2007年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ

2007/05/06

チョモランマ前半戦終了

チョモランマ挑戦の前半戦終了。ベースキャンプより上部での15日間は心身共にきつかった。ブログで田附くんが状況を逐一リポートしてくれていた通り、なかなかハードでした。

ABCについてから最初の4日間は頭痛で頭が割れるかと思った。脳の中心が大爆発を起こし、両耳の穴から脳みそが噴出すような痛み。高山病の頭痛を一度味わうと生涯忘れないだろう。それだけ辛いもの。
田附くんも97年にチョモランマで地獄をみているから衛星電話の私の声だけで、現地の状況が手に取るように分かったのでしょう。
相変わらず呼吸気管が弱くチベットの乾いた大気に肺を痛めました。まあ~これは想定内ですが・・・。それにしてもベースキャンプに降りてブログを拝見してみたら、田附くんもなかなか文章力が向上しましたね。以前は下手糞な文章書いては、それでいて喜んでいたのに・・・。

それにしても今年のチョモランマは混みすぎで、6400MのABC(アドバンスベースキャンプ)や7000Mのノースコルはまるで銀座通り。懸念されるのが山頂アタック日。これだけの人々が限られたアタック日よりに一斉にアタックをかけるだろうから渋滞するのは目に見えている。96年だったか、エベレストの山頂付近は登山中と下山中の人々が交互に通過するなどの渋滞がおこり、そこに悪天候が襲い大量遭難事故があった。そうならないことを祈るばかりです。

野口健と氷柱
野口健と氷柱.

気になったのがABC手前の氷柱群が小さくなっていた事。10年前に毎日放送が氷柱群を撮影しており、今回その写真を元に比較してみたら明らかに小さくなっていた。チョモランマの氷河は確かに小さくなっていた。総合地球環境学研究所の中尾正義教授の発表ではヒマラヤの氷河は非常な勢いで縮小しているとのこと。そのスピードは世界中のほかの地域のどこよりも速いそうです。
その理由の1つに、ヒマラヤ地域の氷河は夏のモンスーンに雪が降り、また氷河が融解するのも夏であるという「夏雪型氷河」であることが大きく関係しているとのことです。つまり温暖化によって夏の雪が雨になってしまえば氷河が大きくなるわけがない。そして新雪に覆われて保護されていた氷河が保護されないわけだからさらに融解しやすくなる。冬の降雪によって氷河が大きくなり、夏の融解期に融けるいわゆる「冬雪型氷河」よりもヒマラヤの「夏雪型氷河」のほうが温暖化の影響を受けてしまうのだ。モンスーン特有の気候下にあるヒマラヤの氷河は、他のどの地域の氷河よりも温暖化に弱い。しかし逆に寒冷化がおこればヒマラヤの氷河はほかのどの氷河よりもすばやく拡大するともいえるそうです。ヒマラヤの氷河は気候変化にもっとも敏感に反応するセンサーだと中村正義教授は指摘しています。
(詳しくは「ヒマラヤと地球温暖化 中尾正義 編」が昭和堂にて出版されていますのでご覧ください)

以前、シェルパが「ヒマラヤは人間に例えたら頭です。その頭が熱くなったら体全体がおかしくなる」と話していた通りヒマラヤの氷河が融解し各地で洪水を起こしている現状に私達はもっと敏感にならなければならないでしょう。地球はすでにイエローカードを我々に出している。レッドカードになる前になんとか対応しなければ手遅れになってしまう。小さくなったチョモランマの氷柱群を眺めながら地球の声に人間はもっと謙虚になるべきだと考えていた。

安全祈願
安全祈願.

4月23日、ABCで安全祈願が行われた。今まで30回以上のヒマラヤ遠征を行ってきたが登山中に遭難事故を起こした事はない。ラスト・チョモランマ。どうか最後までお守りくださいと神に祈りを捧げた。そしてふと見上げたらチョモランマの山頂は雪煙を噴き上げていた。その山頂をジーと眺めながら、今度ばかりはどうしても登りたいんだ!と唇を噛んだ。永年の清掃活動。チョモランマの最終キャンプまで登ったこともある。他の登山隊員が山頂を目指すのを横目にもくもくと酸素ボンベを拾い続けた。昨年のマナスル峰もけいちゃんらが山頂を目指している中、私は山頂に背を向けゴミを拾っていた。清掃隊の隊長として当然といえば当然。あくまでも清掃活動がメインであったわけだから、ただ、心のどこかで「俺も・・・」という小さな声が無かったわけじゃない。
とくにチョモランマは10年前に散々苦しめられた相手。どこまで登れるかやってみなければ分からない。苦しい挑戦になることは日本を発つ前から充分に分かっていた事。覚悟もしている。だから疎遠となっていた海外にいる母親とも6年ぶりに再会した。多種多様なご意見がある中でのモナ母との再会でしたが、やはりチョモランマに来てみて、あの判断に間違いはなかったと確信している。人生、一寸先は闇なのだから。

ABノースコルの夜
ノースコルの夜.

