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お母さん、ありがとう

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2006/12/21

お母さん、ありがとう

11月24日、母・容子が亡くなった。がんを宣告されてから闘病生活が続いていた。一時、歩けないほど症状が悪化したものの、つらいリハビリを必死にこなし階段を上れるようになった。担当医師もその驚異的な回復力は1000人に一人だろうと驚いた。亡くなる直前に緊急入院し薄れていく意識の中で「もう一度リハビリして元気になる」と話していた母。厳しい状況の中、最後まで諦めていなかった。

 16年前に父が亡くなった母と再婚した。それまでは父と息子二人のだらしない生活が続いていたが、母がファミリーに加わってから生活がガラリと一変した。夜更かししようが、父と朝食を頂くのが義務となった。小学生の頃に両親が離婚、それから父との二人生活が続いており、どこかで友達感覚になっていた。それを新しい母に「お父さんに向かって使う言葉遣いではない」とピシャリ叱られた。もらい放題だったお小遣いもいきなりなくなった。落ちこぼれて、荒れていた私を一から教育しなおしてくれた。

 父が外交官としてイエメンに駐在していた時、第一次の湾岸戦争が勃発。イエメンはイラクを支持しており、国連サイドを支援していた日本に対する感情が悪化していた。そんなある日、自宅の一階に手榴弾が投げ込まれ、一階の一部が爆破された。母は二階にいて助かったが、その事件をきっかけにイエメンに駐在している日本人は相次いで帰国した。父は母に「危ないから帰国しろ」と告げたが「あなた一人残して帰国できません。妻として外交官夫人として残ります」と父とともにイエメンに残った。

 エベレストに2度失敗し、3度目のエベレスト挑戦が始めた時に母からの手紙がベースキャンプに届いた。「無理しないでね」とでも書いてあるのかと思いきや「いつまでも登れないようではダメ。ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカです。決着をつけてきなさい」とバッサリと書いてあった。驚いたが母らしい応援に目が覚めた。

 厳しい母でしたが、いつでも本気でした。そして全てに筋が通っていた。私の母になってくれた事に心から感謝しています。私も母のように強く生きていきたい。お母さん、ありがとう。

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