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大和ミュージアムに訪れて

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2007/10/28

大和ミュージアムに訪れて

 広島、大阪、名古屋と二泊三日の仕事を終え先程事務所に戻ってきました。昨日は(26日)は広島の呉市で行なわれた「日本保育協会全国大会」にて講演。日本保育協会は以前、橋本龍太郎さんが会長を務めていました。龍さんの仲間達に囲まれての講演会。嬉しかった。講演終了後は「大和ミュージアム」へ見学に訪れる。夕方には大阪に移動。関西テレビの「ムハハのタカジン」に出演(収録)。収録語、名古屋に移動。宿泊。 27日は聖霊中学・高校にて講演。19時から東京のフジテレビで「あっぱれさんま新教授」に出演(収録)。
講演会

ムハハ

さんま


 26日の広島県呉市での講演後、以前から訪れてみたかった呉市にある「大和ミュージアム」に行ってきた。呉は戦艦「大和」に代表される艦艇を数多く建造した東洋一の軍港でした。戦後は戦前から培われてきた技術が、新しい技術となって世界最大級のタンカーを数多く建造してきた。その呉に大和の技術、また大和の運命を通して平和の大切さをメッセージとした「大和ミュージアム」が2005年4月に開館した。展示の主役は製造費約2億円で製造された10分の一の「大和」。「ミュージアム冬の時代」といわれている昨今。当初の目的では一年目の動員数は40万人。ところがところが、実際に訪れたのは170万人(ちなみに同年、東京国立博物館の入場者は140万人)。翌年も120万人を超えた。地方都市の博物館でありながらこれだけ多くの人々が足を運ぶ、いや運ばせる「大和」の存在は日本人にとってなんなのだろうか、起工から4年でのべ300万人が動員されて造られた戦艦大和。そして驚くのが大和を造るのにかかった総予算である。1936年の艦政本部による試算によると一億3780万円。当時の国家予算(一般会計歳出)の6%。現在の国家予算で例えるとざっと4兆円以上。
大和1


 戦艦大和の最大の特徴は最大射程距離約42キロ。敵艦隊は40キロに届かなかった。したがって大和は敵艦の主砲が弾が届かない距離から一方的に打ち込むことができる「アウト・レンジ」戦法が最大の武器となった。しかし、時はすでに「大艦巨砲主義」から航空母艦の進化により機動部隊や航空部隊(艦上爆撃機・攻撃機)といった戦いの主役が戦艦から航空機へと移っていた、にも関わらず日本は国運を賭けて戦艦大和を造った。それは戦略としての作戦というよりも最後の武士道、日本人としての生き様を世界に示そうとしたためか。大和からの数少ない生存者である清水芳人さんは「戦艦大和は世界最大最強、これを造った日本国民の英知と気力。国難にあたり死を顧みずあたったのは、日本国民の凝縮した姿ではないだろうか」とおっしゃっている。私はこの大和ミュージアムでじっくりと「戦艦大和」を感じたかった。
大和2

大和4


 一昨年、映画「男たちの大和」を見て、感じる事が多かった。あの時感じた事は今年出版した「確かに生きる」の前書きに書かせて頂いた。死を前提に沖縄に水上特攻した「大和」。死を目前にした若い水兵さんたちが、何故に自分達は死ななければならないのか自問自答し、最後は国を助けるため、、また家族や愛する人たちを守る為に自分達は死に場所を与えられたと自身を納得させながら最後の航海にでるわけだが、私が印象的だったのが、長嶋一茂さんが演じ発した言葉だった。「お前達、ふるさとに向かって別れを告げろ。想いのたけを込めて叫べ、思いっきり泣け。それも死に方用意だ」。10代の若さで死を受け入れる作業はさぞかし無念であり孤独であっただろう。
 
 大和ミュージアムに特攻作戦に参加し戦死した臼渕大尉の遺言が紹介されていた。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるのか、今目覚めずしていつ救われるのか 俺たちはその先導になるのだ、日本の新生にさきがけて散る。さまに本望じゃないか」。この言葉は出撃していった全ての乗組員の思いではなかっただろうか。

また戦後に元海軍少佐、座好寺一好氏が残した言葉を紹介したい。
「海よ、語ってくれ
 若者が生命を捨てて
 守ろうとしたものが何であったかを
 海よ叫んでくれ
 今もなお海底深くから
己れの生命の価値を問い続け
 眠っているもののあることを」

この2つのメッセージから「残す側」と「残される側」の気持ちが伝わってくる。


 よく大和は「片道燃料」で最後沖縄に突撃したと一般的には言われていた。私もそうだと信じていた。しかし、大和ミュージアムで新たな事実を知った。確かに連合艦隊は大和への燃料補給を片道分の2000トン以内と指示していた。しかし、実際は往復分に足りる燃料が補給されていたとのこと。「生還の算少なしとは言え、燃料は片道分しか渡さないのは武士の人情にあらず」と補給業務担当が秘かに補給していたのある。悲劇の中にも人情の温かさがあった。
大和3


 私はあの大戦を正当化するつもりはない。しかし、愛する人を家族を、そして祖国を守りたい、そう信じて死んでいった先人達を攻める気持ちには到底なれない。責められるべきは戦争指導者であり、兵士達ではない。そして彼らの死を無駄にしてはいけない。戦艦大和の水平さん達以外にも、多くの先人たちが祖国日本の未来のために必死に生き、また命を落としてきた。今日の日本の繁栄は、先人方の血のにじむ努力と多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないと、改めて感じた一日でした。

さて、明日28日は富士山清掃活動!台風が無事に通過してくれるかな。今年も残り二回となった富士山清掃。頑張ってきます。それではお休みなさい!


PS・写真はクリックしたら大きくなります。「ムハハのたかじん(関西ローカル)」と「あっぱれさんま新教授」の放送日が決まり次第、野口健Hpにてお知らせします。

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