12月28日、カトマンズからルクラへ。ルクラはエベレストの玄関口。ルクラからエベレストベースキャンプまでがいわゆるエベレスト街道。シェルパの村々がエベレストのベースキャンプまで転々と連なる。我々の目的地は約10日間かけてカラパタール(5545M)へ。小島クンはバンコク、カトマンズと辛い物ばかりを食べてピーピー状態。僕は日本を発つ直前からなんとなく風邪っぽくなり、喉が痛い感じ。一人元気なのが亮さん。初めてのネパールに刺激を受けまくりの様子で実に嬉しそうな表情にこちらまでつられて嬉しくなる。ハッピーの連鎖っていいものですね。
ルクラ便はもうかれこれ往復を含めると80回?くらい乗っていますがいつも恐怖。入り組んだ山岳地帯をツインオター機で突入してまるで航空母艦のような短いルクラの滑走路に突っ込むのだが、これが実に怖い。またその滑走路は坂道。坂道を上がるように着陸するのだ。そしてたまにですが着陸に失敗する。前輪が吹っ飛び胴体着陸や視界が悪い時には頭から突っ込み墜落、
朝霧の中、ギターを担ぎ飛行場へ向かう亮さん
この飛行機でルクラへ
揺れるコックピット
ヒマラヤ山脈が見える
「頼むよ!」とパイロットと不甲斐ない機体にお願いし乗り込んだ。晴天でエベレスト含めヒマラヤ山脈も綺麗に見られたが、ただ風が強く機体は前後左右揺れに揺れ、やはり今回も恐怖であった。無事に着陸した時は機内で「パチパチ」と拍手が沸いた。
ルクラ村ではデェンディーと再会。僕が19歳の時に初めてヒマラヤに来た時からのパートナー。そのデェンディーの家に遊びにいったら壁に彼が日本に来た時に撮影した写真があり、懐かしいのは橋本龍太郎氏との記念写真。もう8年ほど前かな。僕もデェンディーも若かったし、また龍さんも・・・お元気でした。こうして山に登り続けている間に気がついたら自身の感覚以上の時間が過ぎていた。自分は何一つ変わっていないのに。まあ~そういうものなのかもしれませんね。
カレーを作ってくれるデェンディー
橋本龍太郎さんと。左端が僕で右端がデェンディー
吊り橋を渡っています
吊り橋で亮さんと
この日はルクラ村から~パクディン村へ。山の生活は寝られるから嬉しい。夜の9時には寝袋へ。睡眠時間10時間は確保できる。しかも毎日。日本では慢性的な睡眠不足状態が続いていたので、この規則正しい生活が何よりも嬉しいというか助かる。ヒマラヤに行く前によく「野口さん、ヒマラヤ大変ですね」と言われるが、いやいや日本での生活の方が色んな意味で遥かに大変。僕にとってはヒマラヤの方が平和でいい。
29日、ナムチェバザール村(3440M)へ。道中、何人ものポーター達が荷物を担いでいるがその荷の大きさに驚いてしまう(もう見慣れましたが)。重たい荷で100キロほどとか。ナムチェバザール村はシェルパ族最大の村で週に一度(土曜日)大きな市場が開かれる。その市場を目指して山の下からポーターたちが米や肉から燃料、また生活用品などを運び上げるのだ。あっ そうそうこんな山の中にもパン屋があるのです。パクディン村から一気に600Mの斜面を登ってきたので、その足でパン屋へ。小島クンが「うまそー腹減ったぁ~!」と店内で騒ぐので「シー」と注意したらその瞬間を小島クンに撮られた。あれは復讐か?
「シーッ」と。
子ども同士の喧嘩。「やれるものならやって」と聞こえてきそう。
でも本当にやちゃった。
あっ そして今日は谷口けいさんと偶然にも会った。ヒィヒィー登っていたら上から「ケンさ~ん」と、「えっ」と上を見上げたらニコニコ顔のけいさんが。トレッキングツアーのお客さんをつれてナムチェバザールまで上がっていたのだ。彼女は日本人女性最強の登山家。世界的に有名な山岳賞である「ピオレドール賞」を女性初、日本人初で受賞。そのけいさんと前回あったのはこれまた山。しかもキリマンジャロ。その時は逆で僕が下山中にけいさんが下から登ってきてバッタリ再会。次はどこの山で会うのだろうか。
けいさんと再会
クスムカングル峰
このナムチェバザール村には二泊し、明日は高所順応のため300Mほど登りナムチェバザール村に戻ってくる。高所では高所順応日を作らないで一気に標高を上げれば命取りとなる。このエベレスト街道でも毎年のように高山病の為に亡くなるトレッカーがいるのだ。僕ももう何十回もこのコースを歩いていますが、必ずこの高所順応を丁寧にやっている。
僕も今日明日で風邪を完治させないと・・・。それでは、またアップしますね。ナマステ!
2010年12月29日 ナムチェバザール村にて 野口健