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ヒマラヤ , 戦争 , 私の進む道

遊就館で感じること

ヒマラヤ , 戦争 , 私の進む道

2008/02/20

遊就館で感じること

靖国神社 正式参拝の様子

昨年、「男たちの大和」という映画を渋谷で見た。死を目前にした若い水兵さんたちが、何故に自分は死ななければならないの かを自問自答する。そして様々な葛藤の果てに最後は国を守るため、また家族や愛する人たちを守るために、自分たちは死に場所を得たと、半ば強引に自身を納 得させながら航海に出る。
  10代の若さで死を受け入れなければならなかった彼らの心中を思えば、さぞかし孤独や不安に苛まれ、また無念であっただろうと思う。もっと生きていたかっ ただろうに。映画の後半では、生き残った水兵さんが、戦艦大和で亡くなった戦友の母親の元に息子の死を伝えに行く。息子の戦死を伝えられた母親はショック のあまり、思わずその水兵さんに「なんで、あんただけ生きてかえってきたんだ!」と責めてしまう。水兵さんが「すいません、すいません」と土下座しなが ら、戦友の母親に謝るシーンがある。その残酷さに、私は涙を禁じえなかった。

また、戦艦大和に片道の燃料しか積まずに、沖縄へと最後の航海に向かう直前のシーンも印象的だった。ある軍曹が大和で共に 戦い負傷し、入院中の戦友に今生の別れを告げるために挨拶に行く。そしていざ大和に乗り込むと、入院中のはずの戦友が大和に乗り込んでいる。彼は病院を脱 走して大和に乗り込んでいたのだった。
その姿を見て軍曹が「せっかく助かった命、なぜ大和に戻ったのだ!」と怒りをあらわにし、問いただすと、彼は「一緒に闘ってきた。俺だけ取り残されたくない。一緒に死のう」と涙ながらに訴えたのだった。

私は、病院から抜け出して大和に乗り込んだ彼の気持ちがよく分かった。それは私自身がヒマラヤ登山や清掃活動を通じて抱いた感情と通じるものがあるからである。
1997年、初めてのエベレスト挑戦の際に、驚いたことがある。それはベースキャンプの至るところに散乱していたゴミだった。白銀の世界とばかり思っていた私は正直、面食らった。様々な国のゴミがあったが、日本のゴミも多かった。
そして欧州の登山家に「日本人は経済は一流だけど、文化、マナーは三流だ」と指摘された。目の前にある日本語が書かれたゴミを前に私は反論することが出来 なかった。実際には一部の登山家が捨てたゴミなのだが、日本人とひとくくりにされ、日本という国自体を侮辱した言い方に私は憤りを隠せなかった。ゆえに私 は、エベレストでの清掃を開始したのだった。
エベレストでの清掃活動は2000年から2003年にかけ4年間行った。8000メートルの世界での清掃は危険きわまるものだった。よく「ヘリコプターで ゴミを回収すれば安全だろう」と指摘されることがあるが、6000メートルを超えた地点では空気がうすく、ヘリコプターは8000メートルという高所まで 上昇できないのである。ゆえに人間が回収しないかぎりゴミはなくならない。あまりにも危険な挑戦だったが、時にはリスクをかかえてでもやるべきことがある と信じ、ゴミの回収につとめた。しかし長時間の高所での活動の身体的ダメージは簡単には回復しなかった。結果として3人ものシェルパ(ヒマラヤ山脈におい て登山の支援を主な生業としているネパールの高地少数民族)の犠牲者を出してしまった。私自身も入退院を繰り返した。

意義のある活動といっても命あってのもの。私はもう二度とヒマラヤには戻らないと決心した。日本で講演活動を行い、 シンポジウムに出席したり、海にもぐったり、旅に出てみたりもした。しかしヒマラヤ遠征のシーズンになると、今頃、仲間たちがヒマラヤで死闘を繰り広げて いるだろうと、彼らの姿を想像してしまう。彼らは自分たちの意思でヒマラヤに挑戦しているだけで、別に私とは関係ないと自身を説得するものの、平和な日本 で過ごしていることへの罪悪感や後ろめたさを感じずにはいられなかった。そんな生活が2年続いた。ただ人は騙せても自分自身は騙せなかった。

結局、再びヒマラヤに戻ることになった。昨年は日本隊によるマナスル峰初登頂50周年記念だった。その記念すべき年 に以前からゴミが多いと指摘されていたマナスル峰での清掃活動を展開した。ヒマラヤで最も積雪量が多いと言われているマナスルは、たくさんの登山家が雪崩 で命を落としてきた場所だ。危険地帯のマナスル峰での活動中、夜になるとテントの中で、あることに思いを馳せた。それは「戦艦大和の水兵さんが何故に死な なければならなかったのか」ということであった。私なりに自問自答を繰り返していた。死を身近に感じるヒマラヤでは死について、また生について、理屈では なく、感覚で感じることができる。

