パンガ村でお参り。この大遭難は忘れもしません。日本隊は全滅。その日本隊のシェルパもほぼ全滅。季節外れの大雪により山小屋ごと雪崩により破壊されました。僕の大親友のナティーシェルパも犠牲に。直後に日本からネパール入り。ヘリで現場周辺に飛び、ナティをルクラ村の家族の元に連れて帰りました。
この悲劇的な遭難をきっかけにヒマラヤで遭難死したシェルパ達の補償をしなければと、シェルパ基金を立ち上げた。当時は補償金もごくわずか。シェルパ達の命がこんなに安く扱われていいのかと。シェルパの遭難に関して扱うこと自体が当時の山岳関係者の中ではタブー。しかしこれはシェルパの人権問題。
シェルパのサポートがなければ僕らはエベレストには登れない。また、シェルパもガイド業で生計をたてている。つまり、両者の関係はイコール。万が一、遭難したら遺族へちゃんと補償をする。その信頼関係なければどうして一緒に命をかけられかのかと。同時はシェルパ基金に対し厳しい意見がありました。
しかし橋本龍太郎さんが「私が隊長をやったエベレスト隊でもシェルパが犠牲になった。そのシェルパの遺体を野口くんが見つけて埋葬してくれた。山岳関係者の中でガタガタ言うヤツもいるがそれは俺に任せろ」と。今では山岳関係者の皆さんからもシェルパ基金にサポートを頂いています。龍さんには感謝。
橋本龍太郎さんは、僕にとって、本当に父親のような存在でした。エベレスト清掃活動に関しても関係者の間で厳しい意見が飛び交っていましたが、影でずっとサポートして下さった。今回はヒマラヤの龍さんのお墓参りもできて、本当によかった。有難う龍さん。
いつも「龍さん」と呼んでいましたが、一度ぐらい「おやじ」と呼びたかった。タンボチェのお墓の前でこっそりと「おやじ、会いに来たよ」と小さく呟きましたが、怒っていないかな...
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