2006年マナスル清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

2006/05/17

隊員レポート:マナスルの頂から

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野口健マナスル清掃登山隊の登攀隊員として

 キャンプ1に隊員全員が順化で泊まっていた夜、狭い一つテントの中で頭をつき合わせて、残された登山期間での役割について改めて話しをしたことがあった。清掃隊と登攀隊の役割を明確にしよう、ということ。つまり、健さんが清掃隊長であり、私が登攀隊長であるということだ。それまで、私は健さんが頂上に向かわないことがあったら、一人で向かうなんていうことは考えられなかった。でも、この登山隊の仲間は健さんだけではなく、今まで共に清掃登山隊として活動してきたシェルパ達がいるのだった。そのシェルパ達も、清掃隊と登攀隊に分かれることになった。

 ここで気持ちが新たになった―――日本とネパールの国旗をマナスルの頂に掲げよう。

ベースキャンプ出発前に思ったこと

 何で私はこの山に登るのか。何のために。この山に登る意味は何だろう。

 何でもいいから登りたいっていうのは違う。この山の、この姿のときに、誰と、どういうスタイルで登るのかっていうのが重要なのだ。50年前、日本人が初めて登ったマナスルというこの美しい山の頂に、私も立ってみたい。8163mという私にとっては未知の高みに、辿り着いてみたい。ペンバドルジとカジという大好きな仲間と共に、あの高みに登り着いてみたい。彼らと一緒だからこそ登りたいし、彼らとなら登れる気がする。

 出発前にカメラマンの淳君から「アタックに対する不安を聞かせて」と言われたけれど、答えられるような不安はなかった。この山にやって来る前と、初めてこの山に出逢った時は不安だらけだったけれど、今は無い。いつものように、この山に徐々に近づいてきたって気がするから、自然に頂上へ向かう。

三人で絶対にあの頂に立とう

 高所順化とルート工作で、約7000mまで三人で行ったとき、このまま頂上へ行こう!なんて話になった。気持ちは高まったけれど、時期尚早だった。そして天気も次の日からしばらく崩れることとなった。逃げるようにベースキャンプへ下りる。その代わり、次は絶対に三人であの頂に立とうね、と約束する。

 更に、山麓のサマ村まで1000m高度を下げて二泊三日休養をし、再び三人でベースキャンプに戻ってきた。三人の気持ちは一つ、悪天の合間をついての速攻登頂だ。途中のキャンプを飛ばして、ベースキャンプ→キャンプ2→キャンプ4→登頂・キャンプ2へ下山、という考えで登るつもりだった。仲間の隊員や、他隊の友人らからは「そんなの無理だよ」「他隊と協力してルート工作したほうがいいよ」と散々アドバイスも頂いたけれど、結局、私たちは自分たちの考えを通すことにした。自分たちの登山なのだから。それから、これは野口隊長にも内緒だったのだけど、酸素ボンベは、天気が最高に良かったら三人とも使わない、天気が少しでも悪かったら三人とも使って速攻登頂をしようと決めていた。(健さん、ごめんなさい!)

 さて、ルートの状況は、このところ降り続いた大雪でキャンプ2から上は深雪となっていた。ラッセルに時間をとられ、私たちは予定より低いところに最終キャンプを作ることとなった。通常のキャンプ3と4のちょうど間ぐらいの、7250m地点。この先を見ると、巨大な氷塊が折り重なっている。うーむ、明日の朝はきっとこれを乗り越えていくのに悩まされるに違い無い。そして夜じゅうの強風。私たちは酸素を使うことにした。8000m峰は初めての私とカジは、この最終キャンプで酸素マスクの使い方をマスターして喜ぶ。食事は三人で一食分のアルファ米とお茶とツアンパ、それからスープ、スープ。食欲が無いわけではないけれど、三人とも高所ではあまり食べないようにしている。消化に酸素が奪われてしまうから。

 午前1時起床。しかし相変わらずの強風。カジが一生懸命お湯を作ってくれているのに、私とペンバドルジはまた寝てしまった。2時半、風がだいぶ収まって来たので出発準備に取り掛かる。結局、登りだしたのは4時頃で、東の空が白みかけていた。ヘッドランプの明かりで氷塊を登攀するのは予想通り時間がかかった。途中で氷付けのテントやスノーバー、古いロープを目にした。ようやく7時に、通常のキャンプ4、7400m地点まで辿り着く。ここからが頂上プラトーと呼ばれるところ。プラトーとは言っても、4つの大きな雪壁が待ち構えていて、その遥か彼方にマナスルの頂上が朝日に輝いていた。その頂の上を、まるで生き物のように雲の筋が越えていく。もうあの頂からは目を離さない。

 頂上プラトーに出てからは、ペンバドルジとカジはずっと私を先行させてくれた。彼ら曰く、マナスルは日本人の山だから、ケイが最初に頂上に立つべきだ、と。

 11時15分、一番高いところにいた。

 約束通り、三人で立った頂上。他には誰もいなかったし、風も無く、太陽の日差しだけが暑かった。いやいや、私たちの心も熱かった。日の丸の赤と、ネパール国旗の赤もヒマラヤの空に燃えた。

御礼

マナスル登頂に際して、多くの皆様にご協力ご声援を頂きましたことを御礼申し上げます。特に、野口健マナスル清掃隊の日本隊員、ネパール隊員(シェルパ)には多大なご指導とご協力、そして沢山の笑顔を頂きました。これからも共に歩んで行きたい大切な仲間を得られたことを誇りに思っております。

2006年5月17日 マナスル・ベースキャンプにて 谷口けい

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