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写真撮影 , 対談・会談 , 講演会

「野口健×藤巻亮太 ミニ100万歩写真展」スペシャルトークショー

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2018/12/28

「野口健×藤巻亮太 ミニ100万歩写真展」スペシャルトークショー

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2018年12月13日、「野口健×藤巻亮太 ミニ100万歩写真展」開催中のアウトドアショップ「エルク」にて、藤巻亮太さんと野口健のスペシャルトークショーが行われました。
当日は事前に申し込みをしていただいた80名のお客様を前に、90分に渡ってトークが繰り広げられました。

写真展について

野口) この写真展のテーマというのが、毎年僕と亮さんでいろんなところに旅をしていて、一緒に旅をして亮さんが撮った写真と僕が撮った写真を一緒に展示する、ということでやっているんですよね。

藤巻さん) 僕と健さんのそもそもの出会いは、もともとレミオロメンで活動してきてちょうど10年目に、雑誌の対談企画で僕が野口健さんを指名して、健さんがそこで受けてくださってからの付き合いなんですよね。それで出会ってから半年くらいでヒマラヤに連れて行ってもらって、そこから一緒に旅をするようになって、ヒマラヤだけじゃなくて、アフリカに行ったりとか、いろんな秘境を旅して。お互い登山、そして写真が好きということで、写真がたまってきたんですよね。そんな時に富士フイルムさんからお話をいただいて、ペアで写真展をやってほしいって言われたんですよね。

野口) ペアでやったら面白いんじゃないかって。同じところに行ってるんだけど、切り取る角度が違うし、同じものを撮っても、僕のは純粋な写真で、亮さんのはいやらしい写真でね(笑)

藤巻さん)逆でしょ!!
健さんは顔がもういやらしいじゃないですか!

野口) いや、亮さんは声がいやらしいでしょ

藤巻さん)声はいやらしくないですよ!

野口)だから面白いよね。自分一人の写真だと自分の世界しか見えてこないんだけど、同じ世界に行っていても見るところが違うとか、表現の仕方が違うとか。

藤巻さん)そうなんですよね。面白いねって言って、健さんが一緒に写真展をやらない?って声をかけてくださって。今日展示しているのはその時に作ったパネルなんですけど、その時の写真展のタイトルが「100万歩写真展」と言って、それが僕はリアルにそうだと思ったんですけど、例えば、車とか電車とか飛行機とか、自分の力じゃ無い乗り物から降りてから、だいたい100万歩くらい歩くとどういう景色が見えるのかっていうのがタイトルの由来ですよね。

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初めてのふたりの旅

藤巻さん)でも秘境を旅すると、1日1万歩以上、とにかく毎日すごく歩くんですよ。僕、初めて健さんの登山に連れて行ってもらった時に、ヒマラヤだったんですけど、1万歩どころの話じゃなかったですよ。

野口)朝から夜だからね。
それで出発が7時とか8時なのに、僕が朝6時頃起きたら亮さんがいなくて。ヒマラヤの標高4200mにあるロッジなんですけど。あれ、亮さんどこ行ったんだろ?トイレかな〜?と思ったんだけど、全然帰って来ないので、山小屋の外に出てふと見たら、裏山を、裏山って言っても4500mくらいの山の上にいて、この早朝に、一人で走って下りてくるんですよ。あれは何がおきたの?

藤巻さん)あれはですね...、あれはほら、朝日が僕を呼んでたわけですよ。

野口)ほら、やっぱりいやらしいでしょ?(笑)

藤巻さん)いやいや、朝日の綺麗な写真を撮りたくて。

野口)僕はいろんな人を連れてヒマラヤのトレッキングに行くんだけど、標高高いからみんな頭痛くなるし、高山病って苦しいですよね?亮さん初めてのヒマラヤだったから、「高山病になると苦しいので、あまり無駄な動きをしないでね」って言ってるのに、無駄な動きばっかりしてたよね。

藤巻さん)そうそう(笑)
ヒマラヤのエベレスト街道には5000mくらいのところまで村があるんですよ。3700mくらいの村に行った時には、富士山の山頂くらいの標高のところで少年たちが普通にサッカーをしていて。

野口)あそこは3900mね。だから富士山より標高高いよね。
そこにまだ下から着いた日だったからね。普通は慎重に慎重にゆっくり行って、深呼吸して、頭横振り縦振りして頭が痛く無いか確認しながら行くんですよ。着いた瞬間にサッカーやってる子供がいても、それはその子供たちはそこで生まれ育ってるからね。

藤巻さん)バッチリ高度順応できてますもんね。

野口)それなのに、いきなり手を振ってその村人の子供のところに参加しちゃってね。

藤巻さん)サッカーやろうよって。サッカーすごい好きなので。いや〜、でも疲れる疲れる、本当に。すごい疲れるんですけど、楽しくて。結局、健さんも途中から来て、下手なサッカーをやってましたよね(笑)

野口)それは否定しない(笑)

藤巻さん)僕はサッカーやって、次の日裏山走ったら、当たり前なんですけど5000mくらいのところで初めて高山病になりまして、高山病にもフェイズがあるらしくて、頭をどっちに振るんでしたっけ?

野口)僕はまず横振り、横にプルプルって振ってOKだったら次は縦振り。脳味噌を揺らすの。それでどれだけ今自分が頭が痛いかで高山病の程度がわかるのね。縦がOKだったらだいたいOK!

藤巻さん)で、僕は横に振っても縦に振っても痛くて、もうやっぱりはしゃぎすぎたなと思ったんですけど、知り合いから頂いたダイアモックスってやつがあったので。

野口)ダイアモックスっていう高山病に効くと言われている薬をね、亮さん、気付いたら飲んでて。普通は1回0.5錠、1粒の半分飲むものなんですけど、亮さん頭痛いならダイアモックス飲めば?って言ったら、もう飲んだって言うから、どれだけ飲んだ?って聞いたら2粒飲んだって言うからね。通常量の4倍!

藤巻さん)だから、その晩おしっこ止まらなくなっちゃって(笑)

野口)いや、でもおしっこもそうだけど、しびれたでしょ?手とかほっぺとか。

藤巻さん)そう、日本だと処方箋がないともらえない薬なんですよね。それを知らなくて、言ってよーって感じだったんですけど、まあでも痺れも残りましたけど、ある意味ギリギリ功を奏して、翌日は治って、一番最初のヒマラヤのトレッキングはカラパタールって言うところに行ったんですね。

野口)展示の中に黄色い看板の写真があるでしょ?あのあたりですね。
山頂にアタックする前夜に治って、無事に一緒にアタックできたんですけど、まだ半分高山病で、その高山病の影響で山頂でギター弾きながら歌い続けたんだよね(笑)

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藤巻さん)1月3日か4日に登ったんですよ。風が強くて、ものすごく寒かった。

野口)体感だとマイナス16度くらいにはなってたと思うんだよね。

藤巻さん)弾く方も大変ですよ。

野口)弾く方も大変だけどさ、それを撮ってっていうからビデオで撮ってて、撮ってる方も大変で。亮さんも素手だから僕も素手で撮ってるでしょ?

