サラリと豪州大陸最高峰に登頂した私は、次なる目標を南米大陸最高峰のアコンカグアにした。アメリカで生まれてからヨーロッパ、アフリカ、アラブ等の国々を父と回ってきたが、南米大陸は行ったことがなかった。初めての大陸だと思うとドキドキした。
パートナーの秋山慎太郎は、私と同じく一芸一能入試で亜細亜大学に入学した。私が亜細亜大学の山岳部に入部した時、同期の彼も入部した。大学から一芸一能の生徒でもう一人、山で入った生徒がいる、と聞かされていたので、山岳部で会うのを楽しみにしていた。
私は秋山と初めて会うなりこう言った。「お前が秋山か。今年の秋にアコンに行こう」。アコンとは、アコンカグアの事である。初対面の秋山は、なにがなんの事か全く分らなかったらしい。それで思わず「分かりました。行きましょう」と私に答えていたと言う。

ゼミの同窓生とともに |
秋山の了解を得た私はさっそく、アコンカグアの事を調べ、計画書まで作成した。私が秋山に完成した計画書を持っていくと、「秋山新太郎」と隊員紹介の欄に自分の名前が入っている南米大陸最高峰アコンカグア遠征隊の概要にただただピッタリしていた。私はなぜ彼がビックリしているのか分らない。「どうしたの?」と聞くと「僕、アコンカグア行くの?いつからそうなったっけ!」という。
私は呆気にとられてしまい、「だって、初めて会ったとき、アコンに行こうな、って言ったじゃない」「アコンってアコンカグアの事だったのか!僕、なんの事かよく分らなかったんだよ」「でも、俺と一緒に行くんだろ。もう準備始めてるよ」といったような会話が続き、最後に秋山が同行する事となった。
私はこの経験から分った事がある。物事は何度か確認してから、始めて行動に移さなければいけない。私は今でもそうだが、早とちりする傾向が多々ある。気をつけなけれぱいけない。
1992年、私と秋山はアルゼンチンヘと向かった。永遠と続くアンデス山脈の上空を飛んでいるときは、あまりのスケールの大きさに心が弾んだ。絶対にアコンカグアをやってやるぞ。
ところが、機内で気が付いたら38度以上の高熱を出していた。そういえば、日本を立つ前になんとなく風邪っぽかった。秋山に風邪薬を貰ったが、全然きかない。ブエノスアイレスに着いてもフラフラで、アコンカグアヘの玄関口であるメンドサの町にやっとの思いでたどり着いた。数日間にわたる高熱でゲッソリしていた。
このメンドサには「民宿アコンカグア」という日系人経営の宿がある。増田さんという方がオーナだが、私は増田さんに医者を呼んでもらった。すぐに注射を打ち、解熱剤を飲み、熱を下げた。出発前に遠征の準備に追われていたのと、慣れない作業が続き疲れていたのが響いたのかもしれない。
この民宿アコンカグアには植村直己さんや長谷川恒男さんを始め、私が憧れている世界的な登山家や冒険家のサインや写真が飾ってあった。皆、この宿に泊まったのだ。私達もサインを書いて下さいとお願いされたが、どうしても大きく「野口健」とは書けず、端っこに小さく申し訳ない程度に私と秋山がサインを入れた。「いつか、堂々とど真中にでかでかとサインを書けるような人物になろうな」と秋山にいったら「お前、頑張れよ」という返事だった。
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