エベレスト街道には世界最大級のイムジャと呼ばれる氷河湖がある。世界の学者が気候変動による氷河の融解や氷河湖の決壊のリスクについて警告していた。ネパールは複数の巨大氷河湖を抱えている。特に決壊時の脅威が懸念されているのがイムジャ氷河湖、他にチョロルパ氷河やツラギ氷河湖などがある。専門家たちも主にそこに注目していた。
私もそれらの氷河湖を視察し、カトマンズに本部があるICMOD(国際総合山岳開発センター)や当時IPCC(気候変動に関する政府間パネル)議長だったラジェンドラ・パチャウリ氏など様々な専門家の方々に取材し、第1回アジア・太平洋水サミット(大分県別府市、2007年12月)や第2回アジア・太平洋水サミット(タイ・チェンマイ、2013年5月)、北海道洞爺湖サミット(2008年7月)で巨大氷河湖の決壊対策を訴えていた。
しかし、そのすきを突かれたのが、今回のターメ村上部の氷河湖の決壊である。人々の注目はそこにはなかったのだ。
想像するに先に挙げた大きな氷河に比べ、ターメ村上部にある氷河湖は小さく脅威とは思われていなかったのかもしれない。ヘリから撮影された画像を見ると複数の小さな氷河湖がいくつか存在していた。未確認情報だが「その内の二つが決壊したのかもしれない」と地元行政の関係者の話である。
エベレスト街道のシェルパ達も「我々は外国人からイムジャの危険性のことばかりを聞かされてきた。ネパール軍もイムジャの決壊対策だけ行なっていた。それなのに違うところで決壊が起きてしまった」と嘆いていた。
2007年、IPCCが地球温暖化や気候変動に関して科学的知見などを報告し、氷河の融解を危惧され始めた。私は、この問題をもっと世界中に知ってもらわなければとネパールのコイララ首相、ブータンのキンザン・ドルジ首相やインドのサイフディン・ソズ水資源大臣、バングラデシュのラフマン水資源大臣との面会を重ねた。(肩書はすべて当時のもの)
私の狙いは氷河の融解により水害被害を受けている当事国(ネパール、ブータン、インド、バングラデシュ)の水資源大臣に別府で開催される第1回アジア・太平洋水サミットにお集まりいただき、共に訴える事だった。その方が強くメッセージが伝わるだろうと考えた。外務省やJICA、特に日本水フォーラム会長の森元総理のご助言やご協力もいただき、各国の首相や水資源大臣の大半が別府に勢ぞろいし共同声明をだすことができた。
この時、私はエベレストに登ることよりも遥かに困難なことをやれたと興奮し身震いした事を今でも覚えている。この件で福田首相(当時)とも首相官邸で氷河湖の決壊対策について日本の果たせる役割について意見交換を行った。予定時間を大幅に超える話し合いをさせて頂いた。
東京電力からも氷河湖を巨大なダムにすれば決壊対策と同時に長年、電力不足に悩まされてきたネパール社会に貢献できるのではないかと興味を抱いているようだった。気候変動自体を直ぐに止めることは不可能である。だからといって、気候変動の取り組みを待っている時間はない。被害は容赦なく襲ってくる。氷河湖ならば「決壊対策」が必要であり、その為には例えば水門の設置や氷河湖の横に穴を開けパイプを差し差し込み水位が上昇したら少しずつ湖水を抜く方法がある。環境問題の専門家だけではなく、ダム建設などの土木専門家に氷河湖で調査隊を日本の専門家による調査隊を現地に派遣できないものかと福田首相や鴨下環境大臣(当時)に要望をしていた。間違いなく流れの入り口までは作れたと感じていた。
メディアでもヒマラヤの氷河融解問題の注目度は大きかった。洞爺湖サミットの報道では、朝日新聞が自社機をヒマラヤに飛ばし上空から氷河の撮影を行い大特集された。
しかし、人々の意識はそう長続きしなかった。
あれから10年以上がたつ。イムジャ氷河湖の決壊対策は多少は行われたが、私が期待したほどには進まなかった。実現するには、かなりの予算が必要であり、また標高5000mという過酷な環境が壁になったのだろう。
ここ数年、多くの専門家の予測よりも氷河の融解が明らかに早いのではないかと私自身、素人ながらヒマラヤに訪れる度に強く感じていた。例えば5年前にアイランドピークという山に登ったが、その時は山頂に繋がる稜線に出るために数百メートルの氷壁を直登したが、昨年、再度訪れた時には氷壁の氷がほぼ全てなくなり、もろい岸壁に姿を豹変させていた。
