本日の産経新聞に連載記事が掲載されました。
七尾市で行ったテント村について書きました。
テント村の設置は、奥能登地域の首長は前向きだったが、石川県が不許可。次に七尾市長に連絡したら「ぜひ、お願いしたい」と即決したものの、またしても県が不許可の判断。市長は引き下がらず、馳浩知事に直談判し、ようやくゴーサインが出た。
産経新聞 2024年6月6日掲載
「テント村を即決できなかった日本の行政」
5月29日、2カ月間にわたり能登半島の石川県七尾市で設営されていたテント村が梅雨入り前に閉村した。テント村を利用したボランティアは5401人。1123軒の家屋から被災ゴミを運び出した。岡山県総社市と私が代表を務めるNPO団体が連携し被災地にテント村を設置したのは2回目となる。1回目は熊本地震(平成28年)。主に車中泊をされている方々を対象に約600人を受け入れ、やはり2カ月間運営した。
今回は、ボランティアを受け入れるためのテント村となったが、「2種類」のテント村を実施してみて、災害時におけるテント村の重要性を改めて痛感した。
能登半島地震ではボランティア不足が指摘されていた。地理的なものと道路の甚大な被害が要因だった。その上、被災地に宿泊できる施設がなく、ボランティアが金沢市からバスで奥能登に入っても日帰りになるため、作業時間が2時間ほどしか取れない。
テント村の利点はテントと場所さえあれば〝一夜〟で完成することだ。ただ、今回は準備を始めてから実現するまで1カ月以上かかった。
初めに持ち掛けた奥能登地域の首長は前向きだったが、石川県が不許可。次に七尾市の茶谷義隆市長に連絡したら「ぜひ、お願いしたい」と即決したものの、またしても石川県が不許可の判断。茶谷市長は引き下がらず、すぐに馳浩県知事に直談判し、ようやくゴーサインが出た。
既に100張りのテントや寝袋などの準備を終えていたので安堵(あんど)したが、同時に無駄に時間を浪費してしまったことが残念でならなかった。
イタリアでは災害発生から数日以内にテント村を造らなければならないという法律があるそうだ。それぞれの自治体がテントや寝袋などを確保し、地震が起きれば周辺の自治体が「テント村セット」を被災地に届け、あっという間にテント村が誕生する。
災害大国・日本でも各自治体が寝袋やテントを確保し、テント村の設営場所も決めておくべきだ。平時からリアルに有事を想定しリアルに備えないと、いつかこの国は「致命傷」を負うだろう。