藤巻さん)だんだん僕のギターも震えてきて。

野口)1曲歌って、あー寒いなー、2曲目か〜、それで3曲目が始まったらもういい加減にしろって思ってね(笑)

藤巻さん)今度は怒りに震えてきたっていうね(笑)

野口)本当に指が痛くて。そのうちに亮さんのギターの指が動かなくなって、やっと気付いたかと思ってね(笑)

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出会った頃

野口)お互い大人になってから出会ったけど、なかなか友達って子供の頃みたいに簡単にできないよね。ただ、その時はタイミングがピタッとあったんだと思う。

藤巻さん)僕にとっては「ダバダ〜」から知ってるので、僕が小学生くらいから知ってるんじゃないかなっていう(笑)

野口)そんなに年齢変わらないでしょー!
「ダバダ〜」は18年前かな?19年前かな?

藤巻さん)初めて会う時は20歳くらい上の人なのかと思ってたんですよ、僕。そしたら6歳くらいしか離れてなかったんですよね。

野口)亮さんは亮さんでずっと走ってきてて、ずっと走ってるとどこから走ってきてどこへ向かっていくのかわからなくなることがあるでしょ?僕なんかもそうだったんですよね。ヒマラヤには50数回かな...19歳からずっとヒマラヤに行ってますからね。ヒマラヤに行くのが当たり前になりすぎちゃって。最初の頃は「わぁ」と思うじゃないですか。でもずーっと通ってるとだんだん「わぁ」がなくなってくる。あとは途中から清掃活動とか、活動が増えてくるでしょ?純粋に山を楽しむっていう以外の活動が。そうすると、だんだん苦しくもなってくる。

藤巻さん)健さんがそういうタイミングだとしたら、僕もレミオロメンを10年やってきて、20代はレミオロメンで、脇目も振らずに駆け抜ける、そんな感じでした。最初のうちは体力もあるので脇目も振らずに行けるんですけど、だんだん失速してきたりとか、疲れが溜まってきた時に、確かに僕も同じように、「あれ?楽しくて始めたのに、なんかいろんなことが絡み付いてるな」みたいな時がちょうど10年目くらいにあって。そんなタイミングで野口健さんと出会って、それで一緒に山に登ったっていうタイミングでしたよね。

野口)そう、それで、亮さんと出会ってまず八ヶ岳に行くか、って話になったんだよね。その頃はちょうど亮さんがカメラにハマったばっかりだった。だから、一緒に山に登った時も、ずーっと撮ってる。なかなか前に進めないってくらい。大雨降ってるのに。でもそれがすごく楽しそうで。それを見た時に「昔、小学生のときカメラマンになりたかったな」という夢がふっと思い出されたんですよね。それで、じゃあ写真をもう1回ちゃんと始めてヒマラヤを撮ったら、また山が楽しくなるかもって思って、そこから僕ももう1回写真撮ろうってなったんだけどね。

藤巻さん)写真も始めたばかり、登山も始めたばかりだったから、音楽しかやってこなかった僕にとっては初めての経験ばかりで、本当にひたすら楽しかったんですよね。

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野口)講演会でいろいろ学校とか行くじゃないですか。そうすると大体、楽しい話と夢を持っていることの素晴らしさを子供に喋ってほしいって先生に言われるのね。ワクワクしてる。夢を持つことの大事さ。それはニーズなのよ、世の中の。わかりましたって言って行くけど、何が困っているかというと、もう僕がワクワクしてないんですよ。ワクワクしていないのに学校に行ってワクワクする話をしないといけない。だから感動しているふり、というか俺は今感動してるの、と自分に言い聞かせて。しばらくそういう時期が続くんだよね。そうするとだんだん感動している自分を演じている自分に疲れてくるし、人を騙すことができても自分を騙すことができないって話ね。それでだんだん人前に出て話すのもしんどいなっていうような時に亮さんと出会ったんだよね。一緒に旅をしたら何かもっといろんなことが発見できるかも、って思って。それで、一緒に行かない?って言ってね。ヒマラヤに2回行って、アフリカは3回行って、あとは北極海だよね。

藤巻さん)健さんはそういうタイミングだったんですね。
悩んでいる時って、最初は具体的に悩んでるんだけど、途中からもう何に悩んでいるかもわからなくなるって、経験ないですか?なんか大変、なんか苦しいなって思うんだけど、その原因がもう糸が絡まっちゃって、見えなくなっているのがちょうど20代、10年くらい前で。で、健さんに山に連れて言ってもらった時に、実際問題こうして日本で生活してて、音楽でツアー行きますって言うと沖縄から北海道まで、それでも結構な旅なんですけど、やっぱりヒマラヤって圧倒的に遠くて、カラパタールに行くには途中からずっと歩かないといけないんで、100万歩っていうくらい、それくらい歩かないと行けないような遠いところまで物理的に行った時に、歩きながら精神的にも、日本で音楽をやっている自分から離れられて、30歳になった時に初めて自分を客観的に見ることができたっていうのが、健さんとの初めての旅で。その時に粉雪みたいな曲をもう1曲作らないといけないんじゃないか、とか、もっともっと大きな会場でライブやりたいな、とか、もっともっと良いタイアップもとって、みんなに知ってもらうために良い曲を作るんだ、とか、結局なんか自分が音楽を始めた頃は当たり前じゃなかったようなことが急に自分の中にのしかかってきて、それを自分に課して行くというか、最終的には自分が自分に課していくんですけど、そういうものにどんどん押しつ潰されそうになっていって、でもそれが当たり前だと思い込んでるから悩みにも上がってこないんですけど、生き方としてはすごい苦しい、っていう時期に、これは自分がレミオロメンらしさとか、音楽ってこういう風に作らないといけないとか、人にはこういう風に伝えるべきだとか、ものすごい自分が自分を縛っていることが多かったということに初めての登山で気付かせてもらったっていうのがあって、僕はそういう感じでしたね、当時。

