2019/09/23
念願のアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)への登頂を果たした野口絵子は、ニュージーランドの高校へ入学するために2019年8月31日に日本を発ちました。
出国前夜の8月30日未明、荷造りに追われる中、父・野口健の呼びかけにより、親子対談が行われました。
健) 明日から日本を離れてニュージーランドにひとりで行くわけだけど、そこに不安はないですか?
絵子)不安? 不安はないですかね
健) ほう。不安がない。そりゃビックリだ。いつだって決断と不安というのはセットなんだけどな。特に絵子さんがいた立教英国学院というところはパパの母校でもあるからよくわかるんだけど、基本的には全員が高校に内部進学するわけですよ。
だけどその選択肢を捨てて、現地校の道を選んだと。中学生や高校生の頃って言ってみれば学校が世界のすべてで、みんなが進む方向に行かずに自分だけ全く違う世界に行くっていうのは大きな決断でしょ。
言ってしまえば、立教にいればそのまま大学まで進学できるというのが見えている中で、そこまで英語も得意じゃないのに現地校に行って色々と苦労するのが目に見えているわけじゃないですか。場合によっては卒業できないかもしれない。そういったリスクを考えたりしなかったんですか?
絵子)確かに現地校となると10月からの入学で、友達はみんな4月から高校生で、その意味では後れをとるのかもしれないけど、自分は自分のペースでいくと決めたからそこに不安はないですね。むしろ楽しみというのが正直なところかな
健) そうかあ。パパは自分で決めたことでもどこかで不安というか、自分の決断は間違えていなかったのかな〜と、自分で決めたくせにクヨクヨしたりするけどね
絵子)そうなの? パパでもそんな風に感じたりするんだ。むしろ私の方がビックリですよ。でも、パパだって大学生の時に就職というみんなが選択する道を選ばなかったわけじゃないですか。そこに不安はなかったんですか?
健)いや、だからパパは不安だらけだったよ。やっぱり大きな流れってあるわけだよ。周りのみんなが4年で卒業して就職していくわけじゃないですか。でも、自分はひとり山に登り続けている。エベレストになかなか登頂できずに、気づけば8年間大学にいたわけですよ。結果としてエベレストに登れたかたから良かったけど、それはあくまでも結果論でね。
ひとりだけ別な道を行っているまさにその時は、そりゃポツンとひとり取り残されている感じがして、不安だったよね。もしエベレストに登れないまま終わったらどうしようって
絵子)そうなんだ。そんな風に思ったりしてたんだ。私はまだそこまで重い決断の道を選んだことがないからそこまで深くはわからないけど。もちろん、ニュージーランドの現地校での生活が楽しいばかりじゃないとは思う。
まだ英語に不自由するところもあるわけで、むしろ苦労するのも目に見えてるけど、自分で決めたんだから。立教もやめたし、日本の高校にも今更戻るつもりはないわけで、退路を断ったんだから。でも、何があったとしても乗り越えられないという選択肢自体を考えてないです。それに道を外れたとも思っていないかな。周りから見たらそういう風に映るかもしれないけれど、自分の選択した道が私にとっては本当の道になると思う。それになにより自由に決めさせてもらったんだから
健)自由っていうのはとても難しくてね。結局、何かをひとつ選ぶと、そのひとつ以外は捨てるわけでしょ。よく若い時は可能性は無限大なんて言われ方するけど、決して無限大ではないんだよね。逆にワンポイントなんだよ。
数ある可能性の中から自由に選べるって言っても、結局ひとつしかチョイスできない。そしてその選択肢に飛び込むというのは、針の穴みたいなところに入って行くわけで、無限大の世界に飛び込んで行くわけじゃない。
そして、その小さな穴をクリアできれば次につながって、ある時ふっと世界が広がったりすると。でも、それも結果論でね。チョイスした小さな穴をクリアできないリスクだって当然あるわけで、自由っていうのは難しいものですよ
絵子)パパはエベレストに登るって決めて、それは自由に決めたことだったけど、そのことによって他の、たとえばどこかに就職するという選択肢は捨てたわけで、パパにとっての自由は、時にとても苦しかったりもしたんですか?
