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カトマンズの外出禁止令からの気づき

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2004/09/02

カトマンズの外出禁止令からの気づき







「カトマンズは外出禁止令になっています。危険な状況ですので、入国しないで、このままこのフライトでバンコクに戻ることをお勧めします」といったようなアナウンスがネパールのトリブバン空港に着陸したとたんに機内で流された。日本からバンコクで乗り継ぎネパール入りしたのだが、いきなりの外出禁止令に空港からカトマンズ市内に向かうことも出来ず、空港のすぐ横にあるホテルに泊まるのだが、市内の方に目をやるとあちらこちらで黒い煙が立ち上がっていた。
 車が燃やされ、オフィスビルが焼き討ちされ燃えたタイヤが道路を塞いでいた。マオイスト(共産ゲリラ)の襲撃かなと思いきや、先日イラクに出稼ぎに出かけていたネパール人12人がイスラムゲリラに殺害されたことに対する国民の怒りが暴動に発展したとのこと。カトマンズのモスクには怒り狂った群集が投石し、また殺害された12人をイラクに派遣した人材派遣会社が焼き討ちされた。どうやらイラク行きを知らされないままこの12人はイラクに派遣されたようだ。殺害される直前に人質となったネパール人達が「会社に騙された。イラクに派遣されるとは知らなかった」と発言していたのがネパールのテレビで紹介されたそうな。
 多くのネパール人がアラブの湾岸諸国に出稼ぎ労働者として雇用されている。人材派遣会社が彼らのエージェントであり、手数料を支払って海外での仕事を探してもらうのだ。国民の怒りの矛先は12人を派遣したエージェントのみならず今回の事件とはまったく無関係のカトマンズに200以上あるとされる人材派遣会社にまで及んだ。事務所は破壊されパソコンなど事務所内にあったものは路上で燃やされた。そして軍が出動し、外出禁止令にまで発展するのだが、日ごろのうっぷんをただ晴らすかのように暴れる民衆の集団心理の恐ろしさを見せ付けられた。
 ネパールは事あるたびに暴動が起きる。何年前だったか、インドの俳優がネパールに訪れインドに帰国後、「ネパールは酷い所だった」と発言したら、その発言に怒った群集がインド大使館に投石し、軍がその民衆に発砲し何人かが犠牲になった。私もその時カトマンズ市内のホテルに閉じ込められたが細粒ガスで涙が止まらなかった。
 また、2001年に2ヶ月間にも及んだチョモランマ清掃活動を終え、やっと帰国できると喜んでいたら、政府に対するデモから暴動と発展し、やはり2日間ホテルに閉じ込められ最後は武装した兵士に護衛されながら飛行場に向かった。その翌日に王妃、そしてその家族が暗殺され、それ以後はネパールの混乱がさらに悪化していく。今時、共産主義を掲げるのも時代錯誤だが、ネパールでは毛沢東を崇拝した(?)共産ゲリラがテロ活動を繰り返し時に内戦状態に陥る。カトマンズの市長選も行えず未だに市長不在なのだ。
 私が始めてネパールに訪れた時(92年)の印象は「随分と平和な場所だなぁ」だったが98年ごろから訪れるたびにデモ隊と軍の衝突に遭遇するようになり、その頃から町を行き交う人々の表情がなんとなく険しくなっていくのを感じた。
 デモというのは一つの国民の意思表示として完全に否定されるものではない。しかし、安易に行うものではないはず。ただでさえマオイストのテロ活動で観光客が激減しているネパールで、これ以上混乱をきたせば経済的な打撃はもはや取り返しがつかないだろう。
 そして国内では雇用のチャンスに恵まれない多くのネパール人がこれからも海外へ出稼ぎ労働者として職を求めていくのだろうし、その出稼ぎ労働者が持ち帰る外貨はネパールの経済の一部を支えているにも関わらず多くの人材派遣会社を焼き払ってしまうのには理解に苦しむ。国民から愛されていた王妃の暗殺事件から階段を転げ落ちていくように暗いニュースや出来事が続くネパールの状況のなかで、いかに国民が団結してこのピンチを抜け出すのか、そこに集中しエネルギーを費やすべき。
 そしてイスラムゲリラによる12人への野蛮な殺害行為は犯罪でありテロ行為だ。この事件をきっかけにネパールが混乱すれば、それそこテロリスト達の思惑にはまってしまう。彼らにとっては大成功となり、第二、第三の誘拐、殺害行為が行われる。フィリピン人が人質となった事でフィリピン政府はテロリストの要求に応えてイラクから軍隊を撤退したが、それならば最初から派遣などしなければよかったわけで、派遣するのならば、あらゆるリスクを想定して決定しなければならない。そう簡単にふらついてはいけない。テロリストにはいつでも毅然と立ち向かうのが国家の責任ではなかろうか。