恐怖のオフ日

野口)でもアフリカの旅長いでしょ?ずーっと移動して山登っていろんなとこ歩いて、たまーに休みの日があったんだよね。今日は休もうっていう日があるじゃない。ずーっと男二人で旅してるから、じゃあその日はお互いゆっくりそれぞれ過ごそうね、それいいねって言って、朝食食べて、じゃ、今日はお互いのんびりね、じゃあまた〜、って言って部屋に入って、久しぶりにゆっくりできるってベッドにゴローンとしたら、コンコンコンコンって。ガチャって開けたら、亮さんがウイスキーの瓶持って立ってて。朝の9時くらいから。「ちょっといきましょう、まあ、とりあえず」とか言いながら、そこからね。あの時はいろいろ溜まってたよね、いろんなことがね。

藤巻さん)旅ってやっぱり出るんですよね(笑)緩めばいいってもんでもないんですけど、緩むと出てきちゃうんですよ、いろいろ(笑)
やっぱりほら、普段、毎日の行程は歩くところやることが決まってる。目的があるから。ひたすら目的に向かって歩くだけなんですけど、オフの日は怖いですね。うわっときましたね。

野口)亮さんがうわっとくると、こっちも「実は俺もいろいろあってさ」ってなって。

藤巻さん)大カミングアウト大会になって。そのオフの日が(笑)

野口)朝から飲んで、夜までずっと飲んでたからね。

藤巻さん)あの日は飲みましたね〜。

野口)次の日にマウンテンゴリラを見に行った時にはほとんど二日酔いでね。

藤巻さん)酒臭い人間がきたな〜ってゴリラは思ったでしょうね。

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北極海の街

野口)ヒマラヤ、アフリカ、北極海といろいろ行ったけど、どこが一番インパクトあった?

藤巻さん)最初のヒマラヤの旅もそうでしたけど、北極海も独特のものがありましたね。ポイントバローっていう街でしたよね。

野口)ポイントバローってわかりやすく言うと、アラスカ物語に出てくるんですよ。
わかりにくかった?まあ要するに、アラスカで一番最北端だよね。北アメリカ大陸の最北端ですね。
陸路じゃ行けないんですよ。湿地帯がすごくて。行くとしたら船か飛行機なんですよね。

藤巻さん)我々が行ったのは7月か8月なので、一番暖かい時期に行ったんですけど、今よりもっと寒いですよね。

野口)ダウンの上下着てたよ。

藤巻さん)8月なのに。
北極海って凍結してしまうので、凍ってない海としてはその時期しか見れないんですよね。

野口)僕は高校時代に行きたいと思っていて、それをずーっと引きずって、どこかで忘れて、またふと、そういえば行きたかったよな、って言うのが出てきてね。でも一人で行くには寂しそうだし、それで、一緒に行こうって誘ってね。

藤巻さん)いつも健さんと旅に行くんですけど、場所を決めるのはだいたい健さんなんですね。ポイントバローに行きたいって言ったのも健さんなんですけど、人ってやましいことがあると北に行きたくなるんですってね。相当やましかったんでしょうね(笑)

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大事な「ピン」

野口)高校時代やましかったのかな?(笑)
世界地図が昔から好きで、パラパラってめくった時に、「ピン」とくる場所があったりするじゃない?「ピン」と来たら赤鉛筆で丸をつけてたの。世界地図のその場所に。そこから勝手にイメージを膨らませて、どんな場所なんだろうとか、頭の中の世界で旅をするの、まず。それはすぐに終わるじゃない?それを何年かごとに見た時に、昔書いた丸を見ると、あ、昔ここで妄想したよなってところから妄想の続きが始まるのね。頭の中の。それを何度が繰り返して、それが出て来たら行こうって言うのがあってね。

藤巻さん)登山家にとっては「ピン」ってものすごい大事じゃないですか?

野口)直感ってすごくあって、たまたま当たる時もあれば、そうじゃない時もある。97年に初めてエベレストに行ってるんだけど、本当は96年に行く予定だったの。行く予定でお金も1000万くらい集めて。公募隊っていうのがあって国際隊のようなものなんだけど、参加費が当時の7万ドルだから日本円で1000万弱かかるんですよ。1万ドルを頭金で入れて出発を待つんだけど、22歳の頃か、初めてこれからエベレストっていう時に普通だったら日々ワクワクするだろうし、緊張もするんだろうけど、朝起きたら何か嫌で、なんかピンと来てなくて、なんか行きたくないなーっていうのが、日々出てくるのね。たまたまかなと思ったけど、だんだん嫌な感じが膨らんで来て、でもスポンサーからはお金もらっちゃってるし...。
行きたくないと思ってることに根拠がない。でも世の中の人は根拠を求めるでしょ?だけどどうしても嫌だったので、スポンサーに行って、1000万もらっちゃったけど、この1000万来年使えませんかね?エベレスト来年にしたいんですよ、って言ったら、なんで?って聞かれるから、朝起きたらピンと来ないんですよ、って言って。

藤巻さん)すごい話ですよね、1000万円も出してくれるって言ってくれて、それをもらっていたら、普通はもう行かざるを得ないというメンタリティになりそうですけどね。

野口)そうだよね。そこでしこたま怒られて。会社っていうのは年度で予算があって、年度の中で使ってもらわないと困るんだ、と。自分から行きたいと言って来たんだから、それはちゃんと守ってくれって話になって。でも家に帰って来てもやっぱり嫌で、その会社の役員の方に、なんかピンと来ないんですけどって相談しに行ったら、その方が、ピンと来ないならやめたほうが良いと。登山家でピンと来なかったら死ぬぞって話になって。俺らの商売だったら会社を潰すことがあっても死ぬことはない。でも登山家は違う。だからやめろって言われて。役員の方が辞めていい、その1000万円は他の山で使え、来年また1000万出すからって言ってくれて。
僕が行こうと思ってた登山隊にもう一人日本人の方が参加したのね。難波さんていう女性だったんですけど、彼女も7大陸最高峰の最後、エベレストに挑戦する、で、僕が世界最年少で挑戦するってことで、じゃあ一緒に行こうっていう話もあって。でも僕は直前でキャンセルして、彼女は行った。僕は日本に残って彼女は登頂したんですね。ニュースでドーンと出て、それを僕はテレビで見て。しまったー、外れたー、行けば僕も登れてたんだ、天気良かったんだ、あーあ、と思って。と思ったら次の日にニュースがガラッと変わって、エベレスト大量遭難かっていうニュースに変わって。当時のエベレスト史上最悪の遭難事故。たくさんの人が登ったんだけど、下山中に悪天候になって、山頂付近でパタパタ一人ずつ倒れて行くのね。僕が参加する予定だった隊もほぼ全滅したの。隊長も亡くなったし。難波さんもやはりそこで亡くなるんですよ。そのニュースがすごく大きくて。それをずっと見てた時にゾッともしたんだけど、それ以外にどこかで、根拠はないけど「ピン」と来たことは大切にしようと思ってね。外れることもちゃんとあるんだけどね。

