2010年春ヒマラヤ , 自己責任と危機管理

2010/04/29

マナスル峰にて韓国隊遭難

4月25日、サマ村に着きお祭りに参加し、山小屋に戻ったらザワザワと騒がしい。マナスル峰に挑戦中のイタリア隊員がシェルパ達と話し込んでいるのだが「何人、死んだ?」「そうか2人か」などといった言葉が聞こえてきた。そのイタリア隊員も体調を崩しサマ村まで下って来ていたのだが、
サマ村からのマナスル峰
サマ村からのマナスル峰

聞けば相変わらずの大雪でキャンプ1~キャンプ2間が雪崩の巣になっているとのこと。

そして問題の遭難であるが、未確認情報として韓国隊が山頂アタックをかけ遭難したとのこと。複数のシェルパたちに確認したら三日前の午前8時過ぎに最終キャンプからアタックを開始し午後4時前後に登頂したとのこと。そして下山中に悪天候となり韓国隊員6人中4人は最終キャンプにたどり着いたが二人は行方不明となったとのこと。

もし事実ならば何ゆえに午前8時過ぎにアタックをかけたのか?通常ならば午前1時~2時にはアタック開始し午前中のうちに登頂するのが理想だ。山の天候は午後の方が悪化しやすいからだ。不思議だ。

そして最終キャンプに戻ってこなかった隊員に関しては既に絶望的であるが、キャンプ3(7500M)まで戻ってきたまま三日間も身動きとれずに閉じ込められている4名はどうなっているのか?食料は?燃料は?韓国隊シェルパたちはキャンプ2まで下っているとのことで、つまり隊員のみがキャンプ3に留まっているという危険な状態が続いていた。

おそらく至る所が凍傷にやられダメージも大きいだろう。他の隊はベースキャンプで緊急的に救助できない。7500Mの高所ならばヘリによるレスキューも無理があるだろうと、サマ村含め大量遭難かといった重たい空気に支配されていた。

それが幸運にも偶然、スイスから二人のレスキューヘリのパイロットがカトマンズ入りしており、彼らに韓国隊員のレスキューの依頼をしたら引き受けてくれたとのこと。

早朝、カトマンズからヘリが飛んできて7500M地点に閉じ込められている韓国隊員のレスキューが始まったが、サマ村からみなジッと手に汗を握りながら見守るしかなかった。96年にエベレストで大量遭難事故が発生し、6400Mで台湾人登山家がレスキューされたが、確かあの時点では世界最高地点でのヘリによるレスキュー記録であった。今回はさらに1000M以上高い7500Mである。

低酸素の中では浮力も弱くヘリのパワーはその分だけ弱くなる。そして横風が吹けばバランスを崩しやすくなる。実際にエベレストでは何度かヘリコプターの墜落事故が発生している。

それだけにサマ村から緊張しながらレスキューを見守っていたが、スイス人パイロットはなんと4人の韓国人を見事助けた。ヘリがサマ村とキャンプ3を何往復しながら遭難者を下ろした。行方不明となった2人以外が無事にサマ村に生還を果たした時には歓声が上がった。

その後、再びヘリはマナスル峰上部に向かい、行方不明者のうち、一名の遺体を発見。遺体収容はならなかったが。
スイス人パイロット
スイス人パイロット
カトマンズから飛んできたレスキューヘリ
カトマンズから飛んできたレスキューヘリ

このスイス人パイロットはネパール人パイロットの教官としてネパールに訪れていた最中の遭難事故であり、ネパール人パイロットならば7000Mを超える高所ではレスキュー活動は行えなかっただろうとことです。

しかし、それでも2名の犠牲者が出てしまった事がとても残念。マナスルは毎年のように遭難者をだす山で村人は「キラーマウンテン」と呼ぶことさえある。
ヘリに運ばれる韓国隊員
ヘリに運ばれる韓国隊員
救助された韓国隊員
救助された韓国隊員
救助された韓国隊シェルパ
救助された韓国隊シェルパ
_MG_8471


私も二回挑戦し、見事にあっけなく敗退。特に昨年は大雪の被害で多くのテントが流されてしまった。キャンプ2では真夜中に雪にテントが埋まり生き埋め状態となり、必至の思いで脱出し、真横にはってあったスペイン隊のテントを掘り起こし二人を救助したことがあったが、あの夜は地獄だった。今でもたまにあの夜の出来事が夢に出てきて私を苦しめる。マナスル峰は美しい山ですが同時にとても怖い山。

韓国隊の遭難を目の当たりにし、改めて山の怖さを感じていた。気をつけなければ。

4月25日 サマ村にて 野口健
(クリックしたら写真が大きくなります)

カテゴリー別

ブログ内検索

野口健公式ウェブサイト


(有)野口健事務所 TEL: 0555-25-6215 FAX: 0555-25-6216