4月26日、ノースコル泊。二回目のノースコルで天候以外は極めて順調に登ったのに、夜中に肋骨を痛めた影響か、それとも肺の炎症の影響なのか呼吸困難になり、一人テントの中でもがき苦しむ。苦しみながらもウトウトと夢を見ていた。夢の中で龍さんが出てきて「おい、野口、お前、俺との約束を果たす前にこんな所でなにやっているんだ!」と久々の再会なのに相変わらず怒っている。「いつもそんなだから 「威張る・すねる・怒る」の橋本と竹下さんに言われちゃったんですよ!」と言い返したらニヤと笑いながら「お前、よくそんな古いこと知っているなぁ~うんうん、関心、関心」と妙に納得された。「それに、ほらこの龍さんのピッケル、テントの中に入れて一緒に寝ているんですよ!古い木製のものだから凍り付いて亀裂が入らないようにしているんです!」と言い終ったところで夢から覚めたのか目の前がパアっと明るくなり、ボーとしながら光の方を見たら平賀淳君が「健さん、大丈夫ですか」と私のテントの中に入ってきた。「おう、どうした」と寝ぼけながら話したら「健さん、かなりうなされていましたよ。横のテントまで声が聞こえてきましたから。お湯持ってきましたから飲んでくださいよ」とわざわざ心配して来てくれたのだった。7000Mの高所では隣のテントに移動するだけで極めて困難。特に極寒の夜中はトイレ以外は寝袋から出たくないもの。それなのに、淳君は優しいなぁ。友情に感謝し、再び寝袋に潜り込み夢の続きを見ようとしたけれど、龍さんはもう現れなかった。

5月30日、15日ぶりにベースキャンプに戻る。15日間も6000Mを超えて生活していると色々あるもので、女性隊員のラムちゃんが以前から痛めていた腰痛を悪化させストックなしには歩行困難となってしまった。「ケンさんからせっかく頂いたチャンスなのに」と泣かれ「まだ、時間はある」と慰めたものの常識的に見れば極めて厳しい状況に違いなかった。私も二十歳の頃、酷く腰痛に悩まされお灸を打ちながら山に登っていたことがある。登山家は若くして重荷を背負い、また過酷な環境だけにどうしても体を痛めてしまう。特に登山家として体が完成していない頃は壊しやすい。ラムちゃんの涙に何もしてあげられず辛かった。
そして次にキッチンスタッフのマイラが体調を崩しベースキャンプへと降りて行った。途中、吐血が始まり、倒れてしまった。幸いにも近くにいたロシア隊に助けられ、後から無線連絡で事態を知った我が隊からシェルパ二名を救助にだし、最終的にヤク(高所にいる毛の長い牛)に乗せながらベースキャンプへと向かった。いくら本人が一人で降れるから大丈夫だと言ったからといってそれを許したのはいけなかった。もし万が一、最悪の事態となってしまったら、私はマイラの奥さんと可愛い2人の娘になんてお詫びすればよいのか。心底反省させられた。またその頃、チョモランマのネパール側でキャンプ3付近から雪崩が発生しシェルパ一名が死亡したとの知らせが届いた。いよいよ牙をだしたな、と気持ちを引き締めなおした。

 谷口けいちゃんはもう少し上部に残り高所順応したいとABCに残った。彼女はいつでも元気だ。ABCでは珍しく頭が痛いと訴えていたが、今ではケロッとしている。平賀淳くんとベースキャンプに戻り久々に5000Mの世界の高酸素に体を休めました。さらに5月3日から6日までチベット登山協会のランドクルーザーをチャータしシガール(4300m)の街まで降りた。ここまで降りてくればそれこそお風呂もあり、久々にお湯に浸かった。湿度のお陰で苦しい肺呼吸も少しはスムーズになった。7日にベースキャンプに戻り、10日にはABC。山頂アタック予定は5月16~20日です。

 

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