「アッラーアクバル」(神は偉大なり)と神の名の下に繰り返される卑怯で卑劣なイスラム教徒による殺戮行為は実に野蛮であり、いやはや大変な宗教なのだと、以前日本でも筑波大学の教授が首を切られて殺害された事件や、エジプトで日本人の旅行者が多数殺害された事件を思い起こしながら思ってしまうものです。私も永くイスラムの世界に住んでいたからどこかでイスラム社会をかばいたくなるし、実際に全てのイスラム教徒が野蛮ではないのも知っている。
 しかし、これだけ軍人以外の民間人の人質を取引の材料にし、斬首という野蛮な方法で順々に殺害されていく戦争が過去にあっただろうかと、イスラム社会特有の現象に思えてしまうのはあくまでも個人的な意見だが、おそらく私一人だけじゃないだろう。まして政治的にまったく関わりのないネパール人の出稼ぎ労働者までも皆殺しにしてしまう彼らがいくら正義を訴えたところでなんら意味をもたない。決して許されない行為だ。

 外出禁止令のためカトマンズのホテルで缶詰にされ、せっかく日本から解放されてヒマラヤの玄関口までやって来たのに身動きが取れず、なんとも歯がゆく、またテロ活動や戦争、また日々私が格闘している樹海の不法投棄問題も含めて考えていくと、人間は自らを滅ぼそうと必死になっているのかのように映る。地球上のあらゆる生き物の中で自虐的な一面をもつ生き物はおそらく人間だけだろう。この厄介な癖と付き合っていきながらも人間社会が進むべき方向へ舵取りを間違えてはならないのだ。これは至難の業だろう。政治家だけの責任ではない。

 私が大切にしていきたいのは、日本から離れた地での出来事に対しても他人事として受け取らないということだ。例えばネパール人の尊い命が12人も奪われた今回の事件がもし日本人であったなら、日本社会はどうであっただろうか。運良く人質となった同胞は解放されたが、それで解決したわけじゃない。自己責任論が大きく騒がれ、結局よく理解されないまま終止符が打たれてしまったように感じる。発言になんら責任を負わない評論家がテレビで好きなように発言しているが、評論家などの人の意見ばかりに振り回されるよりも、自分が当事者ならばどうするか、また、自分が責任者ならばどうするのか、と真剣に考えたほうがいい。

 私はよく「自分が総理ならどのように決断するだろうか」と本気で何時間でも考え込むことがある。実際の総理でも政治家でもないくせに、その責任の重さに孤独感に襲われることさえある。しかし、その責任感の中から初めて見えてくるものもある。自分の頭でじっくり考えてこそ自分の意見に責任を持て、また物事の見方も多角的になりより深くなるもの。悲しくまた理不尽な出来事が多発する今日、諦めたらそれこそ最後だ。繰り返さない為には何をするべきか。理想論をいつまでも唱えるよりも、具体的な解決方法や打開策を模索するべきだろう。

 日本ではスケジュールに忙殺され人間でもっとも大切な「考える」時間と余裕がなくなってしまう。壮大なヒマラヤを目前に閉じ込められた狭いホテルの一室で人間社会の愚かさ、そして自分もその一員であることから逃れられない以上、どのように生きていくべきか、環境問題と重ね合わせながら考え込んでいた。これからヒマラヤ登山が始まるが自分と向き合う時間でもある。この一ヶ月間は僕にとってこれからを左右する大切な時間になるだろう。ヒマラヤでは自分について、人について、また社会についてじっくりと考えてきたい。



 

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