マナスルには過去4回訪れているが、特に驚いたのは2019年のマナスルと2023年のマナスルとでは氷河はあまりに別物であった。BCからc1まで緩やかにたいらだった氷河がまるで破裂したザクロのようにズタズタに裂かれ大きく口を開いた無数のクレバス地帯になっていた。まるでエベレストのアイスフォールを連想させた。
気候変動によるヒマラヤの変化は、挙げたらきりがないほど見てきた。シンポジウムや会議室でのやり取りよりも遥かに自体は早く展開し深刻であると感じていた。
2008年9月に外務省でヒマラヤ氷河湖決壊対策についての有識者会議が開かれ、専門家が集まりエベレスト街道をテーマに話し合ったことがあった。その中で目立った意見は「氷河湖の決壊対策も大切だが、それよりも決壊しても人命の犠牲を極力減らす為にはエベレスト街道の村々を移住させてはどうか」。正直、耳を疑った。このあたりは乾燥地帯であり、全てではないが多くの村々は川沿いに集中している。その上流に氷河湖がある。氷河湖は天然のダムであり、昔から人々に水を供給してきたのだ。水がなければ人々は生きていけない。エベレスト街道の人々に限らずヒマラヤ地域の人々は氷河と共に生きてきたといっても過言ではない。エベレスト街道そのものを引っ越せるわけもなく、心底に耳を疑い、また、このような議論がなされている事を地元のシェルパ達には伝えられないと憤りすら感じていた。
しかし、あれから15年ほどが経ち、あまりに急激な氷河の変化に全ての村々ではないにせよ移住というのがリアリティをもってきた。村によっては、もはや選択肢はないと感じている自分がいる。
特にあのターメ村の洪水被害を目の当たりにし、同じ場所にターメ村の再建はしてはならないとさえ...。ターメ村の村人には極めて酷な話であるが将来に犠牲者を出さないために選択肢は極めて苦渋に満ちたものになるだろう。
今回、犠牲者が出なかったのは奇跡でしかない。決壊が昼間ではなく深夜に起きていれば間違いなく多くの犠牲者をだしていただろう。その事を肝に銘じなければならない。そしてターメ村の上部には未だにいつ決壊してもおかしくない複数の氷河湖を抱えているという事を忘れてはならない。
ゴーキョ村もゴジュンバ氷河の幅が拡大し大地を侵食し村の真裏まで迫ってきている。「ゴーキョ村に未来はない」と話すシェルパ達もいるし、ゴーキョピークの山頂から見渡せば氷河とゴーキョ村は鼻と目の先ほど接近してる事がよく分かる。
このままのスピードで氷河の融解が進めば数十年先にはエベレスト街道の幾つもの村々が姿を消してしまうのではないかと思われ、想像しただけで恐ろしい。仮にイムジャ氷河湖が決壊したらエベレスト街道は終わる。それほどの脅威なのだ。故にあらゆる方法を試み決して決壊させてはならない。ターメ村上部にある複数の小さな氷河湖の決壊対策も重要である。今回の決壊ではターメ村だけでなく下流でも一部に被害を及ぼした。
ヒマラヤの人々の生活スタイルが気候変動を招いたとは考えにくい。だとするのならば我々の責任でもある。正直、このテーマはあまりにスケールが大きすぎる。また、学者でも政治家でもない、一登山家に果たしてやれる事があるのかと途方にも暮れた。
私なりに精一杯やってみたが具体的なアクションには繋がらなかった過去の猛烈な挫折から私自身、諦めモードに包まれていた。しかし、被災地となってしまったターメ村を現場で見てしまいハッとさせられた。諦めたら終わるのだと。
それは山登りと同じ。登山において、厳しい状況に追い込まれた時、諦めた人から先に逝ってしまうことがある。逆にいかなる状況下に追い詰められようが生きることを諦めない人は生き延びたりする。
まずはあの時のようにもう一度、人々の意識を集めたい。そして、疎遠になっていた専門家の先生方ともう一度連携させていただき共にアクションを起こしていきたい。そして今は何よりもターメ村の人々を助けたい。一つの村の出来事だからといって見捨ててはならない。
場合によって彼らは故郷を失うのだ。そんな悲しい事があるだろうか。彼らの悲しみに寄り添いたい。「ヒマラヤ洪水基金」を立ち上げたのもそのような気持ちからだ。ターメ村の行く末を共に考え、何が出来るのか一緒に歩んでいく事で、これから先に起きるであろう災害に向け学べることも多いはずだ。
2024年9月6日 ゴラクシィップ村にて
ヒマラヤ洪水基金
https://peak-aid.or.jp/news/2024/09/himalaya-flood-fund.html
第1回アジア・太平洋水サミットにて氷河湖決壊の危険を訴えた(2007年12月別府)
ブータンのキンザン・ドルジ首相(当時)と会談(2007年10月)