一年半ぶりのヒマラヤはモンスーンで毎日が雨。カトマンズの外出禁止令から脱出し、ヒマラヤの玄関口であるルクラ村行きのセスナ機に乗り込むものの、悪天候でカトマンズに引き返してしまった。翌日、2度目のトライで無事、ルクラ入りし、エベレストのBCへとつながっている街道をトレッキングし、高所順応トレーニングを行う。今回の目的は高所トレーニングであり、またヒマラヤに体を慣らすことだ。昨年のエベレスト清掃登山を終えてからヒマラヤから遠ざかっていた。不思議なもので最後の清掃活動を終えBCに戻ってきたときにはもうしばらくヒマラヤから離れたい気持ちだった。10年間で27回ものヒマラヤ遠征で正直体は疲れ果てていたし、またもうやるべき事はやったと充実感もあった。しかし、日本に帰国してから国内に活動に専念しているうちに、どうにもこうにもヒマラヤの空気が恋しくなっていくのが分かった。日本のあちらこちらに出かけ、また海外にも足を運んでみたものの、どうにもしっくりとこない。やはり、自分の居場所はヒマラヤだった。
 特にこの一年間の出来事は生涯忘れることがないと断言できてしまうほど、波乱に満ちていた。追い詰められもしたが、また、大きく前進した年でもあった。今思えばよくもここまで乗り越えられてきたなと心底思うのだが、その影では私と共に試練と戦い常に私を支えてくれた仲間がいた。小林元喜氏だが、今回のヒマラヤ遠征には彼にも参加してもらった。私にとってヒマラヤは原点。そのヒマラヤでこの一年間の出来事を振り返り、そしてこれから先の展開について彼と語り合いたかった。
 そしてなによりもアルピニストとしてまだやり残していることもある。2年前のシシャパンマの自滅はまるで昨日の出来事のように私の脳裏に焼きついている。そして97年の敗北も・・・。「もういいじゃないかと、俺は充分、頑張っているじゃないか」と何度自身に言い聞かせてみてもスッキリするものじゃない。魚の骨がいつまでも喉に突き刺さっているようでとても気持ちが悪い。かといって今すぐにでも再挑戦できるほど甘くはない。今までヒマラヤで培ってきた経験も、もはやその貯金はとっくに使い果たした。ろくにトレーニングもできないまま、それでもエベレストという高所で清掃活動を行うのは土台無理があったのだ。過去の貯金だけで通用する世界ではない。夢の続きを実現させるのならば、ゼロから体を作り治さなければならないのは自身が一番よく分かっている。シシャパンマを繰り返してはならない。今回のヒマラヤ遠征はアルピニストとしての野口健を取り戻したいという一心から決断した。
 それにしても、今回のようななんらしがらみのないヒマラヤはいつ以来だろうか。エベレスト清掃活動はどこかで使命感であったし、その前の7大陸最高峰へのチャレンジもいつからか義務感に追われ、またどうしても最年少記録を意識しなければならず、辛かった。
 もう記録は関係ない。ただただ自分が登りたいだけ。しっかりと過去にけじめをつけて前へ前へと進みたいだけ。こんな気持ちでヒマラヤと向き合える今、僕はとても幸せです。
 明日からロブチェピーク(6090m)とアイランドピーク(6165m)への挑戦が始まる。どちらも学生の頃、何度か登ったことのある山だが、山は変わらなくともあの頃の自分と今の自分では明らかに違う。ゼロからのスタート。日々を精一杯頑張りたい。



 

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