(ツイッターより)
ルワンダに訪れたのはゴリラやチンパンジーといった野生動物の観察も1つの目的でしたが最大のテーマはルワンダ虐殺。何故にあの大虐殺が起こったのか。その背後に何があったのか、その後どのようにして社会を復活させていったのか。そのトータルに人間の本質があるような気がしてならない。
今日、明日は、キガリで虐殺が行われた現場や関連施設の視察です。現場にはいまだに遺体が残されており、なぜあの大虐殺が起きたのか、そしてその後にどうやって殺し合ったツチ、フツが国の再建に乗り出したのか、色々と説明を聞く。
キガリ虐殺記念館に訪れた。1994年、約100日間続いた虐殺によってルワンダ政府によると730万人の人口のうち、117万4000人が殺害されたと言われている。これはルワンダ全国民の10~20%。1日あたり1万人。1時間あたり400人。1分あたり7人。短期間にこれだけ殺害されたのだ。
このキガリ虐殺記念館には、どのようにして1994年の大虐殺が行われたのかその経緯が説明されています。そして、虐殺現場の写真、殺害された犠牲者の遺骨までも。
キガリ虐殺記念館には虐殺現場の写真が多く展示してあり、その一枚一枚を眺めながらたかだか20年前にこれほどまでに残虐的な事が起きていたのだと言葉が出なかった。
フツ族とツチ族との民族紛争とも捉えられる事もありますが、そもそもベルギーがルワンダを支配するまでは民族という隔たりはなかったという。ベルギー人から見て、背が高い低い、肌の色の若干の違い、また農耕、牧畜といった生活習慣の違いを根拠に白人によって民族が別けられた事が後の虐殺に繋がる。
100日間という極めて限られた期間に100万人以上の人々が虐殺されたと言われていますが、機関銃、爆薬、毒ガス又は細菌兵器といった兵器ではなく、殺害に使用されたのは大半が「ナタ」だったという。果たしてそんな事が出来たのだろうか?
キガリから2時間移動し虐殺現場に訪れた。丘の上の学校に避難していたツチ族4万5000人が殺害された現場。校舎には未だにミイラ化した遺体が並んでいた。ミイラ化した遺体には多くの子どもが含まれていた。中には生きたまま生き埋めしたり。両手を縛られている遺体の多くは殺害される前に強姦された女性たち。現場の空気はズシリと重たかった。
しかし、ルワンダの大虐殺の記憶が強く日本では未だに「ルワンダ=危ない」というイメージがありますが、実際は僕が訪れたアフリカの国々の中で最も治安が良好な国。白人が中心ですが観光客も2005年の26000人から2012年には108万人にまで増えた。
独裁政権により完璧に秩序を守られているとも言われています。
10日間ほどのルワンダ滞在でしたがアフリカで色々な国々を訪れているとその国々の国民性を感じるもの。ルワンダ人に対しては大虐殺事件から「激しさ」をイメージしていたが、実際はとてもシャイで物静か、そして生真面目な人々が多かった。そのような印象でした。一回の訪問で分かるはずもないですが・・・
虐殺関連の重たいテーマと直視するのが辛い写真をアップしました。日本にいるとなかなか実感できない世界。我々の現実とあまりに乖離しどうしても繋がらない。僕もルワンダに関して表面的なことしか知らなかった。こうして現場で感じた事を呟きながらその一つ一つに迫りたい。
ルワンダはかなり衝撃的でしたが、ただ極めて近い将来にまた訪れる事になると思います。たかだか20年前に大虐殺が行われたばかり。しかし、必死に国を復興させようと前を向いて生きている人々。もっとこの国を知りたい。