健)そうなんだよ。自由ってのは好き勝手に何かを選べるっていうイメージだったけど、そんなものじゃないね。自由ってとても苦しいものだよ。そして孤独なものでもあるんだよ
絵子)そうかあ。まだ私には正直ピンとこないかなあ
健)キリマンジャロ登山の苦しさとはまた違うんだよ
絵子)そのくらいはわかります(笑)
健)それにしても今回のキリマンジャロはキツかったな。最後の山頂アタックの時ににまさかまさかの猛吹雪。まつ毛も鼻毛も全部凍りついた。あれはまるでヒマラヤの世界だ
絵子)あのパンチのきいた経験はほんと面白かった。ガイドの方も『こんな天気は5年ぶりくらいだ』って驚いてたし。真っ暗な中で背後から他の登山者の『わー』とか『ギャー』とパニックになった悲鳴が暗闇の中、響いていて怖かった。
特に最後の方は噴火口の淵を歩いていくから、気を抜くと身体が飛んできそうで、身の危険を感じたし。ブリザードでまつ毛も凍るし、まるで顔を殴られてるみたいだった
健)そうそう、ブリザードって殴られるような感じなんだよね
絵子)そもそもだけど、あれはパパがよく言う『していい無理と、しちゃいけない無理』のどっちだったの?
健)あれは『しちゃいけない無理』に片足突っ込んでいたかもだね。多くの登山者が引き返していたでしょ。午後にはレスキューヘリが飛んでいたよね。
ただ、俺たちは積み上げてきたんだよ。絵子さんが『キリマンジャロに登りたい』と宣言した時から山に登り続けたよね。
同じくらいの標高を経験しておこうとヒマラヤにも2度行って5,000メートル超えのピークを4峰登ったよね。あの腰まで雪があったポカルデピークは正直言ってキリマンジャロよりも難しい。でも、キリマンジャロに向けて徹底的にやったよね。
出発直前には前哨戦としてボルネオのキナバル山も登ったり。
他にも悪天候の中の八ヶ岳縦走。ざんざんぶりの雨の中で『こんな時に行かない方がいいよ』と山小屋の女将さんに止められて、内心『俺も行きたくないなあ』と思ってたけど、強烈な雨と風の中、15時間、歩き続けたでしょ。
稜線のところなんて横殴りの風と雨にやられてさ。また八ヶ岳の冬はスタート地点の温泉宿でマイナス17度、登ったらマイナス25度。そんな時も山に行ったよね
絵子)うん。寒くて痛くてしんどくて、とにかくめちゃくちゃ不快だった
健)それが大事なんだよ。テーマは肉体的、精神的な不快。苦痛を体に叩き込んでおくんだよ。肉体的、精神的な苦痛をある程度経験しておかないと、後々困る事になる。天気の良い時だけ山に行っていて、いきなりあの時のキリマンジャロのブリザードに見舞われたら確実にパニックになっちゃうからね。
あえて厳しい環境に身を置いて、肉体的、精神的な苦痛を体験しておくと『あの時に比べたらまだいいな』と比較できて、冷静でいれるからね。他の登山者はそういった蓄積がなかったから『わー』とか『ギャー』とか叫んで一種のパニックになっちゃったんだと思うよ。
絵子さんは最後までパニックにならなかったね。途中で睡魔に襲われてコクリコクリしてたけど、喝を入れたら直ったし。最後の最後でこの3年間の経験がいきたという感じかな
絵子)悪天候の中、キリマンジャロになんとか登って『ああ、これまでの経験があったからここにつながった』と思ったんだよね。だから次にまた厳しい条件で山に登ったとしたら、それは今回のキリマンジャロの経験がいきるわけで、次へ次へとつながっていく感じが面白いなと
健)そうだよね。続いていくものだからね。それにしても、あの厳しいキリマンジャロのあと下山途中の山小屋でガタガタ震えながら『次は6,000メートルを超えたい』って言うんだからパパはビックリしたよ
絵子)キリマンジャロは親子登山の一つの大きな目標だったけど、まだここで終わりじゃないぞ、と思ったんですよね
健)ほぉ、なら次はまたヒマラヤかな!パパが始めて6000m級の山に挑戦したのはメラピーク! 19才だったけれど、絵子はスタートが早いからね。でも、もう充分、チャレンジする資格はあるね!
健)この半年間、色々とメディアにも取り上げられたりしたけど、そのあたりはどうだった?