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藤巻さん)その話はなかなか重たいお話ですけど、よく健さんと山に登りながら、例えばダウンジャケットにしてもどんどん軽くなって暖かくなったりとか、技術はすごく上がってきてるって話をしますよね。天候に関してもそうで、昔は山の空気を感じたりとか、雲の流れとか、そういうものを見ながら登って行く、今日登っていけるのか、それとも明日にしたほうが良いのか、もしくは1週間待つ我慢の時間なのか、そういうのをすごく感じていたというのがあるんだけど、今はデータがベースキャンプにきて、そのデータがさらに登っている自分たちにも来る。そうするとものすごく安心する。そのデータが正しそうだから。それを信じている時に、その時の直感というものはやっぱりちょっと奥の方に行ってしまうかもしれない怖さ。そういうお話を前にされていましたよね。だから技術が進めば進むほど、人間の直感がどういう風に働くのか。やっぱり人間、データを頼りたくなるものじゃないですか。例えば音楽業界だってマーケティングみたいなことがあって、今はこういうものが主流だとかいろんなことがあるかもしれないけど、そういうものに頼ってヒット曲が生まれるケースもあるのかもしれないですけど、もともとあったのは音楽業界でも「ピン」だと思うんですよね。これなんかいいな〜とか。一番最初に、健さんが言ったことに戻ってしまうんですけど、理屈じゃないんですよね。メロディが生まれる瞬間とか、歌詞が出てくる瞬間とか、あとあと説明するから後追いで多分こういう感情だったんだろうなとか、分析して言葉にして、こういうストーリーで曲を作りましたって話すんですけど、作ってる時って多分そこまで理屈っぽくなかったりするんですよね。やっぱりこのメロディがなんで良いのかって言ったら、自分の感覚がこのメロディ好きだな、っていうところしかなくて、あと歌った時の感じ?耳だけじゃなくて、口も気持ちいいみたいなね。口の開き方とか、譜割りとかいろんなものが気持ちいいっていうか、そういう時の感覚がなんかとても大事で、そういう風に音楽を始めていくんですけど、音楽を作ることと、音楽活動をすることって全然違って、音楽を作るっていうのは1曲でも良いんですよね。1曲作って、音楽を作る。でも音楽活動をするっていうのはいろんな約束があって、チームになって、チームの先に聞いてくださる方がチケットを買ってくださってて、ライブで会いに行くとか、みんなで約束をしあって、その約束を果たして行くってことに大きな喜びも覚えるようになるんですけど、その中でやっぱりどこか「ピン」というところだけじゃなくて、マーケティングみたいなものに頼りたくなってしまう気持ちとか、今はこういうのが主流ですよ、って言われた時に、そうかもしれないね、って楽をして、そこの部分をあんまり考えなくなったりとか、感じなくなったりした時に、結局、一周回ったら一番考えなくちゃいけなかったのはそこだったんじゃないか、みたいなことが、結構便利っていうものの中にたくさん埋もれているような気がしていて。健さんが「ピン」という話をここ最近よくしてくれるんですけど、その話がとても好きなのは、やっぱり「ピン」が年々、特に自分の経験値が上がってくると、どんどん「ピン」よりも経験じゃないかみたいになりがちで。「だって前はこうだったんだもん」「だってこのときはこううまくいったし」「こういうケースは大体失敗するよね」とか、自分の中で積み上がってくるものがあればあるほど、そこに寄りかかって、「ピン」の力が弱まってくるんじゃないかなっていうのが、音楽をやっている時にも最近思っていて。

野口)最後に後悔したくないんだよね。さっき亮さんが話したように、今はエベレストのベースキャンプでもWi-Fiが繋がるんですよ。そうすると、僕が97年とか初めてエベレストに行った時には、Wi-Fiとか繋がらないしパソコンっていう時代でもないしね。メールランナーっていうのがいて、手紙なんですよ。エベレストから日本にいる人に送るのが。一人それを担当しているポーターがベースキャンプに上がってきて、各隊を回ってハガキを集めて、みんながそれぞれお金を出し合って、この人が3日くらいかけて山を走って下りて、郵便局があるところまで行ってハガキを出すわけね。ネパールの山の中でハガキを出すから、本人の方が先に帰って来ちゃうんだけどね(笑)
あの頃はヒマラヤに行っちゃうと、日本で何が起きてるかなんてわからないわけ。

藤巻さん)ネットですぐにってわけにいかないわけですもんね。

野口)天気予報なんていうものもないしね。そうすると、シェルパがあの雲がああいう形してると大体雪が降るぞ、とかね。シェルパのセンサーを頼ったりとか、あとは何十回か行ってるうちにだんだん自分も、このほっぺに当たる温度と湿度とか、あとはその時々の流れのパターンみたいなものもあるので、それをうまく掴んでくると良いんだけど。だんだんWi-Fiとかできてくると、各隊がそれぞれの国の天気予報とか調べるようになるじゃない?特に日本には日本にいながらにしてヒマラヤの天気を教えてくれる有名な専門家の方もいらっしゃるしね。そうすると頼りたくなるんだよね。ただ問題は天気予報が予報なんで、各隊が違うデータを持って来るわけね。ベースキャンプから頂上まで5日くらいかかるので、ベースキャンプをいつ出るかってことで、5日後、6日後の天気がどうかっていうのを読みながら出発するわけだよね。でもみんな読みが違うわけ。そうするとみんなナーバスになっちゃって。そこにすごく振り回されるわけ。すごく。シェルパが「でもあの雲が...」って言っても、「いやいやそんなんじゃない、ほら、パソコンを見てみろ」みたいなことを、特に西洋人はすごく言うわけね。ただ、最初の頃はシェルパと同じように一生懸命ヒマラヤを感じながら、しっくりきてるかなとか、理屈じゃないんだけど、うん、これ今の僕のタイミングかなっていうのを探っていってたんだよね。自然との対話というか。そういうことが、どうしてもデータの魔力みたいなものに負けてしまう。ただ、死ぬときは死ぬんでね、どうであれ。例えば登頂して下山中に悪天候になった時に、ああこれはもう帰れないな、っていうのはわかるわけじゃない。そうなった時に、滑落ならまだしも、山頂付近から下山中に悪天候になって、大体そういう時ってジワリジワリ死ぬわけですよね。ジワリジワリいく時に、「まあ俺は好きでエベレストに来たんだしな」とか、「自分の判断で上がってきた。まあしくじったけど俺が最後決めたよな」と思って逝くのと、「俺、あの時ピンときてなかったし、嫌だと思ったけど、データがな〜」と思いながらとか、あとは、「俺は本当は来たくなかったけど仕事でエベレスト来ちゃった、あーあ、やっぱり来るんじゃなかった」とか思いながら死んでいくのはやっぱり嫌だよね。10回死ねるならとりあえず1回突っ込んで1回死ぬか、ってなるけど、1回しか死ねないからね。自分の判断がしくじって遭難するときもあるんだけど、ただそうなった時に自分が納得できるかできないかでね。「俺、嫌だと思ったよなあの時」って思いながら遭難したくないな、っていうのがあってね。

