本日、ディンボチェ村からチュクン村へ。1993年4月、僕が始めて登頂したヒマラヤの山がアイランドピーク。19才でした。あの頃と比べるとロッジは物凄げ立派になったし、Wi-Fiはだいたいどこでも繋がるし、もう、想像を遥かに超えて進化?しましたが、内心、ちょっとやり過ぎではないかと感じなくもなく。
僕が始めてきた頃は電気もなくロッジというよりも岩小屋みたいな感じで囲炉裏にランプ。全身、煙くなくなりましたが、今ではあれが懐かしいな。
ただ、変わらないのは山!!! チュクンから眺めるアイランドピークはまるで変わっていない。氷河の後退はありますが...。
前半戦を終え、ちょっと気の緩みがあったのか、今日は二人して体調が微妙。胃腸の疲れなのか、腸がパンパンに張りチュクンについてから薬を飲んですぐに寝袋に。2人してほぼ同時に同じような症状が出たのだから、やはり親子という事で体質が似ているのかもしれませんね。
最近、強風が続いていていましたが、あくまでも天気予報によれば明後日は風が比較的穏やかになると。そこを狙うのかどうか。その次の日からはとんでもない強風が吹くとの予報。山岳地帯の天気予報ですから、日々変わりますし。休養を入れるのか、一気にその隙間を狙ってアタックをかけるのか。
絵子さんとも話し合いながら、決めたいと思います。
ネパールの飛行機事故の一報。またかと...。悲しみと同時に怒りの感情も湧いてきます。昨年も墜落し...その機体は40年前のものだったとの報道も。
ヘリを含めると毎年のように墜落事故を起こしている印象があります。カトマンズ発、ポカラ便は、僕もついこの間、乗ったばかり。ポカラの学校の式典に一緒に参加したウパカルさんはまさに今回、墜落したその飛行機に2週間前に乗っていました。ネパールの国内線は、あまりに墜落事故が多い。犠牲になられた方々がもう本当に気の毒でならないし、ネパールの飛行機事故を聞く度に明日は我が身だと...。
以前、ルクラで僕らを迎えにくるはずの飛行機がいつまでたっても来なくて、後で知らされたのは、向かってくる途中で山に激突したと。墜また、その数年後には僕らをヒマラヤからカトマンズまで運んでくれたヘリがその直後に他の登山隊の元に向かった途中で墜落し。
シェルパ達ともネパールの国内線はヤバいと話しましたが、もう、諦めモード。「落ちる時には落ちる。だから、僕たちの日頃の行いが大切。毎日、お祈りをすることがが大切なんだ」と話していました。分からなくもないですが、しかし、乗客の努力によって飛行の安全が保たれるようでは話にならない。
ネパールの飛行機会社がどへだけ安全対策に真摯に取り組んでいるのか。ネパール人はどこかで飛行事故に慣れてしまったのか、諦めモードなのか、そのような印象を持ちますが、国を上げて飛行の安全に対し本格的に取り組むべき。
アイランドピーク挑戦の直前になんとも悲しく辛いニュースが飛び込んできてしまいました。