お久しぶりです。だいぶブログ更新に時間がかかりました。第1回アジア・太平洋水サミットが終わり一息入れようとしましたが、今日まで毎日が講演会。多い日には一日3本。ブログを書かなきゃと焦りながらもパソコンすら開く時間的また精神的な余裕がなかった。明日から再び講演会で地方巡業が始まります。乗り切らなければ。ただ12月25日からヒマラヤ遠征。あと一週間もすればネパールだ。それまれ最後の踏ん張りだ。 久々にガクッと落ちた。心が乾きました。いつまでも若いつもりでいたらダメだね。体は正直。あ~もう一息、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ!
「第1回アジア・太平洋水サミットを終えて」
ようやく第1回アジア・太平洋水サミットが開催。皇太子殿下、オランダのウィレム・アレキサンダー皇太子殿下、福田内閣総理大臣、森喜朗元総理(サミットの運営委員長)のご臨席のもと開会式が行なわれた。その式典を眺めながら一年前にNPO法人日本水フォーラムから「運営委員を引き受けて頂けないだろうか」とのお誘いを頂き、それならばセッションに「気候変動によるヒマラヤ地域の氷河の融解」を含めて頂けるのならばと引き受けた事を思い出していた。
水サミット会場にて講演
まず運営委員として私が考えたのは「生きたサミット」にしたい。環境問題をテーマにしたシンポジウムに参加してきたが、言葉のみが頭の上を飛び交いそこに現場の危機感などなかった。まるで地位ある方々の知恵比べ合戦のようで、我々、現場の人間との温度差を絶えず感じていた。ヒマラヤの氷河が急激に溶け出し洪水が多発しているヒマラヤ流域国。今も現場では決壊する可能性の高い氷河湖の麓で多くの人々が怯えながら過ごしていることを忘れてはいけない。私はこの水サミットに参加される方々とヒマラヤの人々の「体温」を可能な限り近づけたかった。その為に被害を受けているヒマラヤ流域国(ネパール・バングラディシュ・ブータン)を巡る旅が始まった。ネパールのコイララ首相、ブータンのドルジ首相などと会談を行い水サミットへの参加を呼びかけたのも現場の声を世界に訴えたかったからだ。
ドルジ首相と再会
しかし、サミットを終え記者会見を行なったが、会見後に記者から「野口さん、怒っていましたね」と言われてしまった。確かに私はプルプルと怒りを抑えるのに必死だった。言葉を選んだつもりだったがごまかせなかったようだ。私はこのサミット、いやせめて自分が関わっているセッションでは「生きたサミット」にしたかった。しかし、我々のセッションに割り当てられた時間は2時間。わざわざブータンから駆けつけてくださったブータンのドルジ首相に与えられた時間はたったの2分だった。このセッションに唯一参加の首相であるにも関わらず。運営委員としてドルジ首相のスピーチを懇願したが、受け入れて頂けなかった。
セッションにてスピーチ
せっかくヒマラヤ流域国の代表が集まり、気候変動の被害を世界に訴え、具体的な解決策を練ろうとしたのに、結局は儀礼的な挨拶ばかりに時間が割かれた。他の部会では海面上昇で国土が失われている南太平洋・ニウエのビビアン首相が「いつまで話し合いばかりしているんだ。毎年のように会議をしているのに、何も始まらない。私達には時間がない。今、必要なのはアクションだ!」と激高する一幕もあった。サミット後、私はビビアン首相と会談を行い、「諦めずに現場から訴えていきましょう!」と話し合った。
ニウエ・ビビアン首相と会談
私はもともと立派なせっかちだが、活動の中で現場の惨状を目の辺りにすればするほど、もっとせっかちに、また短気になる。ヒマラヤではこうしてサミットで話し合いが行なわれている最中にも氷河が溶け出している。このままでは2035年にヒマラヤの氷河は地球上から消滅するとも言われている。時間がないのである。
そしてなによりも残念でならなかったのが日本の外務省の対応であった。我々の部会への参加をお願いしたら「水サミットは外務省の案件ではない」と断られてしまった。確かに水サミットの日本側の窓口(主催)はNPO法人日本水フォーラムである。しかし、各国の元首級が日本に集まってサミットを開催するのに、外務省や政府が主催かどうかは大きな問題でないはず。そもそも開会式に福田首相が「洞爺湖サミットも気候変動が最大のテーマ。日本も気候変動に向けて精一杯取組みます」と意思表明されているにも関わらずお役所が「我々の案件じゃない」と言っても参加している各国関係者には通じるわけがないだろうに。それに一NPO法人がこれほど大規模な国際会議を実現させたのだから、これは凄いこと。行政側はもっと評価してもいいのでは。NPOの働きが1つのきっかけとなり行政、国が動く事は、けっして彼ら(行政)にとって恥じにはならないでしょう。私には無意味なプライド、また意地の張り合いにしか映らなかった。結局、セッションにおいて日本政府からの具体的な解決策は発せられなかった。
セッションの中で1つ救いであったのはインドのソズ水資源大臣が温室効果ガスの削減は先進国のみではなくインドも含め国を挙げて取組まなければならないと表明。1997年の京都会議では発展途上国側は温室効果ガス等の削減義務に反発が強かっただけに、ソズ大臣の言葉は一歩前進だった。
たかだか二日間のサミットで全ての案件が片付くわけもなく、確かに開いた小さな小さな穴を、どれだけ広げていけるのか。こうした国際会議もいいかもしれないが、私は気候変動によって融解し水災害を繰り返しているヒマラヤの現状をもっと世論に訴えていかなければならないと痛感させられた。世論を動かす事によって国を動かさないと。たかだか登山家の私がなにができるのか、限られた事かもしれない。しかし、例え火だるまになろうと諦めたくない。私の新たな挑戦が始まった。そして最後に日本水フォーラムのスタッフの方々は徹夜の連日、さぞかしご苦労が多かったはず。お疲れ様でした。少し休んでください。そして私のような素人にチャンスを与えてくださった事に心から感謝します。ありがとうございました。