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七大陸最高峰~アコンカグア~(南アメリカ)

7大陸最高峰

1992/12/27

七大陸最高峰~アコンカグア~(南アメリカ)

 

サラリと豪州大陸最高峰に登頂した私は、次なる目標を南米大陸最高峰のアコンカグアにした。アメリカで生まれてからヨーロッパ、アフリカ、アラブ等の国々を父と回ってきたが、南米大陸は行ったことがなかった。初めての大陸だと思うとドキドキした。

パートナーの秋山慎太郎は、私と同じく一芸一能入試で亜細亜大学に入学した。私が亜細亜大学の山岳部に入部した時、同期の彼も入部した。大学から一芸一能の生徒でもう一人、山で入った生徒がいる、と聞かされていたので、山岳部で会うのを楽しみにしていた。

私は秋山と初めて会うなりこう言った。「お前が秋山か。今年の秋にアコンに行こう」。アコンとは、アコンカグアの事である。初対面の秋山は、なにがなんの事か全く分らなかったらしい。それで思わず「分かりました。行きましょう」と私に答えていたと言う。



ゼミの同窓生とともに

秋山の了解を得た私はさっそく、アコンカグアの事を調べ、計画書まで作成した。私が秋山に完成した計画書を持っていくと、「秋山新太郎」と隊員紹介の欄に自分の名前が入っている南米大陸最高峰アコンカグア遠征隊の概要にただただピッタリしていた。私はなぜ彼がビックリしているのか分らない。「どうしたの?」と聞くと「僕、アコンカグア行くの?いつからそうなったっけ!」という。

私は呆気にとられてしまい、「だって、初めて会ったとき、アコンに行こうな、って言ったじゃない」「アコンってアコンカグアの事だったのか!僕、なんの事かよく分らなかったんだよ」「でも、俺と一緒に行くんだろ。もう準備始めてるよ」といったような会話が続き、最後に秋山が同行する事となった。

私はこの経験から分った事がある。物事は何度か確認してから、始めて行動に移さなければいけない。私は今でもそうだが、早とちりする傾向が多々ある。気をつけなけれぱいけない。

1992年、私と秋山はアルゼンチンヘと向かった。永遠と続くアンデス山脈の上空を飛んでいるときは、あまりのスケールの大きさに心が弾んだ。絶対にアコンカグアをやってやるぞ。

ところが、機内で気が付いたら38度以上の高熱を出していた。そういえば、日本を立つ前になんとなく風邪っぽかった。秋山に風邪薬を貰ったが、全然きかない。ブエノスアイレスに着いてもフラフラで、アコンカグアヘの玄関口であるメンドサの町にやっとの思いでたどり着いた。数日間にわたる高熱でゲッソリしていた。

このメンドサには「民宿アコンカグア」という日系人経営の宿がある。増田さんという方がオーナだが、私は増田さんに医者を呼んでもらった。すぐに注射を打ち、解熱剤を飲み、熱を下げた。出発前に遠征の準備に追われていたのと、慣れない作業が続き疲れていたのが響いたのかもしれない。

この民宿アコンカグアには植村直己さんや長谷川恒男さんを始め、私が憧れている世界的な登山家や冒険家のサインや写真が飾ってあった。皆、この宿に泊まったのだ。私達もサインを書いて下さいとお願いされたが、どうしても大きく「野口健」とは書けず、端っこに小さく申し訳ない程度に私と秋山がサインを入れた。「いつか、堂々とど真中にでかでかとサインを書けるような人物になろうな」と秋山にいったら「お前、頑張れよ」という返事だった。

 
 


ベースキャンプ手前から見たアコンカグア山頂(左側がピーク)

メンドサからパスでチリ国境付近のプエンテデルインカまでバスで移動するが、このアンデスの高原地帯はどれだけの距離を走ってもパスからの景色が変わらない。地平線まで見えてしまう。日本のように絶えず視界に障害物があるわけでなし、ひたすらに広く雄大であった。

プエンテデルインカからは歩きでムーラというロバのような動物に荷物を乗せ、2日間かけて4200メートルのベースキャンプヘと向かう。このBCまでのルートも距離感がつかめない程に障害物がなく広い。目標を設定して歩けないので疲れる。

