2010年春ヒマラヤ , 遺骨調査・収集

2010/04/02

ヒマラヤに帰る

やっとヒマラヤです・・・。 今回に限っては「ヒマラヤへ逃亡か」などと冷やかされもしましたが、言葉の使い方はどうであれ、逃亡であろうがなんであれこうしてヒマラヤに帰れることに正直救われる思いです。

人は時に感情的になるもので確かにフィリピンから帰国した直後は頭から湯気が出ていたでしょう。津波のように次から次へと押し寄せくる様々な情報に、何が本当で何が偽りなのか。また意図的であるのか、ないのか、あるとすれば何処?誰?

そして混乱している私に本当に多くの方々がアドバイス、ご忠告をしてくださったが、それがまた様々。点と点がバラバラと点在し一本のラインに繋がらない。

その中でも日々の生活、活動は淡々と続く。全国に飛び回りながら今日は環境問題、今日は遺骨収集問題、今日は教育問題、今日はテレビ出演。思考回路の切り替えが実に困難でした。

社会的な活動には様々な意見が飛び交うもの。以前も同じ事を書きましたが、社会的な活動は相手が人間社会。故に様々な立場の人が様々な意見を持っている。全ての人に好かれようと思えば一歩も前へと進めなくなる。かといって「俺は俺だ!」と人の意見を聞かなくなり一方的な意志表示しかできなくなれば誰にも思いは伝わらなくなってしまうもの。人に振り回されてもいけないが、 独りよがりな傲慢になってもいけない。ここのバランス感覚が実に難しい。私も含め当事者は思いが強い分だけ時に周りが見えなくなることがある。その事を絶えず肝に銘じなければならない。

この一ヶ月間はとても長く重たかった。怒り、悔しさ、悲しみ、そして反省と心が休まることはなかった。不気味な脅迫。ただどうであれ私には逃げだすことができない。

私がこの活動に加わった頃、戦地に残されたご遺骨は日本社会に忘れられようとしていた、いやもう既に忘れさられてしまったと言ってしまってもいいような状況であったでしょう。しかし、この数年で少しだけですが遺骨収集問題にも光りがあたり取り上げられるようになった。そして日本中から「そんなことになっていたなんて知らなかった」「国は何をやっているのか」との声が上がった。多くの人が知らなかっただけなのです。

メディアもこの問題を大きく報じてこなかった。学校教育の中で教えられることはまずなかったでしょう。国民が「知らなかった」というよりも、「知らされてこなかった」なのでしょう。私は戦後教育含め、何かしら意図的なものがあったような気がしてならない。
知れば心が動かされる。そういうものです。
木内実先生と外務省で打ち合わせを行う
城内実先生と外務省で打ち合わせを行う

 こうして日々全国を回り私が現場で見てきた世界を伝え続けているのも、知ってしまった人間の責任です。知ってしまった人間には伝えなければならない責任がある。知るという事は同時に背負うことです。

様々な思惑の渦に中に巻き込まれ溺れてしまっては活動が止まってしまう。その結果、またこの問題が社会から忘れさられてしまう。それだけは阻止しなければならない。
桝添前厚生大臣にもアドバイスを頂く
舛添前厚生大臣にもアドバイスを頂く

 遺骨収集への取り組みを空援隊だけでやりたいと思っていないし、そもそもそんな事は出来やしないだろう。国、遺族会、戦友会含めそれ以外のNPOなどの団体など、目的を同じとした全ての団体とそれこそオールジャパンで活動を行っていきたい。「オールジャパン」私はこの言葉の持つ響きを心から憧れています。しかし、指を加えて待っているだけでは実現しないでしょう。オールジャパンとしての活動にするためには、自身に何が出来るのか。またどの位置に身を置くべきなのか。今回の騒動をきっかけに真剣に考えたい。
空援隊・札幌にて講演会
空援隊・札幌にて講演会

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 人にはそれぞれ与えられた役割があります。その役割の中で生きていくものです。自身に与えられた役割について、これからの一ヶ月間、ヒマラヤの大自然の中で何者にも囚われることなく自分と真正面から向き合い進むべき方向性を定めたい。そのためにも、例えヒマラヤへの逃亡と言われようが、この時期に日本を離れたことには大きな意味があります。
機内からの夜景
機内からの夜景
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それにしても成田から飛行機に乗り込んだら緊張の糸がプツリと切れたのか、久しぶりに何物の助けを得ずとも深い眠りについた。今はとにかく寝たい。まずはそこから。

それではヒマラヤに行ってきます!
この写真は最後に


2010年4月1日 カトマンズにて 野口健

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