藤巻さん)ベースキャンプからの手紙の話を聞いていて思ったのは、ものすごい真剣に書いたんだろうなということですね。自分が命をかけて登っていて、この手紙の意味とか、この手紙が最後になってはいけないんだけど、でもやっぱりいろいろなことがよぎりながらそういう精神状態で書いて、例えば伝えたい人に伝えたいことを伝えるわけじゃないですか。その時の人間の研ぎ澄まされ方、人に対する想い、っていうか、そういうものがすごく深く出るんだろうなって思って。今は本当にスタンプだけだったりするじゃないですか。ピコーンみたいな。いつでも送れると思うし、いつでも受け取れると思うし。その便利さってものすごくあるんですけど、深ければ良いってことでもないかもしれないし、浅いことがダメって言うわけでもないし、逆に言ったら、便利なのを極端に非難する気もないんですけど、そうなった時に、1回しかない人生があって、そんなに何かとすごく真剣に向きあう時間が減ってるんじゃないかな、って言うか。昔、中学生の頃とか、例えば好きな子がいてもやっぱりすぐに連絡も取れないし、思い切って電話をかけたらお父さんが出たりして、やっぱり1個1個のアクションが重いじゃないですか。

野口)昔、手紙を書いたのもベースキャンプだし、今メールを打つのもベースキャンプでしょ?ただ、学生の頃、友人とかにハガキをエベレストから送るじゃない。彼らはいまだにそれを持ってるんだよね。すごく大事に持ってるわけ。それをある時に、俺どんなこと書いたかなって思って見せてもらったら、確かに亮さんが言ったように、内容がもう詩人だよ(笑)俺、こんなこと書いてたんだ!って驚くのよ。完全に日本から離れたところにいるでしょ?気持ち的にも。でも今行くと電話がバンバンかかって来るし、事務所からもかかって来るし。早く原稿書いてとか、帰ってきたらこの講演やる?やらない?とか、そんなこと今ヒマラヤにいる俺に聞くなよ、とかね。メールもいろんな人にヒマラヤからも送ってるんだけど、まるで文章が違う。同じ場所から送ってるのに。

藤巻さん)絶対そういうことありますよね。あえて日常を離れに行ってるのに、非日常を味わうのが難しい時代というか。

ルウェンゾリにて

野口)そういう意味では、亮さんと冒険の旅をした中で一番学生の頃にヒマラヤに行った環境に近かったのはウガンダにあるルウェンゾリだね。

藤巻さん)エジプトを流れるナイル川の源流の山なんですけど、下流はあんなに砂漠なのに、源流のルウェンゾリは雨の山と言われてるくらいで。

野口)雨の降らない日がほぼないっていう。湿地帯で、本当にやばいところは木を倒してその上を歩くんだけど、ちょっとずれるとズボって腰くらいまで潜るよね。
ルウェンゾリっていうところはゲリラが当時その辺りを占拠してて、危なくて入れなかったので断念したことがあるんだけど、それからだいぶ時間が経って、治安もだいぶ良くなってきて、それでやっと実現したんだよね。治安が悪かったということもあったおかげで、人間がほとんど近づいてなかったので、人間の香りがしないよね。

藤巻さん)普通はよく登山道が整備されてたりとか、やっぱり山に行っても人間の仕事を感じるじゃないですか。

野口)だいたいね、人間の香りが全くない有名な山ってもうないよね。本当の未踏峰とか、その地域に誰も入ったことがないっていうところはだんだんなくなってきている。ルウェンゾリは未踏峰ではないけれど本当にジャングルが生い茂ってるでしょ?だから例えば1ヶ月前に人が歩いてもそんなものはすぐに消えてしまう。本当に人がいないし、僕と亮さんだけだったんですよ、最初ずっと。

藤巻さん)現地の山に詳しいガイドさんたちをガイドにしてその山に登って行くんですけど、その彼らと僕ら二人だけでしたね。

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野口)無人小屋があって、そこに泊まるじゃないですか。無人小屋の中があまり綺麗じゃなかったので、テントにしようって言ったんだよね。無人小屋の裏に亮さんがテントを張って、僕も張って、亮さんがまたボロンボロンボロンってギターが始まって。

藤巻さん)旅用の小さいギターがあって、それをいつも持って行ってて、ちょっと時間があるとポロポロ弾いてたんですね。

野口)そうなると僕は写真を撮る係になるのね。「じゃあ亮さんこっち見て〜」とか言って、ジャングルの中で男二人で写真を撮ってたら、突然人の匂いがしてね、ふっと見たら西洋人が遠くからじーっとこっちを見てて。お、見られてると思って。あれはBBCだっけ?

藤巻さん)BBCって言ってましたね。なかなか行けないような場所なので、ルウェンゾリを映像に残したいと、撮影クルーが来てたんですよね。

野口)彼らも、お、人間がいる!ってなって、なんか怪しい二人がいるぞってなったんでしょうね、5〜6人のクルーが交代交代で見に来るんだよね。ニヤニヤニヤニヤしながら見てるんですよ。まあそういうふうに見えたんでしょうね(笑)

藤巻さん)だから本当にBBCが来るまでは、というか来てたとしても、Wi-Fiであったりとかそういうものは何にもなかったですね。10日くらいいましたっけ?山の中と湿地帯にずっといましたね。

野口)現地のガイドがすごすぎてね。歩いてると「あっ」とか言うわけ。何だろうと思うとカメレオン。その写真も展示されてるよね?

藤巻さん)僕撮ったんですよ。接写レンズで。100mmマクロっていうので撮ったんですよ。
僕も目が良い方で。2.0くらいでずっとキープして来ているくらい目が良いんですけど、そんな僕でも全然見つけられないくらいカメレオンの擬態の技術がすごすぎて。彼らは本当によく見つけますよね。

野口)あれは本当に怪獣だよね。動きも、一歩出てもう一歩行くの?って思ったら下がって。あれ撮るの難しかったでしょ?

