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安部総理の退陣会見から感じた事

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2007/09/15

安部総理の退陣会見から感じた事

 明日から、いや今日からか、富士山の西湖にある富士山クラブの森の学校にて親子を対象にした環境学校が開催されます。親子を対象にした環境学校は今年で3年目。子ども達が親に伝えようとする姿が印象的でした。明日からどんなに二泊三日になるかな。楽しみです。晴れればいいなぁ~

 最近、う~ん、あの安部総理の退陣会見にう~ん、見ていて心が痛んだなぁ~。
以前より体調面に大丈夫かと心配していただけに、我々が想像していたよりもダメージが大きかったのでしょう。エベレストから帰国直後、参議院選挙を間じかにした頃だったか、一度官邸でお会いした事がありました。色々と噂され、確かに私自身決断を迫られていた時期であったように記憶していますが、私に手を差し伸べ握手をしてきた安部総理の表情がなんとも寂しげであった。美しい国を作りたいという安部総理の気持ちに嘘はなかったと思う。しかし、真面目で優しすぎたのかなぁ~。小泉さんのようにズバッと切る事ができない。そして一人ため込んで、結局、その背負いすぎが重くなりすぎてこのような結末を招いたのだろうか。一緒に美しい国を作ろうという総理の言葉に応える事ができなかった。私には私なりの決断があり、あの決断はけっして間違えていなかったと思いますが、どうであれ安部総理の悲痛な退陣会見は胸が痛んだ。

 よく「器じゃない」と表現される。「総理の器じゃない」、「横綱の器じゃない」、と。確かに器とは使いやすい言葉で安易に使われがちですが、人はそもそも「器」じゃない。これは綺麗ごとかもしれない。しかし、どうしても「器」と言う表現に違和感を感じてしまう。「器」ではなしに、人それぞれのキャパなのかもしれない。そしてそのキャパは大きくするのも小さくするのも一人で背負い込むものなのだろうか。うまく表現できないけれど、テレビで評論家達が安部総理に対して「総理の器じゃなかった」と言うけれど、そんな彼らがいざ自らの立場であの重圧を受ければ真っ先に潰れただろうに・・・。僕はよく自分ならどうなるかと、例えば自分が総理ならば、環境大臣ならば、とちょっと勘違い甚だしいがリアリティーを持って想像することがある。想像でしかないのに、それなにに、ひどく孤独になる自分に驚く。責任を背負って生きていくって事はとても孤独だ。安部総理は孤独だっただろうなぁ~と、自身の責任も痛感されているでしょう。しかし、アンラッキーだった要素も否定できない。

 いずれにせよ、人は「ああだこうだ」と責任の無いところでいとも簡単に批評するものですが、あれだけの責務を背負った人にしか分からない世界があるのだろうと、確かに批判も大切、しかし時には、国民と一緒になって前へ前へと進むことも時に必要じゃないかと感じる。応援したからにはそれなりの辛抱も必要。すぐに結果を求めては・・・。上手に気持ちを整理できないままブログを書いてしまいましたが、この数日、とても気が重たい。朝青龍の問題にしろ、なにかあると世間が一斉に責めてしまう。責める事だけが前進ではないだろうと、応援しながら、また世間が、国民がある意味育てながら一緒に成長していくのは論外なのだろうか。気持ちの整理が付かないままグタグタと書いてしまいました。それでは、富士山に行ってきます!

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