産経新聞「直球&曲球」掲載されました。
2022年6月2日掲載
「平賀カメラマン遭難...残った手のぬくもり」
この4月、2年半ぶりにヒマラヤへ入った。4度目のマナスル峰に向けた調整だった。2019年秋、マナスル峰へ3度目の挑戦をするも、山頂まで標高500メートル手前で撤退。登頂して無事に生還する姿をイメージできなかったのだ。ヒマラヤで20年来ともに挑戦してきた平賀淳(ひらが・じゅん)カメラマンに「大変申し訳ないが、ここで下りよう」と告げた。雪が降る中、ベースキャンプに到着した際、平賀さんは「登頂はできなかったですが、僕たちが生きて戻るという約束は果たせましたね」と僕の手を握ってくれた。
彼が突然、僕のところに現れたのは02年。「これからカメラマンをやります。僕をヒマラヤに連れて行ってください」。「カメラはあるの?」に「いや、カメラは持っていません。野口さんのカメラをお借りしたいです」に驚かされた。「なんてずうずうしい男だ。しかし、雰囲気を持っているな」と。気がつけばエベレスト清掃活動で彼がカメラを回していた。すぐにシェルパたちとも打ち解け、初めての遠征ですっかり野口隊の主要メンバー面をしていた。05年シシャパンマ峰、07年エベレストと、ともに8000メートル峰に登った。緊張する場面でも彼の人懐こさに皆がほほえんだ。ある時にふと感じたことがある。カメラを向けられると人はついつい構えてしまうが、彼が向けるレンズには笑顔がある。人柄がレンズを通して伝わってくるのだ。その平賀さんとマナスルに向け何度も話し合った。「今度こそ『。』を付けましょう」と。
この春、僕はヒマラヤに。平賀さんは撮影でアラスカの山に。しかし、僕がヒマラヤから帰国した直後、平賀さんの遭難の第一報が。「僕より先に人生に『。』を付けてどうするんだい!」と空に向かってつぶやいた。どんなに気を付けても避けられない遭難もある。報道で「山岳カメラマンの第一人者」と大きく紹介されていた。「カメラすら持っていなかった男がよくぞここまで頑張ったな」と褒めてあげたい。
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