絵子)今でもずっと思ってるけど『伝える』って難しいなと
健)似てるようだけど『伝える』と『伝わる』はまったく違うからね。伝わってはじめて意味がある。『伝える』イコール『伝わる』じゃない
絵子)そこが難しいよね。『こういう話をしよう』って事前にイメージしてたんだけど、実際に本番が始まるとなかなかその通りにならなくて
健)ああ、収録のあと『うまく喋れなかった』って泣いてた時もあったよね。パパから見たらよくできていた方だと思ったけど。自己評価は違ったりするんだよね。でも、うまく喋れなかったという悔しさがグッと出たから良い経験だよ。場数を踏むのが大事だからね。
パパもエベレストに登った後だけど大学の広報課に講演依頼がバーッときて、60分とか90分とか人前で話してくれ、となった。でも、こうやって相手と話すわけじゃなくて要するに独り言みたいなものだからね。
電車で会場に向かいながら頭の中真っ白でしたよ。どうやって1時間もノンストップで話すんだよって。一番最初の講演は今でもよく覚えてるけど、1時間なんて無理だから45分で、となってね。だけど気づいたら70分も話してたんだけど
絵子)余裕で喋れてるじゃないですか(笑)
健)いやいや、実際は必死だよ。マイク持つ手が震えていてね。25歳でエベレスト登ってから今まで何回講演したかわからないくらいだけど、今だってうまく波に乗れずにヘコむ時も当然ありますよ
絵子)そうなんだ。ひとつ聞きたいんですが、メディアに出ると色々な反応があるじゃないですか。私もまったく知らない人から『キリマンジャロ頑張って』と応援メッセージをいただいたりして嬉しかった面もあれば、中には批判もあったりして最初はちょっと戸惑ったりしたけど、パパはそのあたりはどう考えているんですか?
健)何かをしようとすると評価とセットで必ず批判もあるものだからね。パパも学生の頃から『お前がエベレストなんて登れっこないじゃないか』と言われて実際に失敗すると『ほら見ろ』と言われてきた。
ただ、パパの感覚だけど対面での批判というのは7割くらいは的を射ていると思うよ。残りの3割は気にしなくていいけど、この7割には自分を成長させるヒントがある。人間ってどうしても客観的に自分のことを見れないものだからね。まあ、それでも本人は傷ついたりするんだろうけど、それはそれで非常に良い経験だと思うよ
健)去年の年末からのヒマラヤは登山だけじゃなくて、シェルパの子どもたちにランドセルを届けたりもしたけど、どうだった?
絵子)今だから言えるけど、はじめはランドセルを渡しても喜ばれないと思ってた
健)え? マジで
絵子)だってみんな何かしらのバッグは持ってるだろうし。それよりもまだ持っていないものを渡した方が喜ぶんだろうと思ってて/p>
健)シェルパの子どもたちはランドセル持ってないよ
絵子)いや、ランドセルは持ってなくても、ランドセルの機能を果たすもの、つまりバッグとかリュックだけど、それは持っているわけだから。そうじゃなくて、そもそも機能として持っていないものの方が喜ばれるんじゃないかって
健)竹馬とか?
絵子)いや、そういうことじゃなくて
健)タケコプター?
絵子)パパ!
健)どこでもドアとか?
絵子)・・・それはドラえもんの道具で、現実には存在しないですよ
健)まともに突っ込むなよ(笑)で、どうだった?
絵子)で、実際にエベレスト街道のクムジュン村でランドセルを整理していたらパパから『絵子、ランドセル配って』と呼ばれて。振り向いたらすごい数の子どもたちが列をなしていて。実際に渡すと『センキュー』って言って、みんなすごい笑顔になって
健)ランドセルをもらうと子どもたちが急に走り出すから不思議だよね
絵子)そうそう。もう全力ダッシュで。そこら中を走り回って。その時に『ああ、嬉しいんだ。喜んでもらえてるんだ』ってはじめて実感した。喜んでくれないと思っていたのに、子どもたちが大はしゃぎするのを見て、自分のしたことで人が喜んでくれるということが素直にとても嬉しかった。
パパの活動の全体像はまだ実感をもってはわからないけど、きっとこういう風に自分じゃなくて誰かの喜びのためにやっているんだって思いました。人に喜んでもらえるってすごく嬉しいことなんだと。
もちろん本とかホームページでパパの活動のことは知ったつもりになってたけど、実際に現場に行くと感じることが全然違うんだなと。子どもたちが全身で喜びを表現していて、ストレートにこっちにも感情が伝わってきて。本当のことって実際にその場にいないと絶対にわからないと思った。だからちゃんと他の活動の現場も見たいなと
健)そういう経験は早いうちにしておいた方がいいと思ってね。これは親父の影響が大きいかな。いわゆる学校の勉強というのは1回も教えてもらったことないけど、難民キャンプとか色々な現場につれて行ってくれてね。その経験がベースにあって、今の自分がある。
ランドセルプロジェクト以外にもヒマラヤでは学校や図書館をつくったり、森を再生したり、いろいろな活動をしてるけど、実際に現場に行かないとわからないことが多いよ。現場は理屈じゃないから一発で入ってくるんだよね
絵子)あと、日本と違ってパパに人が集まってくる理由が違うことが面白かったな。日本だと要するに『メディアに出てる人』ってことで人が集まってくる。だから『写真撮って』とか『サインを』ってなるんだけど、ヒマラヤだとシェルパのみんながパパに感謝の気持ちがあるから集まってきて『お茶をどうぞ』とすすめてくれる
健)ああ、あれは事前にシェルパにお金を渡して『今度娘と来るから全員で感謝の意を示して俺を立てるように』って言っといたからな。みんななかなかの演技だったなあ~
絵子)あ、そうなんだ~。パパがシェルパのみんなにお金を渡して演出してたんだ。なるほど、なるほど、あれは演出だったんだあ~。って、そんなわけないでしょ(笑)
健)そういえばもう午前2時だけど荷造り終わったのか?
