気がついたことがある。私と彼らとの決定的な違いがある。兵士達は自身の意思とは関係なく戦地に派兵された。出陣の時には万歳三唱でお国のためと盛大に送り出されたかもしれないが、いざ、死を目前にすればどうであれ死にたくないものだ。死を正当化し、受け入れる作業はさぞかし孤独だっただろう。それに比べ自身の意志で命を賭けることができる私は幸せ者だ。

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