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7大陸最高峰

七大陸最高峰~コジウスコ~(オーストラリア)

7大陸最高峰

1992/09/17

七大陸最高峰~コジウスコ~(オーストラリア)

 

モンプランに登っても、学校では相変らず落ちこぼれ扱いが続いたが、キリマンジャロ登頂の影響力は大きかった。まずは、英国人の先生の態度が変わった。英語の披業中に「ケン、キリマンジャロの話をしてよ!」とお願いされ、私は下手くそな英語で得意にになって山の話をした。職員室にいても英国人の先生に囲まれ、質問攻撃を受けた。モンプラン登頂は彼らにとって近所の話にしかとらえていなかったのか、遠いアフリカ大陸の最高峰の話には目を輝かせながら夢中になった。

毎学期末に写真部の写真展が行わていたが、中学1年生から写真部に入っていた私は今がチャンスとばかりにモンブランやキリマンジャロで撮影した写真を大きく引き伸ばし展示した。話しだけではいまいち伝わっていなかったのか、写真を見て「野口、本当にモンブランやキリマンジャロにいってきたんだね」と、思わず力が抜けてしまうような事を平気で君ってくる人もいた。印象的だったのが、英国人の先生たちの私に対する見方が変わると、それにつられるように日本人の先生達も変わっていったことだった。私の山登りの体験記が学校新聞に載ったりした。

高山病と戦いながら登ったキリマンジャロは、私を兵隊から下士官へと出世させてくれた。久し振りに満足感に浸れた。その頃から同級生達は皆、大学受験の準備が始まり、ただでさえ日ごろからよく勉強しているのに、私から見るとまるで壊れたコンピューターのように、とどまる事なく机にしがみつき鉛筆をはしらせていた。放課後もまるでなにかに取りつかれたようにモクモクと勉強をしていた。



大学入学直後、クラスメートらと懇親会

その横で私はクラブ活動に精を出し、走ったりして体を動かした。キリマンジャロでは自分の弱さを思い知らされたので、体を鍛えなければと気合が入っていた。友達に「おまえ、大学行く気あるのか」と聞かれたが、「さあ、どうかな。良く分からないよ」とだけ答えた。分からないものは分からない。そう答えるのが精一杯だった。内心、本気で迷っていた。

 
 


ゼミの授業風景

キリマンジャロ登頂後、日本に一時帰国した際、渋谷で友人と待ち合わせしていたら、いかつい体格の人が突然声をかけてきた。「君、何しているの。時間あるの。君、体動かすの好きかい」と言って名刺をくれた。その名刺には「自衛隊募集案内所」とかかれてあり、そのまま近くの事務所に連れていかれた。その時、私は軍パンをはいていたせいか、しきりに自衛隊に入隊しないかと口説かれた。山が好きだと言ったら、「自衛隊に空挺部隊というのがあって、その中に空挺レンジャーがある。つまり特殊部隊で、山の中にこもって訓練を行うんだよ」と説明を受け、空挺部隊の訓練中のビデオを見せてくれた。

かっこよかった。男らしかった。渋谷を見ても、ちっとも男らしい男なんか歩いていない。軟弱な服装をしてヘラヘラ笑って、ただ歩いているだけだ。やたらと群れを作り、どうでもいいような話をして「本当!ウッソー、まじかよー」とか言っているのを見ていると、心底うんざりしたものだ。

自衛隊は私にはまぶしかった。私はその自衛隊の人に「空挺部隊の訓練を見学させてください」とお願いしていた。あまりにも突然に、しかも積極的にお願いしたものだから、その人はキョトンとした後、ビックリしていた。

翌週、習志野駐屯地に見学に行き、パラシュートの降下訓練や、射撃釧棟を見た。男達の顔は真剣であった。国のために青春をこの殺風景な訓練所で燃やしているのだなと迫力に圧倒された。「俺もここなら本気になれるぞ!」と思い、入隊試験を受けた。勿論、防衛大学校のようなエリートコ一スではなく、一般入隊コースであった。

すぐに合格通知をもらい、来年からは自衛官だと胸を張って英国に帰った。担任の先生にも自衛隊に行くと伝えた。先生は「もうちょっとゆっくり考えたほうがいい」と言っていたが、私の頭の中はすっかり空挺隊員であった。日の丸を見ると思わず敬礼をしたくなるのもこの頃からだ。

そんなある日、先生が「お前、大学に行け。可能性のある大学がある。亜細亜大学だ」「なんですか。聞いたことないですよ。しかも、なんでそのアジア・・大学なんですか」「一芸一能入試というのがあるんだ。勉強できなくてもいいらしいぞ。お前には山があるだろう。自衛隊は大学を出てからもチャンスはあるんだ。とりあえず、大学に行って、じっくりと自分の人生をどうするか考えろよ」