絵子)いやいや、パパと話してたから終わるわけないでしょ
健)まあ、荷造りってのはそんなもんだ。今夜はニュージーランド留学の壮行会だからな
絵子)そうなの? これが壮行会?
健)もちろん
絵子)いつもと同じじゃないですか。そういえば壮行会と言えば前回の『金多楼寿司にてキリマンジャロ登山の壮行会』はまったくもって壮行会じゃなかったよ
健)いや、あれは壮行会だよ
絵子)いやいや、だってパパがずっと喋っていて、キリマンジャロの話なんて一切なくて、あれじゃいつも通りの夜ですよ
健)いや、絵子さん、あれが壮行会なんだって。山に行く前にいつも通りに大好きな金多楼寿司に行って、楽しく会話して、おいしいお寿司をいただいて、行ってきます、と。逆にだぞ、あの場でパパが真剣に山について語り始めて『若旦那、本当に長い間お世話になりました。若旦那の握る寿司の味を私は生涯忘れません』なんて始めちゃったら、それは片足棺桶に突っ込んでるようなもので、いつもと違っちゃダメなんだって。
要するにね、何かに挑戦する時に気負っちゃいかんのですよ。いつも通りのことをすればいいんです。肩の力を抜くっていうのが最大のテーマでね。どうしても何かに挑戦する時はね、力が入るんです。人間て。
力が入る方が気持ちいいし、ストイックになると自分に酔えるし。でも、そこが落とし穴だからね。いつも通りが大事なんです。だからキリマンジャロ登山の壮行会は壮行会だったの。これ、ほんとよ
絵子)なるほど。いつも通りかあ。よし、私も気負わずに明日からニュージーランド行ってきます
健)そうそう。それでいいんですよ。ニュージーランドの山も調べておくように
文責:お喋りなパパのお友達K・M
学校からホームステイ先に帰る途中、子供たちが鬼ごっこをしていた。
「I'm free !」と言って、逃げるてる子供と追いかけている鬼。自由になった代わりに逃げることになった。
「自由とは、難しいものなんだよ」父が対談で言っていた言葉を思い出した。
私は、ニュージーランドに来る前日に父と対談をした。父と対談をするのは初めてで、私は緊張し、苦戦した。父は、平気で、普段自分が意識していないところまで深く突かれる。
何にでもスラスラと答える父の脳みそを覗きたくなった。
今までは父が私に自分の経験を沢山話してくれていた。次は私が父に自分の経験を話す番。
ニュージーランドの町並み、学校、人。まだ2週間弱しかいないけど、私は既にたくさんの経験をしている。写真も何100枚も撮った。
早く話したいなー、そんな事を思いながら歩いていたらホームステイ先の家が見えてきた。ここが今の私のホーム。
ニュージーランド・オークランドにて。
娘との対談は始めての体験。何気にトークするのとは違い対談は互いが真剣勝負。約2時間の親子対談でしたが娘との繋がりを深めたような気がします。
僕はおしゃべりな印象があるかもしれませんが、意外と自分の内面について話をするのは苦手。もし、この数年間に及んだ娘との挑戦がなければ、僕はもう少し理想な父親を演じていたのかもしれない。しかし、あの吹雪のなか、共に精一杯、必死に戦った。親子でスタートした2人の挑戦がでしたが、あのキリマンジャロで「親子」から「戦友」になった気がします。
強烈なブリザードに体温が奪われていくなか、岩陰に身を隠し「この状況のなか、まだやれるか」との問いに一言「やれる」と答えた娘殿。5800m付近でこの悪条件。本人からしたら人生最大の苦しみであっただろうに。しかし、たったの一度も弱音を吐く事なくやり遂げた。そんな娘を親バカかもしれませんが心の奥底から誇りに感じています。大したヤツだと。
娘は多くを語らないが、しかし、娘の生き様に父親でありながらも学びが多かった。そしてとても幸せな時間でした。娘と山で過ごしながら早く登頂したいと感じつつも、この幸せな時間が終わってほしくないと。まさに「止まれとは言わないけれどせめてゆっくりと進め」でした。
さて、僕はこれからマナスルへの挑戦が始まります。キリマンジャロで見せてくれた娘の勇姿を心に吸収し僕も必死に生きてきたい。
マナスル・ベースキャンプより。
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