産経新聞に連載コラムが掲載されました。
2025年1月9日掲載
「希望的観測を優先する日本人へ」
能登半島地震の直後から被災地に通い続けたためだろうか? 被災地から車を走らせ夜間に帰宅して玄関の鍵を開けようとしたそのとき、ふと周囲を見渡し、ゾッとさせられた。きれいにライトアップされた住宅街が瓦礫(がれき)の山々に見えたのだ。
あたり一面が瓦礫に埋め尽くされた光景が脳裏に焼きつき、フラッシュバックしたのだ。「明日はわが身」という恐怖を理屈抜きに骨の髄まで感じていた。ウクライナで爆撃された街並みの様子をテレビで見ると能登の瓦礫と重なりゾッとする。災害も戦争も有事であり、同じく残酷なまでに破壊されてしまうのだ。
しかし、メディアの話題は「不記載」のことばかり。かと思えば一日中、一地方の知事選に関する騒動がメディアをジャック。それ自体を否定するわけではないが、この間にも刻々と国際情勢は不安定化している。尖閣諸島周辺はさらにきな臭くなってきたし、ロシアや北朝鮮問題もしかり。以前、石原慎太郎氏が「日本にテポドンが一発ぐらい落ちないとこの国は目が覚めないだろう」と例え話をされていたが、この国の本質をある一面で捉えていたのではないか、と思う。
災害の度に避難所運営一つとっても右往左往。能登地震では災害関連死が多く報告されている。救えるはずの命を救えなかったのだ。医療体制や避難所の生活環境が深刻な被害をもたらしたのだろう。能登一つでこのありさま。首都直下型地震や、ましてや他国による侵略戦争が勃発したら、この国は何日持ちこたえられるのだろうか。
それに比べて台湾は地震が発生した約3時間後には快適な避難所運営がスタート。あまりの迅速さに驚いたが、中国による脅威に絶えずさらされ続けている台湾のことだ。有事に対する危機感はわれわれとは別次元。それ故に有事に対する備えや訓練も雲泥の差だろう。日本人は希望的観測を優先する傾向にあるが、現実はその通りにならない。先の大戦が証明しているではないか。日本のメディアにも言いたい。国民にもっとしっかりと伝えなければならないことが多々あるだろうにと。
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