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2011年エベレスト清掃登山 , トレーニング・体調管理 , ヒマラヤ

野口健写真集6 エベレスト遠征を終えて~結果オーライ!~

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2011/06/05

野口健写真集6 エベレスト遠征を終えて~結果オーライ!~

1番 キャンプ3から眺めるエベレスト南峰 - コピー
 キャンプ3から眺めるエベレスト南峰



2番 キャンプ3手前。雲行きが怪しくなってきた
キャンプ3手前。雲行きが怪しくなってきた
 
3番 他の登山隊と一緒にキャンプ4を目指す
他の登山隊と一緒にキャンプ4を目指す

4番キャンプ3からの直登
キャンプ3からの直登

5番 ジェノバと呼ばれるキャンプ4手前の岩場


ジェノバと呼ばれるキャンプ4手前の岩場

6番 このオッパイチョコレートにどれだけ癒された事か

このオッパイチョコレートにどれだけ癒された事か

7番 シェルパのニマさん
シェルパのニマさん

8番

9番

10番

11番

12番

写真:撮影 野口健

 エベレスト遠征を終え、帰国しましたが、目をつぶるとあの時の光景、出来事が未だに脳裏から離れない。5月19日の登頂を目指してベースキャンプを出発したのが5月15日。最初の予定では17日アタックの予定であったが、直前にスイスから寄せられた天気予報により天候悪化するとの事で変更。5月12日には尾崎さんの遭難があっただけに天候には神経質になっていたのかもしれないが、今年のエベレストは天候が安定せずどのタイミングで山頂アタックかけるのか私を含め多くの登山隊も迷いに迷っていた。

 数日間の安定が望めない以上、「悪天と悪天の隙間を狙っていくしかない」と最後は「えいや!」でアタック日を決め上部キャンプに上がったものの、今一つ「ピン」と来ない。これは理屈じゃないので論理的には説明できないが、この「ピン」という感覚的というのか、野生的な本能、または勘か分からないが、ベースキャンプを出発したもののこの「ピン」を感じられないでいた。命を賭ける勝負の時にはこの「ピン!」が必要。

 そしてそのまま5月17日にキャンプ3入り。ここまで上がってくるとエベレスト南峰がよく見渡せる。そしてどうしても気になるのが気流の乱れ。南峰からは雪煙が吹き上がり空は筋雲や笠雲だらけ。これで本当に19日に風が止むのだろうか。ひょっとすると20日の方がいいのではないか。そんな風に気持ちの中で迷いが生じていた。ベースキャンプに無線連絡し
BCマネージャーの小島クンに「その後の天気予報はどうだい」と聞けば「19日は風が強いようなのでアタックは20日の方がいいと思います」との返答に「やはりそうか。アタックを一日遅らせようかな。サーダー(シェルパ頭)は何と言っているのか?」と尋ねたら「予定通り19日がいい」とのこと。「何故か?」と尋ねたら「みんなが行くから」とのこと。そのサーダーの応答に「う~ん」と唸ってしまった。「赤信号をみんなで渡れば怖くない」との考えかもしれないが、それは山では通用しない。その発想では大量遭難に繋がるだけだ。シェルパ達はしばしこの「みんなで行けば安全」的な事を口にする。「遭難時に助けてもらえる」というところからきているのかもしれないが。

 そして再び小島クンとのやり取りが続いたがサーダーの意見のあとに今度は小島クンの意見が「やはり19日の方がいいと思います」と変化。「どうしてそう思う?」と聞けば「サーダーがそう言っていますから・・・」と。これ以上の会話に意味がないと私は無線を閉じた。ベースキャンプもまた混乱しているのだ。最終的には自分で決めなければならないのだが、一度気持ちに迷いが生じると時に決断は難しい。またヒマラヤ二回目の小島BCマネージャーに意見を求めていること自体が今の自分の状況を象徴していた。自分の弱さを心底感じた。

 「キャンプ3で待機します」と決断しかけたものの、7300Mでの待機は体力の消耗に繋がる。酸素ボンベに余裕があるわけでもない。さてどうするのか。結局、ピンとこないまま「一か八かでやってみるか」との判断を下した。

 18日、午前7時半、キャンプ3を出発。キャンプ3を出発する時に酸素ボンベのレギュレターについている酸素の残量メータをみたら針が「230」を指していた。「あれっ 320あるはずなのに」とシェルパのニマに尋ねたら「寒いから酸素が縮んでいるから心配ない」とのこと。「はい? そんな事あるの?」と尋ねたら「ノープロブレム」を連発。首を傾げたが、ただ「240あればキャンプ4までは行ける」と判断。

 キャンプ3からは氷壁をひたすら直登するのだが、2時間ほどたってみると呼吸が苦しくて仕方がない。あまりの苦しさに途中で腰をおろし休憩。ニマにザックの中に入っている酸素ボンベを「毎分1リットルから2リットルにしてほしい」とお願いしたら、「足りなくなるので我慢してほしい」とのこと。それからさらに1時間ほど登った頃に身体の動きにブレーキがかかる。気が付いたら目まいや無気力感に全身を覆われていた。「何かが変だ。これはおかしい」とザックを下しボンベを取り出してみたら、なんと残量メータが「230」のまま。酸素がまったく減っていない。

 ニマに「酸素が減っていない!」と言ったら「いや、寒さで縮んでいた酸素が温まり膨らんできたから針が動いていないだけ」とニマ。「そんなこと、あるわけないでしょう!」と、ここまでくるともう漫画。そしてとっさに酸素マスクの故障が頭を過った。「またか!」と。2007年5月のエベレスト登頂時、山頂付近で酸素マスクが故障し下山中に死ぬ思いをいていただけに酸素マスクには神経質になっていた。故に新品マスクを調達してもらい予備として2個のマスクを持っていた。直ぐにマスクを交換。さすがにニマも異変に気がついたのか、マスクを交換した後にしきりに「大丈夫か?」と尋ねてくる。