藤巻さん)難しかった。人間が思ったような動きをしないんで。少し前で構えてても、一歩出しかけてやっぱりやめた、みたいな動きで。
写真の話にもなるんですけど、僕たちの目っていうのはカメラのレンズで言ったらだいたい50mmということになるらしいですね。例えば魚眼レンズなんかだとすごく広く撮れるんですよね。数字で言うと16mmとか、数字が減っていくんですよ。数字が減っていくとどんどん広い世界が見えて、逆に数字が大きくなって300とか500とかなっていくと望遠レンズになってくるんですよ。僕たちは50mmでしか世界を見ていないんですけど、カメラっていうのは人間の見方以上のものができるんですよね。すごくいろいろな観点で世界を捉えるってことが写真を始めてから面白いなって思っていて。展示されているものはカメレオンの結構大きい1m50cmくらいの大きさのパネルなんですけど、あんな大きさで引き伸ばして見ることはないですよね。

野口)実物は5cmくらいだったよね。

藤巻さん)縮尺を変えてみたらほとんど恐竜ですよね。

写真と出会って

野口)あのまま来たら怖いよね。
亮さんが写真の話したけど、写真って面白いなと思うのが、もし写真を撮っていなければ、普通に山を歩いている目線でしか見えないけど、写真を撮ろうと思うと日頃見ている目線以外の目線を探すんだよね。違う角度でね。例えば、花があった時に、普通だったら上から見るだけだけど、写真を撮ろうと思うと、向こうに山があったら、寝転がって背景に山を入れてみようかとか、いろいろな角度を探すよね。真下から見たらこの花はどう見えるのかな、とか。亮さんみたいにマクロレンズで花の内側に入り込んだように撮ったらどうだろうとか。その角度を探すことで、すごくよく知ってると思っていたヒマラヤの、今まで全く知らなかったところを発見したりとか。あとはツイッターとかでヒマラヤまた撮って来ます、って書くと、みんな、あれ撮って来てとか気楽に書いてくれるんですけど、中には風を撮って来て、っていうコメントがあって。風か〜と思って、ビデオなら良いんだけど、写真だとどうやって風を撮るんだろうと思ったけど、面白いなと思って。それからどう風を切り取ろうかと考えて。風によって変化が起きるんだよね。雪が飛んでるとか、雲のうねりとか。風というテーマをもらったことによって、ずっと空を見ているんだよね。登山家として行くと、トコトコ歩いて、早く着いて、早くテント張って寝袋入って寝るんだけど、写真をテーマに行くと、ひたすらテントの横でずーっと空を見上げてる。おかげで風邪引くけどね。
亮さんとヒマラヤのゴーキョに行った時、多くのトレッカーは昼間の暖かい時間に登って、明るいうちに下りるんですよ。でも僕らは夕日を撮りにいって。夕方が綺麗なので、ものすごく。

藤巻さん)そうですね、とんでもない色になりますね。赤くなって...言葉では形容しがたい色になりますよね。落ちた後のマジックアワーも綺麗ですしね。

野口)そう、だんだんピンクから濃い赤になって、紫になって、青紫になって、紺になって、黒になっていく、そういう感じだよね。それが美しくて。ただそのためにはいなきゃいけないから、山頂に。鼻水たれながら、鼻水凍りながら。写真を撮りに行くとずっと見てるので、こんな色があったのか、とか、雲の流れって、登山家として行くと、雲がうねるのって天気が崩れるので嫌なんですよ。あー、あの雲、嫌な雲だなって。ただ写真を撮ると思うと、その雲が良いんですよ。例えばエベレストがあって、どっぴーかんで、雲ひとつなくて、真っ青な空って表情がないんですよ。雲があると、空に表情を作ってくれるんですよね。だから写真を撮りたいなって思って行く時と、ただ山頂に行きたいなって時と、見方がこうも違うのかと思ってね。

藤巻さん)僕らは170cmちょっとくらいの身長で世界を見ているので、ほぼほぼ自分都合でしか世界を見れないんですよ。さっきの健さんの花の話が良いなと思ったんだけど、やっぱり下の花は見下ろすし、上の花は見上げるしかないんだけど、それが当たり前だと思ってるんですけど、寝転がって見たら全然違う表情してたりとか、自分の普段の目線で思い込んでる物事って本当に多いんだろうなって、写真で気付かされることがあって。足で稼いだりとか、足で稼いだらヒマラヤ山脈はやっぱりテレビで見るのとは大きく違いましたし、やっぱり行って見る、行ってみてそこで違う角度から見てみるっていうのは、写真っていうのは1個大きなモチベーションをくれて、わかりやすく言ったら、エベレスト街道を歩いているんですけど、遠くの山を撮っても山だし、近くの地面の石を撮っても山って言っても良いじゃないですか。同じ山っていう定義だから。山っていう定義をしているのは自分なんですよね。だからこれが山だって思い込んでるから、山はこうじゃなきゃいけないっていう偏見にとらわれちゃって、山ってこういうもんだっていうものがあると、写真は面白くなくなっちゃって。やっぱり写真は覗いた時にそういう偏見を外してくれる作用があるなと思ったんですね。やっぱり違う角度から撮ったら、全く違う表情っていうか、全く同じ山に思えないような。500mくらいずつ標高を上げて行ったら、表情も全部違うし、写真を撮りながら、自分自身の「山とはこうである」みたいな考え方を壊してくれたっていうか。それは登山とともになんですけど、そういうことって30代以降の音楽づくりでも結構そういうところがあって、やっぱりこういうものじゃなきゃいけないとか、結局五線譜があっておたまじゃくしがあったら、西洋音階、ドレミファソラシドからは逃れられないんですよ。ただその調みたいなものに縛られていることももしかしたら外して良い音楽ができるのかもしれないんですけど、ただそれでも、ある程度良いコード進行があったりとか、良い言葉の配列があったりとか、するかもしれないんだけど、そういう自分が作って来て成功したもの、成功体験...成功体験ほど怖くて、なんか自分が煮詰まった時に、すぐそっちの方の引き出しが開こうとするんですけど、やっぱりそれってもう2度と同じことって起きないから、そこに頼ろうとする気持ち、そういうのとどれだけ距離をおけるかっていうのがすごく音楽をやりながら大事だなって思っていて、それが山とはこうであるっていうような思い込みと結構近いところがあって、そういうのを壊してくれるっていうのが、なんか写真と出会って僕はすごい良かったなと思うのがありますね。

