キャンプ2の下山中から異変がドカンと現れ、ヘロヘロになりながら夕方にキャンプ1へ。もう疲れたからキャンプ1で寝ようかなと思いながら血中酸素濃度を測ったら50パーセント台。これはヤバいとヘッドランプをつけてベースキャンプへ。
真っ暗闇の中、あのクレバス地帯をふらつきながら降るのは大変でした。最後は這いつくばるような、もう、そんな感じでした。
ベースキャンプについて数時間後、容態は更に悪化し、酸素ボンベをテントに持ち込む。毎分2〜3リッターで酸素吸入するものの咳が止まらずその勢いで吐いてしまう。マスクの掃除が大変でした。「テントの中で溺死してしまう」のではないかという苦しみに恐怖。テント内は修羅場と化してました。
シェルパ達が体をさすってくれたり。涙を流すシェルパもいて、もう、本当に申し訳なかった...。シェルパたちに本当に助けられました。
以前、敗血症の経験があるので、あの時の症状に似ているなと。横になると咳が酷くなるので朝方まで正座しながらの酸素吸入。呼吸をしている時に肺からシュワシュワと泡が溶けて行く時のような音が聞こえてくる。
医学的知識はゼロですが、前回の敗血症の時に感じたあの容赦なく迫ってくる生命の危機というのかな、同じものを感じ、これは一回「脱出せねば」とシェルパに伝えたのが午前5時半。
ちょうど中国隊の荷物をサマ村に下ろすヘリが6時過ぎからか、何度もピストンしていたので、そこに乗せて頂きサマ村へ。
しかし、容態は然程変わらず。サマ村にいたインド隊の医師に診察して頂き「肺から水の音がする。排水種だろう」と。
サマからカトマンズまでのヘリの確保もままならず、ただ、エイシアントレッキング(登山隊やトレッキングを手配するエージェント)が素早く動いてくれて、なんとかひと席を確保。
詳細はいずれ書きますが、何か一つでもダメだったならばあの日のレスキューは実現しなかった。あの日にレスキューされなければ、おそらくアウトだっただろう。
カトマンズの病院に直行。聴診器の診察ではやはり排水種。次にレントゲン、CTと検査が続き、両方の肺には水は確認できず。
しかし、両サイドとも真っ白。つまり肺炎。血液検査の結果、炎症反応、白血球の数値が異常に高く「敗血症に近い状況ではないか」と。それから抗生剤の点滴を5日間、打つことに。
そして昨日になり、炎症反応や白血球の異常だった数値が落ち始めました。「敗血症までには至らず」とそんな説明だったかと思います。
専門用語が英語でバンバン飛び交うので朦朧とする頭で理解するのが大変。
担当医も「あなたは直ぐにヘリコプターに乗れてラッキーだった。直ぐにレスキューされなければ危なかった」と。
峠は越えましたので、ただ、依然、両サイドの肺は肺炎。話すと咳が止まらなくなるので、寡黙なアルピニストは今日も寡黙に窓からカトマンズの空を眺めています。
退院の目処がたっていませんので、帰国はいつの日になるか分かりませんが、もう、ジタバタしても仕方がありませんので、じっくりと体を休めます。
あ〜マナスル。8月からエベレスト山域で約3週間の高所トレーニングをして、足もいい感じに仕上がり、そしてあのマナスルが奇跡の晴天続き。「これはやれる。4度目の正直なるか」と思った矢先のアクシデント。マナスルは... もうマナスルはやめよう。たぶん、相性というものがあるのだと思う。もちろん、ぼくの力不足なのですが。もう、マナスルはやめにします。
「淳、ごめんな。僕なりにやる事はやったけれどマナスルに「。」をつけることができなかった...。ごめん。
ただ、違う山に行こう。
そうだな、ほとんど人のいない秘境。ムスタン辺りにひっそりと聳え立つ頂きを目指すのもいいんじゃないか」
まずは、体を治します。お騒がせ致しました。
そして今日からアタック体制に入ったAG隊の皆様の登頂と無事を願っております。