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「モラル」だけの問題?

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2002/11/17

「モラル」だけの問題?

東京の千代田区が、歩きタバコや吸いガラ、空き缶などのポイ捨てなどを禁止する
「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」
を10月1日より開始した。歩きタバコを条例により禁止し、違反者は2万円以下の罰金。この前代未聞の「歩きタバコ禁止条例」はマスコミでも大きくその是非が取り上げられた。
しかし、テレビ報道で千代田区の職員が歩きタバコをしている人に対して
「条例で禁じられています。ご存知ですか?」
と違反者に声をかけているのだが、驚いたことにその違反者達が
「なんの権利があるんだ!」
「つまり千代田区に来るなってこと!だってそうでしょ!タバコ吸う人の権利はどうなるの!人権は!」
などと反論された際に見せた、あの職員達のおどおどとした表情がなんとも情けなく、そこからは町をきれいにしたいといった熱意や説得力など微塵も感じられず、愕然とさせられた。

 そして、それらの模様を報道したテレビ番組に出演しているコメンテータなのか、評論家なのかよく分からない方々が
「規則というよりも、まあ~モラルの問題ですね」
と一言で片付けてしまい、歩きタバコやポス捨てされてきた現状に対する具体的な解決方法にはなんら触れず、結局は「モラル」という理想論で幕を閉じてしまったのには呆れてしまった。

 この「モラル」という便利な言葉はよく環境問題などを論じる際に使われてきているが、えてして問題解決に積極的でない方々の口からよく発言される傾向がある。この「モラル」というものはあくまでも各自の心構えであって、社会のルールを「モラル」のみに頼ってしまっていいのだろうか。

 そもそも「モラル」とはなにか?当たり前の事をした人が絶賛される日本社会で、「モラル」についてろくに語られずして、何故いとも簡単に「モラル」の問題として片付けられてしまうのだろうか・・・。極論かもしれないが、人殺しだって当然モラルに反するわけで、しかし、いつの時代も人を殺すという犯罪は繰り返されてきたわけでしょ・・・。
 しかし、そんな日本も変わりつつある。80年代に橋本元総理が尾瀬の入園料(入山料)を当時の環境庁と提案したがマスコミや地元の猛反発に実現されなかった。環境省のお役人が20年以上前の新聞記事を私に見せてくれた。そこには
「野鳥見るのにもお金!」
「国がそこまで管理する権限があるのか!」
といった
「自然は無料」
という発想がまかり通っていた時代を象徴している記事であったが、時代は変わりつつある。

 例えば石原都政の
「デイーゼル車NO作戦」
だ。産業界や政界からの圧力を跳ね返えし、全国で初めてディーゼル車の使用制限を条例化した。
「規制の実効性を確定するためには罰則などペナルティーが必要」
と、公害防止条例に罰則規定を盛り込んだ。歴代の都政のテーマであったディーゼル問題。しかし、規制を条例化する腕力がなかったと共に時代の変化も加勢したのだろう。

 そもそも被告でもある都知事が「東京大気汚染訴訟」について「都の行政責任はある」と自己責任を認めてしまうんだから、事態は深刻なのだろう。そしてついに都政は「京都議定書」のCO2削減義務に関して、国に先駆けて「CO2の排出削減条例」を環境確保条例に盛り込み、数値目標の設定や罰則を検討すると表明した。

 環境と開発の狭間で問題の解決が複雑化し後回しされてきた環境保護対策だが、地球の資源は無限ではなく、有限だ。確かに「モラル」の意識改革も行わわれなければならない。その中に学校教育の中や家庭内での環境教育も含まれるのだろうが、しかし、「モラル」は文化だ。育つには時間を必要とする。その間に失われてしまうものがあまりにも大きすぎる。そのために社会のルールがあり、縛りがあり、時には不自由かもしれないけれど、各自が責任を果たさなければならない使命がある。「モラル」だけで世の中の秩序が保たれればいいのだが・・・。
「そんな時代がやってこないかな~」
と、指を加えながらノンキに構えている時間はもはやない。

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