野口)今の話と繋がるところもあると思うんだけど、例えば日本でいろんな活動をしていて、それらを同時進行でやってると、何かしらの活動で煮詰まったりするしね。なんか疲れたなとか、あとこうあるべきだとかいうね。どうしても枠の中で考えたくなるし、その方が楽だしね。例えば富士山の清掃活動もそうだけど、色々やってると色々なことがあってね、いろんな意見がわっとくるし。じゃあ入山規制した方がいいのか、いや、それはみんなに解放した方がいいのか、とかいろんな意見があってね。だからこう、ゴミを拾ったりするだけなら良いんだけど、ゴミを拾いながらどうやって富士山を守っていこうかっていろいろ考えて意見とかすると、いろんな他の考え方とぶつかるよね。で、ぶつかってもう疲れたなーっていう時期もあってね。その時に、だいたい僕のパターンですけどね、しんどくなって苦しくなったらどうするかっていうとね、逃げるのね。で、これがどこに逃げるのかっていうとヒマラヤに逃げるのね。ヒマラヤに逃げたら誰も追ってこないのね。それで日本で色々あってヒマラヤまで行っちゃって、氷河をトコトコトコトコ歩いてると、物理的に遠いでしょ?日本から。そうすると気持ち的にも楽になるしね。それでヒマラヤの氷河歩いてると、「まあ日本って大変」とか思うわけ。すごく遠くに感じてね。一つの活動の中でもがいてると、その中しか見えなくなるからね。どんなに頑張ったところで限界ができるんだよね。僕の場合はそれが苦しくなっちゃうとポンと遠くに置いて、ヒマラヤに行っちゃう。ヒマラヤに行った時に、ああ日本って大変だなって思いながら、ただその時にね、遠くから見るでしょ?そうすると、活動を始めた頃は、なんでみんなこっちはゴミ拾って綺麗にしようと思ってるのに、みんなこんなにいろいろ言ってくるの?とかって思うでしょ。どこかで自分が正しいと思ってるから活動するんだけど、自分が正しいと思ってることが日本中の多くの人も同じようにそれを正しいと思ってくれるんだと思ってるんだよね。なのになんで理解されない、なんで批判されるの?とか、そういうところで苦しんでたんだけどね。ヒマラヤに一回逃げて遠くに富士山の存在を感じた時に、富士山っていろんな人が関わってるじゃないですか。富士山麓から山頂まで。そうすると、ハッと思ったのは、自分の考え方が必ずしも正しいのかと考えた時に、いろんな立場の人がいて、立場が異なるとそれぞれにとっての正義とか、正しいとかってあるし。だから自分の考え方イコール社会ではない、人は立場が異なるとそれぞれにとっての正しい正義があるんだと思ったらすごく楽になってね。世の中っていろんな意見があって、その中の一つに自分の意見もあって。それをどう伝えていくかっていうね。だから最初の頃はなんでみんなわかってくれないの?もう!みたいなのがあるわけだよね。でもヒマラヤ行った時にそりゃそうだよな、って思ってね。例えば富士山で観光業の人は、入山規制とか言ったらそりゃ困るよな、とか。だから立場を変えて見るとそれぞれに考え方があるんでね、なんてことを、富士山の活動をしてた最初の頃はなかなか見えなかったんだけど、ヒマラヤに行って離れて見た時に初めてそこが見えてくるとこもあるしね。それは旅かもしれないし、山かもしれないし。ちょっと煮詰まった時に遠くに行くのは良いのかもしれないね。

そう言えば、もっと遠くへ行こうって歌ってたよね。

藤巻さん)「もっと遠くへ」って曲を北京オリンピックの時に作らせてもらいました(笑)
今のも縮尺の話にも近いですよね。このくらいの縮尺で世界を見るのか、もっと広く見るのか、寄って見るのか、で結構見え方も違うってこともあるんだと思います。
健さんと一緒に旅をさせてもらって、いろんな面白いこともあるんですけど、この写真を通して面白いなって思ったのは、本当に同じところを歩いてるので、撮るものは絶対一緒なんですよ。絶対全部一緒なんですけど、やっぱりね、二人とも感覚もすごく違う。見てるものも違う。興味も違う。だから写真にもものすごく個性が出てて、僕とかは割とある意味根気がないのかわからないですけど、その代わり、割と反射神経でパッといって、あ、これいいな、これいいなって感覚的に撮っていって、で、なんかイマイチだなーって思ってもっと粘って粘ってって撮っていくと、僕のは同じような構図の写真はどんどん鮮度が落ちていくんですよ。多分自分が飽きていくから。でも健さんは、良いって思ってばしって撮った時に、これは僕の感覚ですけど、健さんは工夫が入っていって、2枚目3枚目4枚目ってどんどん写真が良くなるっていう印象なんですよ。これって結構性格でるなっていうか。

野口)亮さんは感性だもんね。アーティストだから。そこはそうかもしれないね。登山家って石橋を叩いて叩いて叩いて叩いて...ゆっくりいくのかもしれないね。

藤巻さん)だから、健さんは社会問題に対してもやっぱりグッとコミットして、震災の支援なんかもやっぱりこう深くされてますけど、やっぱり入り口だけじゃなくて継続してやってく中ですごく深まっていくっていう健さんの活動を横で見ていてもそう思いますし、なんか入り口だけじゃないっていうか、そんなことを思いました。

山梨との関わり

野口)今年はお互いに山梨多かったね。Mt.FUJIMAKIとか。

藤巻さん)多かったですね。健さんも出てくださってありがとうございました。

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野口)だってさ、Mt.FUJIMAKIだよ?お山になっちゃったんだよ、本人が。

藤巻さん)おこがましいんですけど、日本を象徴する美しい山の名前を、ちょっと、名前が藤巻なもんですから(笑)半分お借りしたっていうところもあるんですけど。

野口)でも高校時代まで山梨にいて、高校卒業して山梨を離れて、そこで10年間ずーっと突っ走って、そこからまた山梨、自分の故郷に戻ってきてね、そこにはやっぱり心境の変化とかあるの?