BCについて、今度は2人とも高山病で頭痛に苦しめられる。頭が内部から爆発するような痛さ。吐き気、下痢、発熱、生き地獄である。私はキリマンジャロを思いださずにはいられなかった。しかも、ここはまだBCだ。ここからが登山となるのにこの苦しみように私も秋山もすっかり自信を無くしていた。民宿アコンカグアでは「堂々とサインを出来るような人になるぞ」と気合いを入れていたのに、あまりにも呆気なく自信が吹き飛んでしまった。情けない...。

高山病の症状が治まり、BCから上部へと移動したが、ここはネパールと違ってシェルパがいない。荷物は全部自分で運ばなければいけない。5000~6000メートルで重い荷物を背負うのがこれ程まで辛いとは知らなかった。日本の山では40キロ近く運べるのが、20キロでお手上げであった。呼吸が整わず、足もなかなか動いてくれない。それでも2人でモクモクと荷揚げを繰り返した。

そんなある時、キャンプ1(5300メートル)のテントの中で寝ていたら、突然呼吸が苦しくなり、身動きがとれなくなった。動いたり呼吸すると肺が痛くてしかたがない。私は秋山に言った。「秋山、起きてくれ。俺、肺が痛いんだけど、どうしたらいいのかな」「うーん、もうちょっと休んでいたら...」と言って、また大きないぴきをかきながら寝てしまった。しようがない。1人でジッとしながら太陽が上がるのを待った。

午前5時30分、待ちに待った太陽がやっと顔を出した。もう1度、いぴきをかいている秋山を起こした。「秋山、やっぱりまだ肺が痛いんだよ。BCに降りたほうがいいよね」。だが、秋山は「うんうん。う~ん」とか言って完全に寝ぼけていた。

もう仕方なく1人で準備をしてBCへと向かって歩き始めた。ただ、呼吸をする度に肺が苦しく歩くに歩けない。なんとか、這うようにして1時間程歩いていたら、上部の方から転がるようにして降りてくる人がいる。よく見ると秋山だった。ビックリして彼を待つと「ごめん、ごめん。僕、寝ぼけていて...。本当にごめん」とひたすら謝ってくる。「いや、いいんだよ。俺平気だから」と言っても、彼はただただ申し訳なかったと繰り返した。

2人でなんとかBCまで下りた。フランス隊に医者がいたので診てもらったが、フランス語しか話せず、なにをいっているのかサッパリ分からない。どうやら、もう上にはいくな、といっているらしいが、どうして肺が痛むのか、まったく分からなかった。秋山を半分、強引に連れてきたのだ。自分に責任で遠征を失敗させるわけにはいかない。私は悩んだ。ちょうどその頃、クリスマスで、BCでは皆がワインやシャンパンで酔っていた。私もクヨクヨ悩んでもしょうがいと割り切り、この日ばかりは歩けなくなるほどアンデスのワインに酔った。

 
 


C2で撮影。高山病に悩まされた

色々と悩んだが、結局、医者に痛み止めをもらって山頂ヘアタックをかける事に決断した。医者にはもう上には行かないから、痛み止めをくださいとお願いし、翌早朝、秋山とBCを後にして上部を目指した。再び、呼吸困難になったらと不安はあったが、その時はその時である。

2日後、無事に最終キャンプ入りした。ここで再び高山病の症状が出てきて頭痛に苦しんだが、もう迷いはなかった。12月28日、午前4時過ぎ、ついに山頂へのアタックを決行した。猛烈に寒かったがチリのサンチャゴの夜景が美しかった。砂利のルートが続き足をとられて苦労したが、肺の痛みはない。それだけで十分であった。

秋山は日頃からまめにトレーニングに励んでおり、私より体力があった。秋山の後ろ姿を一生懸命追いながら歩く。何時間かかっただろうか。秋山の足がピタリと止まった。疲れていた私は、秋山の背中しか見ていなかった。秋山は「野口、先に行けよ」という。どうしたのかな、とふと前をのぞいたら、なんと目の前が山頂であった。信じられなかった。

「秋山、お前が先にいけよ」。そう言うのが精一杯であった。それだけ私は疲れていた。それでも秋山は「いいから野口が先に行け」と言って動かない。秋山の気持ちに感謝して先に頂上を足の下にした。続いて秋山が頂上に到達した。「野口、おめでとう。7大陸頑張れよ」秋山の言葉に思わず涙がでそうになったが、「まあ~程々にやりますよ」とだけ答えた。

強引に連れてきた秋山に、私はすっかりと助けられてしまった。アコンカグアに成功したことも大きいが、それ以上に秋山との絆のほうが大きかった。アコンカグアは私に友情や絆を与えてくれた。

 

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