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戦争 , 遺骨調査・収集

遺骨調査のため、フィリピン・レイテ島へ

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2008/10/17

遺骨調査のため、フィリピン・レイテ島へ

 今日、これからNPO法人空援隊の一員としてフィリピン・レイテ島に向けて日本を発ちます。御遺骨調査ですが、今年で2回目となります。レイテ島の戦いは1944年10月20日から敗戦まで続いた。当時の小磯首相は「レイテでの戦いは日米の雌雄を決する天王山である」と強調したが、この戦いはそもそも誤報から始まっていた。
 
 例の「台湾沖航空戦の誤報」である。レイテ島の戦いの前に大本営発表としてレイ台湾沖の航空戦で大勝利を収めアメリカ軍の主力である航空母艦の大半を撃沈し壊滅的な打撃を与えたと報じられた。したがって大本営はレイテ島を攻撃してきた米軍は一部の敗残部隊に過ぎないと判断し、これを一気に叩き劣勢を挽回できると大規模な部隊をレイテ島に投入したが、実は壊滅したはずの敵航空母艦は健在であり、その誤報は日本海軍の中枢部には極秘的に報告されていた。しかし、海軍と陸軍の対立が続く中、この誤報は陸軍にもまた大本営にも告げられずレイテ島決戦が遂行されてしまった。制空権、制海権はアメリカに握られ、爆弾、食料を運ぶ輸送船はことごとく沈められ、レイテ島の日本兵は孤立無援、完全に孤立していった。そして玉砕命令。一部の将兵(約900人)は隣のセブ島に避難。迎えの船に乗り遅れレイテ島に取り残された兵士は15000人。食べるものがなく死んだ戦友の肉まで食べたと証言する帰還兵がいるほど壮絶であった。

 日本兵の敵はアメリカ軍にとどまらず米軍によって教育されたフィリピンゲリラが加わった。ゲリラによる掃討作戦に追い詰められた日本兵はジャングル(カンギポット山)に逃げ込み、多くは手榴弾によって自決。この絶望的な戦いによる日本軍の戦死者は8万人。実に97%の将兵が戦死したのだ。これにアメリカ、フィリピン人を加えると10万人が亡くなった。

 今日、これから我々(空援隊)が向かうのはこの激戦地となったレイテ島。未だに戦地には115万人分もの日本兵の御遺骨が残されている。現地での情報提供者は高齢化し年々数を減らしている。主な情報収集源は日本軍と闘ったフィリピンゲリラの生き残りであり、その数は年々減っている。時間がない。あと5年もすれば、どこに御遺骨があるのかその情報が手に入らなくなるだろう。時間がないのである。
 レイテ島は極めて政情不安定とのこと。関係者にも「治安が悪いので覚悟してください」と告げられた。前回、セブ島などでの遺骨調査でも身の危険を感じたが、レイテ島はその比ではないそうです。まあ~いずれにせよ腹くくってやるしかない。
 
 これから出発しますが、一言 言わせてください。日本社会は国のために死んでいった人たちにあまりにも冷たい。死ななければならないハードルがあれだけ低かったにも関わらず命を捧げた後ですら帰国できるハードルがあまりにも高すぎる。115万体の御遺骨が戻るまであの戦争は終わらない。私はそう思う。故にこれからレイテに向かいます。

2008年10月17日 野口健

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