4月24日産経新聞に連載が掲載されました。
森海の畠山重篤さんの思い出を書かせてもらいました。畠山さんの話を聞き、森林の大切さについて知りました。たくさんの学びをいただきました。
本当に残念でなりません。
4月24日産経新聞掲載
『「森は海の恋人運動」牡蠣養殖家の訃報』
「ほら、海を見てください。きれいに澄んでいるでしょう。大丈夫、海は生き生きとしていますよ」と畠山重篤(はたけやましげあつ)さんは目を細めながら僕に話した。東日本大震災直後、宮城県気仙沼市にある畠山さんのご自宅に救援物資をお届けしたときの言葉に戸惑っていた。なぜなら畠山さんの母親は津波で犠牲となり、畠山さんの漁船や、牡蠣(かき)の殻をむき取る作業場も壊滅的に破壊されていたからだ。
畠山さんはこう続けた。「津波は海をかき混ぜる。海底にたまったヘドロなんかも洗い流してしまう。だから海は蘇(よみがえ)る。海に命を奪われることもある。しかし、それ以上に私たちは海に生かしてもらっています。海とはそういうものです」
畠山さんは「森は海の恋人運動」で知られる牡蠣の養殖漁業家。牡蠣の養殖に適しているのは海水と淡水が入り混ざる汽水域だ。長年、牡蠣の養殖に取り組んできた畠山さんは研究を重ね、たどり着いたのは上流での森づくり。海につながる川の上流の山々で植林活動を始めた。当初は山と海のつながりに理解を示す人は少なかったが、長い年月を経て森は豊かになった。その結果、山が海に栄養を与え、気仙沼の牡蠣は世界中から注目され、称賛された。僕が森づくりを始めたのも畠山さんの影響が大きい。
3日、畠山さんの訃報(享年81)に接し、全身の力がスーと抜け、全ての音がしばらく遠ざかった。また大好きな人が1人逝ってしまった。
ふとある光景を思い出していた。「たばこ、うれしいなぁ...。被災地にたばこを持ってきてくれたのはあなただけですよ。極限状態を知っているだけあって人の気持ちがよく分かるんですね」と。
2度目の訪問では畠山さんのリクエストで白ワインを持って駆けつけた。いまだ周囲は瓦礫(がれき)の山々。夜になると辺りは暗闇に沈んだ。しかし、ランタンの光に照らされた畠山さんの顔は輝いていた。「野口さん、5年後にはまた旨(うま)い牡蠣を作りますから」。帰り道、ふと見上げた夜空にクッキリと天の川が浮かび上がっていた。あの絶望の中にも希望の光を感じていた。
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