藤巻さん)そうですね、僕自身も40歳近くなってきた時に、やっぱり自分のルーツを考えまして。やっぱり最初は山梨の風景をすごく歌にしてたし、そういうのが僕にとってどう考えても原点なんですけど、やっぱり環境が変わると歌う曲も変わっていくんだけど、なんか自分の中にある大事なものってこの場所にあると思っていて。そんな意味でやっぱり東京から1時間ちょっとで来れるってこともあってよく帰ってきてて、実家で父親と母親と兄弟とかと話をしたりするんですね。うちは農業をやっていて桃とぶどうを作っているんですけど、農業の話を一緒にするのが楽しくて。そうすると農業から見える山梨とか、地域、地方の問題っていうのが、従事している方の年齢が、やっぱり今60代を過ぎてますよね。本当に高齢化が進んでいて、後継者がいない、耕さない、そうすると耕作放棄地になって、どんどんそれが山になっていくっていう話を聞いて、最後は山になっちゃうんだ、すごいなと思いながら。でいながら、一方では仕事がないって言ってる人がいたりとか。父親を見ていて思うんですけど、良い技術者が現役で教えられるって財産だと思ってるから、そういう人に学べるような仕組みとかシステムって作れないのかな、とか。人と人を繋げたりすることって僕なりにも何かできないかな、って思った時に、音楽って人が集まる場所だな、って改めて思って。僕自身がもっとこの機会に山梨、地元のルーツにもっとコミットしていろんなことを学ぶ。そして学んだその魅力を県外の人に伝える。山梨って、アーティストがなかなかライブをしてくれないんですよ。東京でやっちゃったりとか、長野に行かれちゃったりとかして、なかなか山梨で音楽を聴いていただける機会って少ないので...。本当に素晴らしいミュージシャンってたくさんいるんですよね。そういうミュージシャンにたくさん出会ってきたし、そういう人の音楽をみんなに1日で聴いてもらいたい、とにかく山梨の人に良い音楽を伝えたい。山梨の方に良い音楽を伝えて、山梨県以外の人には僕もいっぱい勉強して山梨の魅力を伝えたい。そういう場所を作りたいってやっぱり思い始めたんですよね。それで今年初めてMt.FUJIMAKIっていう音楽フェスをはじめて、1年目だけでわかったことというのは、まだまだこれからもっともっとやらなきゃいけないなと思っていて、続ける中で、よりそういうことを来てくれた方一人一人に感じてもらえるような活動をこれからもしていけたらな、って想いでいます。

野口)僕は亮さんの実家によく行ってたでしょ?家族みんなすごく仲良いし、お父さん顔そっくりだし。東京のどこか広いライブ会場に行った時に、あんなにいっぱい人がいるのに、あ、パパだってわかったもん。一発でわかってね。で声かけたら、「亮太の父です。よくわかりましたね」って。そりゃわかりますよって話で。
でも実家で一緒に過ごすの、僕も楽しくて。お父さんと弟と妹と。弟がね、亮さんと似てるよね、やっぱり。どこが似てるかって言うと、東京の大手の会社で建築やってたんだけど、建築家の奥さんと結婚して、建築家同士のカップルで東京でこれからバリバリいくのかなと思ったら、弟は俺会社辞めて山梨行くって言って。この自由なところがね。奥さんは引いたと思うわ。家業を継いだんだよね。その何年か前に、実家で酒飲んでる時に、弟が熱い男なんで、「俺は親父の跡を継ぎたい」って言ったら、亮さんが「お前農業バカにしてるだろ、そんなお前が思ってるほど楽じゃねえぞ」とか言いながら。亮さん絶対桃触るのあんまり好きじゃないでしょ?手伝ったことある?

藤巻さん)あんまりないですね(笑)いや、小さい頃はありますよ!

野口)弟夫婦は東京の会社を辞めて、実家の近くに引っ越して来て、一緒にやってるでしょ?表情がね、もとから熱い男で良い顔してるんだけど、さらにたくましくなって、日焼けしたのもあるんでしょうけど、土を触ってるでしょ、地面とか。だから弟の表情が東京にいる時よりももっとたくましいと言うか、生き生きとしててね。その表情が変わっていくのを会うたびに感じてね。

藤巻さん)例えば子供に何を教えるかっていうのも大事なんですけど、成功するってどういうことなんだろうとか、夢を追うってどういうことなんだろうっていうことに近いと思うんですけど、やっぱり夢を追うことは尊くて、成功って素晴らしいとかって思うんですけど、その定義もまちまちで、東京で大手に入ってバリバリ仕事をしてお金を稼ぐっていう生き方もあるけど、残業で夜遅くまでひたすら仕事で、子供の顔も見れないっていう人生と、山梨に帰って来て、収入は減るんだけど、例えば家族と一緒にいれるとか、土があってとか、わかんないんですけど、どっちが良いってことは言えないんだけど、ただそのくらい人生って多様性があるんだなって、僕は弟を見て思いましたし、本人がそれを選んだと言うことは尊いことで、もちろん応援してるんですけど。

野口)あとさ、あの蔵。実家に立派な古い蔵があるのね。あの蔵を見ながら、あの蔵アレンジしたいな、ってずっと思っててね。

藤巻さん)それは健さんが大月の古民家をお借りになったからというのもあるんじゃないですか?

野口)僕は実家がないんですよ。親父が公務員で転々としてたんでね。だから亮さんの実家を見て、なんか良いなー、実家羨ましいなーって思ってね。転々として日本にいなかった時期も長いし。だからどこかでいわゆる自分の実家的なものが欲しいなと思ってて、それで、富士山の活動もしてるし、じゃあ俺も山梨にちょっとと思って。事務所も富士河口湖町の西湖の横のところにあるんですよ。めちゃくちゃ寒いですよ。大月の古民家、昨年の今頃、ちょうどこの写真展を昨年やった時に、引っ越したんですね。そしたら寒すぎて、家の中にテント張ってね。本当に寒くて。外より寒いんですよ。冷蔵庫みたいな感じで。それでそれから窓を二重窓にしたりとか。あとは寝てると顔の上を風が通るの。その隙間を埋めていったりとかね。とにかくこの1年かけて家にいろいろ手を入れて。面白かったのは、空き家だったので、色がなかったの。家具はもちろん無いんだけど、色が無いの。色って本当の色もそうなんだけど、空間の色もなくてね。その時にこの空間にどう色をつけていったらこの空間が生き返るかな、とかね。照明をどうして、家具をどうして、壁紙をどうするかとか、どう直して行くか脳みその日頃使わない部分をフルに使って。それが始まっちゃったら大変なことになっちゃって。まあ1年かけて完全に終わったので、ぜひまた遊びにきてよ!

藤巻さん)それはもう、絶対に行きます!

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プロフィール 藤巻 亮太(ふじまき りょうた)

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1980年生まれ。2000年12月、小学校からの同級生3人で「レミオロメン」を結成。ほとんどの楽曲で作詞作曲を手掛けている。2003年8月、メジャーデビュー。数々のヒット曲により、3ピースバンドとしてのオリジナリティを不動のものとする。中でも「3月9日」「粉雪」は、今でも多くの人に支持され続けている。2012年、レミオロメン活動休止を発表。ソロ活動を開始し1stシングル「光をあつめて」をリリース。初の写真集「Sightlines」発売や写真展開催など、音楽以外にも幅広く精力的に活動中。2018年には自身が初めて主催する野外音楽フェス「富士山世界文化遺産登録5周年記念 Mt.FUJIMAKI(マウント・フジマキ)2018」を開催した。

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写真展情報

野口健×藤巻亮太 ミニ100万歩写真展

登山家とミュージシャン、
親友二人が世界を歩いた100万歩の想い。

開催期間:2018年12月2日〜2019年1月30日
会場:エルク OUTING PRODUCTS ELK

入場無料

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