一芸一能入試、初めての響きであった。勉強できなくても大学に入れる。本当かなと思い、日本にいる兄に電話で相談した。世話好きな兄は、早速調べてくれ、受験案内のパアンフレットを送ってくれた。確かに、小論文と面接しかない。ただ、兄は「競争率はかなりのものがあるから簡単には考えるな」と言った。よくパンフレットを見ると、国際関係学部というのがある。大学に入ってなにを勉強したいという明確な目標がなかったので、いまいち大学受験に積極的にならなかったが、国際関係学部はまだ、私がしたい冒険活動に関連づけられそうだと思った。

確かに気持ちは完全に自衛隊にあったが、7大陸の最高峰にも登りたいと悩んではいた。自衛隊に入れば、恐らく7大陸の挑戦はできないだろう。先生が、大学を卒業してからでも自衛隊に入れるぞと言っていたのを思い出し、高校3年生の10月上旬、一芸一能で亜細亜大学を受験した。

 
 


衛藤学長に励まされる山岳部員

面接会場に入ると、大学の先生4名と受験生4名が向かい合い、端から順番に5分ほどで自己アピールをする。つまり自分を売り込むのである。私は一番最後であったから、ライバルたちの売り込みを聞いていたが、びっくりすることに皆、高校生レベルではトップクラスの実績をもっている。スキーの全国大会優勝だとか、三味線で活躍していたり、日本舞踊を本格的にやっていたりと色々な人がいたが、共通していたのが、皆表情に自信があることだった。高校時代ほとんど実績もない私は、あせったが開き直るしかなかった。

「私は、正直言って高校時代までの実績はありません。ただ大学に入学できましたら、7大陸最高峰を全て登頂いたします」と述べ、かなり具体的に何年何月にはこの大陸最高峰に挑戦し、何年何月までに全てに登ります、と大見栄をきってしまった。

数週間後、合格通知が届いた。7大陸最高峰に登ると公約しての大学合格であった。密かに7大陸最高峰登頂を夢見ていたが、ここで公約した事により、私の夢も公のものとなった。

92年3月、無事に立教英国学院を卒業し、4月から亜細亜大学国際関係学部に入学した。高校では力を出しきれなかった分、大学で大暴れするぞと心機一転であった。

入学式を終えた頃、亜細亜大学の衛藤瀋吉学長に、学長室に呼ばれた。緊張しながら訪れると、なにか書類に目を通しながら「いやー君、本当に成績悪いな。でも君には目標があるんだから、頑張れよ。大学は応援します。山に登ればちゃんと帰ってこなければいけないように、大学に入ったらしっかり卒業しないといけない。何年かかってもいいから卒業しなさい」とおっしゃった。一学生をわざわざ学長が気にかけてくれた事がなにより嬉しかった。まんざら大学生活も悪くなさそうだと思った。

 
 


コジウスコの中腹で。右後方が山頂

公約の実現のため、まずはオ一ストラリア大陸最高峰のコジウスコから攻めることにした。偶然、父がその時、オ一ストラリアのシド二一で総領事をやっている事もあり、大学一年目の夏休みに山岳部の同僚の長野守とコジウスコに向かった。9月はオ一ストラリアにとっては冬である。標高2230mといっても、ちゃんと雪はある。コジウスコはオーストラリアアルプス山脈にあり、シドニーとメルボルンの間にある。

シドニーでまずはキャンベラ行きの長距離バスに乗り、キャンベラからスキーでにぎわうクーマという町に入る。スキー板を持った人たちでごった返している横を、私と長野がピッケルを手に歩いていたら、ふっと皆の視線が気になった。確かにスキー場でピッケルに大きなリュックは珍しい。

何人かが「君たち、なにしに来たの」と不思議そうな顔をして尋ねてきた。そこで「オーストラリアー大陸最高峰のコジウスコに登りにきた」と答えると、しばらく反応がなく、ちょっと間をあけて「ああ、そうか。コジウスコはオーストラリア大陸の最高峰だったなあ。でもここはスキーをするところだよ。第一、ピッケルなんていらないよ。まあ、でも頑張ってね」と言われた。地元の人がこれだ。つまり、皆それほど、というより全くコジウスコがオーストラリア大陸最高峰ということになんの関心もない。

なにか,、納得できないような気がしたが、翌日その意味がよく分かった。9月17日、クーマの町からリフトでスキー上級者コースまで上がり、そこからモクモクと歩き出したら、3時間程で山頂についてしまった。しかも、あまりに平坦なため,しぱらくどこが山頂かさえ分からなかった程である。

しかし、大陸最高峰という事にはなんら変わりはない。あまりにもあっけなく登ってしまったが、これで3大陸の最高峰に登頂した。次は南米大陸最高峰のアコンカグアだ。できるだけ早く行こう。次の冬休みにしよう。まずは、一つ公約を実現した。まだまだ、これから。そう思うと、目標があり、挑戦できることの幸せに感謝せずにはいられなかった。

 

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