本日、産経新聞掲載された「直球&曲球」です。
http://www.sankei.com/col.../news/161215/clm1612150005-n1.html
2016年12月15日掲載
『天狗岳登頂果たした中1の娘の言葉に成長を実感
「パパ、下りるまでが山だから」』
今月12日、中学1年の娘と八ケ岳の天狗(てんぐ)岳に登頂。娘にとって冬山初登頂となるが、実は僕も高校1年の冬に同じく天狗岳に登ったのが人生初登頂だった。15歳の時から7大陸最高峰登頂までずっと使用してきたピッケルを手にしながら八ケ岳に登る娘の姿に「つながり」を感じ、感慨深いものがあった。
娘が小学生の頃から山に連れて行くようになったが、最初は疲れては泣き、凍えては泣き、全身でつらさを訴えてきたもの。ちょっとした岩場を登っているときに谷底をのぞき込みながら、「落ちたら死ぬの」と聞いてくるので「だろうね」と答えたら、「パパは40年ぐらい生きているからいいけれど、うちは9年しか生きていないのに。明日はこないかも」とまた号泣。「ならば泣いていないでちゃんと岩をつかむこと。泣いて助かるものは山にはないよ」と。
そして3年前、初めての冬山挑戦。天狗岳だったが、この日は登山口でマイナス17度。風も強く登頂は厳しいと分かりつつも行けるギリギリのところまで登ることにした。「指が痛い、顔が痛い」とまた泣き出す。地吹雪の中、山頂まで2時間の山小屋へ到着。そして娘には「していい無理と、してはいけない無理がある。ここから先はしてはいけない無理。だから下りるよ」と下山を開始した。
翌朝、テレビを見ていた娘が「あ!」と声をあげた。八ケ岳での遭難事故の一報であった。僕らが撤退した頃、他のパーティーが山頂を目指し、2人が寒さで凍死していたのだ。そのニュースを見ながら娘は「していい無理と、してはいけない無理があるんだから」とつぶやいた。もう山登りはこりごりかな...と娘に「また山に登りたい?」と尋ねたら、「どうして聞くの? だってまた登るって決まっているんでしょ」と。
それからしばらくしてメールが届いた。「もっと山に登りたい。キリマンジャロにも登りたい。登れなかった冬の天狗岳にも登りたい」と。それからトレーニングを重ね、念願の冬の天狗岳に登頂を果たした。山頂で「やったね」と声をかけたら、「パパ、下りるまでが山だから」と言われてしまった。