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ネパール , ヒマラヤ

産経新聞連載 掲載されました

ネパール , ヒマラヤ

2015/12/17

産経新聞連載 掲載されました

12月17日、産経新聞連載記事です。ネパール震災支援活動で感じた事を書きました。

産経新聞 野口健連載 直球&曲球
2015年12月17日掲載
『今年を振り返ると僕にとって一番大きな出来事のネパール大震災は85年ぶりとなった大震災だ。その瞬間にヒマラヤで遭遇し、岩や氷が崩れ落ちてくる中を死に物狂いで脱出した。シェルパの村まで下ればなんとかなると必死だった。
しかし、その村々では多くの建物が崩壊。僕ら登山家にとって「山は危ない所、村は安全な所」という意識が強い。その帰るべき村の方が壊滅的にやられてしまっている姿にがくぜんとし、全身の力がスーと抜けた。惨めさ、空しさ、そして無力さに支配されてしまった。
あの震災は僕にも大きな試練を与えた。「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ様々な支援活動を行ってきた。基金には1億2千万円もの大金が集まった。日本中の皆さんがネパールを見捨てなかったのだ。寄付金を頂く度に心から感謝もした。しかし、同時に背負うものもズシリと重たかった。寝られない夜も増えた。そんな夜、思い出した事がある。
冒険家の植村直己さんが最も辛かったのは北極点挑戦の際に資金が足りず、一般募金をやったこと。企業からの協賛ならばその企業に対し何かしらの貢献ができる。しかし、一般募金となると一方的に受け取る事しかできない。その事が何よりもつらかったと。「冒険のため」と「震災支援のため」とでは違うかもしれないが植村さんの気持ちが初めて分かったような気がした。
その植村直己さんの事でさらに思い出した事がある。10年ほど前、ヒマラヤのある集落で民家に泊めてもらった。ご主人は両手の指、全てを凍傷により失っていた。ご主人が「あなたはジャパニーズか」「この指は冬のエベレストで失ったんだ。隊長はナオミ・ウエムラだった」と話してきた。厄介な家に入ったものだと後悔していた。
しかし、彼は「ナオミは僕を病院に連れて行ってくれ、その後も仕事が出来るまで仕送りをしてくれた。あの時代、外国人は我々シェルパを犬のように扱ってきた。でもナオミは違ったんだ。同じ人間として扱ってくれた。この手を見る度にナオミを思い出すんだよ」と続けたのだ。
辛くなる事があってもこの言葉が僕を原点に立ち返らせてくれた。』

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