 新しい酸素マスクと交換してからは身体が再び動き始めた。「やっぱり酸素マスクの故障だったのだ」と納得しこれで問題解決と安心。しかし、その一時間後、再びガクンとブレーキ。他の登山隊にも追いつかれ抜かれ、10メートル先の岩が視界に入っているにも関わらずその岩がいつまでたっても近づいてこない。そして身体に力が入らない。「なんで?」と意味が分からない。過去に3回、キャンプ4(サウスコル)に行っているが、いつも4時間ほどで到達していたにも関わらず5時間以上たっているにも関わらず三分の二ほどしか進んでいない。「体力落ちたなぁ~」と、それにしてもおかしい。

 再びザックを下してボンベの残量をみたら針はなんと「230」のまま。キャンプ3から8000M手前まで酸素が吸えていなかったのだ。それにはニマも驚き「酸素マスクのチューブの中が凍っている」とチューブを抜き息を「フーフー」と吹き込んでいた。キャンプ4手前のジェノバ岩場での出来事で、その岩場を超えさえすればキャンプ4は目の前。しかし、それが越えられない。

 ニマは「キャンプ4に着いたら新しいマスクと酸素ボンベがある。そこまで頑張ろう」と話しかけてきたが、直感的に「これ以上登ったら自力で下山できなくなる」と、そしてニマに「下山する」と告げた。ニマは信じられないという表情をしベースキャンプのサーダーからも無線で「もう少しでキャンプ4だ」と言ってくるが、ニマに首を振り下山を決めた。それが15時半の出来事。キャンプ3を午前7時半に出発し断念を決断した15時半。

 それからは「今日中にキャンプ2まで下りられるのだろうか」が最大の関心ごと。アタックを断念してもそれでゲームオーバーではない。下りなきゃならない。酸素が吸えていないのだからこれが大変だ。数歩、歩いては「ハァー」とため息。それでもコツコツと歩きながらキャンプ3付近までは自力で下りてきたが、そのまま力尽きたのか座ったまま動けない。その時、ニマが「あっ」と声を上げた。そしてザックの中からいきなり予備のレギュレターを取り出し「ケン、ひょっとしたらレギュレターの故障かもしれない」と。「レギュレター」とは酸素ボンベとマスクの間の器具でそのレギュレターによって毎分何リットルの酸素を出すのかを調節する器具。レギュレターの故障はまったく頭に入っていなかった。そしてそのレギュレターを交換した次の瞬間から「スー」と毎分2リットルの酸素が体内に入ってくるのが分かった。

 さっきまで動けなかったのが嘘のようにスクッと立ち上がり足が前にでてくる。それからさらに2時間くだり平賀カメラマンが待つキャンプ2付近まで下れた。キャンプ2に戻ってきたのは18時半。朝、キャンプ3を出発してから約11時間。

 それから朝方まで「ゲーゲー」と吐き続け、胸と頭が痛みにほぼ一睡も出来なかった。また追い打ちをかけるように今度はスペアのレギュレターまでもがキャンプ2のテント内で故障してしまった。翌朝、起き上がろうとしたら左の肺に鈍痛が。「これは肺水腫にやられたな」と出来るだけ早く山を下ろうとベースキャンプへ。

 帰国してから検査したら「脳浮腫」に「肺炎」。高山病で脳みそが腫れていたのだ。直感的に生命の危機を感じていたのはこれだったんだ。あの時に直ぐに下山を決断しないでキャンプ4に向かっていたら死亡または脳障害等の後遺症が残っていた可能性が大きい。危なかった。

 もし仮にレギュレターが一日遅れて壊れていたらどうなっていただろうか。山頂付近での故障はそのまま死に繋がる。ベテランシェルパの一人は「ケン、ヒマラヤでは突然、高所で亡くなる登山家がいるが、多くが酸素マスクやレギュレターの故障が原因なんだ」と打ち明けてくれた。

 レギュレターの故障は極めて問題だが、それでも不幸中の幸い。ベースキャンプに下りてきた時には不思議と気持ちはスッキリしていた。「ああ~これで終わったんだ」と。あの雪崩、そしてこのレギュレターの故障。「この2つを乗り切った。それでいいじゃないの。反省は多々あるけれど、登れる時は登れるし、ダメな時はダメ。冒険人生そんなもの」とシェルパに笑いながら話していた。

 今、思えばあの「ピン!」とこなかったのは、暗示だったのかもしれない。

 下山後、しきりにニマが「もっと早くレギュレターの故障に気がついていれば登れていた」と誤ってきたが、もちろん彼の責任ではない。酸素マスクを換えた時に酸素が吸えていると錯覚した自分がいけなかったのだ。酸素が吸えていないのに吸えていると錯覚。思い込みとは怖いものです。それにしても酸素マスクを換えただけで酸素が吸えていると錯覚ししばらく歩けてしまったのだから、人間の「思い込み力」ってやつはある意味、凄いものだと妙に感心していたものです。

 今はとにかく体調を整える事に専念したい。あの日からしばらく頭痛と吐き気、そして胸の痛みが続いた。思っていたよりもダメージは大きかった。悔しいといえば悔しい。でもね、生きてさえいればまたやれる。登頂は出来なかったけれど、それでも約一ヶ月間、必死に戦えた。あの限られた時間の中では精一杯やれたと思う。それでいい。それで。

2011年6月5日 野口健


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