私は彼らのように死を前提に行動していないが、それでも登山や清掃活動に命を賭けるだけの意義を探し出そうとする。 そしてふと気がついたことがある。私と彼らとの決定的な違いがあったのだ。兵士たちは自身の意思とは関係なく戦地に赴かされる。出陣の時には万歳三唱で、 お国の為にと盛大に送り出されたかもしれない。でもいざ、死を目前にすると、どうであれ死にたくないものだと思う。死を正当化し、受け入れる作業はさぞか し孤独であっただろう。それに比べ、自身の意思で命を賭けることができる私は幸せ者ではないか。そう強く感じた夜があった。

「男たちの大和」という映画を見終えて、しばらく渋谷の街をブラブラと歩きながらそんなことを考えていた。すぐに家 に帰りたくない気分だった。町の到る所で、若者たちが道端にだらしなく座り込み、タバコを吹かしながら、なにやらゲラゲラと品のない大声で笑っていた。ナ ンパ(女の子を口説く行為)をしている子もいれば、酔っ払って喧嘩をしている子もいた。その多くが水平さんたちと同じ10代の若者たちだった。

 荒んだ夜の渋谷を歩きながら、私はしばしその光景を眺め、戦艦大和のみならず、あの先の大戦で亡くなった多くの 方々に申し訳ない気持ちで一杯になった。彼らは何のために死ななければならなかったのか。彼らが自らの命と引き換えにしてまで守ろうとした日本。これがそ の日本の姿なのかと。とても天国の先人たちにこの光景は見せられないと感じていた。

戦後、日本は欧米に追いつけ追い越せと、懸命に働き、瞬く間に経済大国となった。ただ経済的な成功を手に入れた日本は、その後の羅針盤を見つけられずにいるように思える。
社会がある程度成熟してくると、戦時や戦後の復興といった一種の危機的な状況下のように国民が一丸となって目指すべき共通の目標を見つけることが難しくな る。規制がなくなり、個人の自由の幅が拡大した結果、国も個人も目指すべき方向がわからないというある種、贅沢な病に冒されているように感じる。また社会 の成熟は往々にして「死」を日常から切り離していく。日々、報道番組を通じて陰惨な事件や悲しい事件によって死は伝えられるが、あくまでもそれはメディア を通じたバーチャルなものでしかない。

近年、自ら命を絶つ若者が後を絶たない。特に昨年は10代の子供たちが苛めなどを苦に自殺の連鎖が起こった。自殺に 至るまでの経緯は私には想像もできないような苦悩の連続であったかもしれない。しかし、あえて書かせて頂くと、若くして命を絶つ彼らにどれほど死に対する リアリティがあるのだろうか。私はそこに死のリアリティ、換言すれば日常生活という名の「生」のかけがえのなさというものに対する感覚が欠如していると感 じる。

この春、再びエベレストの山頂を目指した。登山ルート上にはいくつもの遺体が横たわっていた。エベレストは1000 人以上が登っているが、同時に300人以上の方々が命を落としている。1つ判断を間違えればすぐに死の世界が待っている。8000メートルを越えた世界は よく「死の匂い」がすると表現される。最終キャンプ(8300メートル)で山頂アタックをかける直前は「もしかしたらもうこのテントには戻ってこられない かもしれない」と死の恐怖に怯える。しかしこのように死を身近に感じるときこそ逆に「こんなところで死んでたまるか、何が何でも生きるんだ」という強烈な 生への執着が湧き出てくる。
そんな時に、ふと頭を過ぎる光景は決まって日本での日常生活だ。例えば娘の泣き顔であったり、時には愚痴を言う妻であったり、ごくありがちな日常の風景で あるが、人が最後に求めるのはなにも特殊なものではなく「日常」なのだと気づかされる。
だからといって私は現代の若者に死のリアリティを実感するために登山をすすめるわけではないし、それが現実的ではないということも理解している。そうでは なく現代においても死のリアリティ、つまり日常のかけがえのなさ、命のかけがえのなさを感じる事のできる場所があるということを伝えたい。それは靖国神社 にある遊就館である。

私はよく靖国神社の遊就館を訪れる。そこには若くして亡くなられた兵隊さんたちの遺書がある。遺書には、若者が日本 という国のため、家族のため死を受け入れていく心の流れや、家族への感謝、愛がある達観した境地での静けさをもって書かれている。その静けさに私は逆に、 凄まじいまでの生への執着、まだ生きたいという強い想いを感じてしまうのである。

日本での終わりなき日常生活に疲れたとき、私は遊就館を訪れ、彼らの悠久の想いに触れる。すると様々な感情が湧いてくる。日本の国のために亡くなられた先人達の想いに触れるたびに、襟を正されるような気持ちになる。

そして、私も奇跡的に授かったこの命を、日本の国のために、捧げようという気持ちになるのである。私は今、「富士山 から日本を変える」というテーマを自らに課し、日々、活動している。日本の象徴である富士山が汚れている。ゴミの不法投棄や乱開発によって美しい自然が泣 いている。ただ富士山で起きていることは実は日本中で起きているのだ。私は日本の象徴である富士山を変えることによって、日本の自然環境保護に対する考え 方、接し方を変えていき、美しい日本を取り戻していきたい。そして先の大戦で亡くなられた先人達が天国で、少しでもその美しい日本をみて喜んでいただけた らと思うのである。

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