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2008年冬ヒマラヤ , テレビ関連 , ネパール

暴徒と化すカトマンズを脱出!

2008年冬ヒマラヤ , テレビ関連 , ネパール

2008/01/26

暴徒と化すカトマンズを脱出!

 1月23日、テレビ出演のために帰国を一日早めた。しかし、22日からネパール各地で原油価格に対する国民の政府に対する抗議でもデモが行なわれた。確かにネパールでの原油価格は日本以上。1リットル(レギュラー)150~160円。ネパール人の平均月収が一万円にも満たないわけだから、この価格は非現実的な設定なのだろう。しかも、寒い冬だ。暖房には主に灯油ストーブが使われているが、これでは生活ができないと市民が悲鳴を上げるのも理解できる。

警察官と衝突1


 そして永年に渡り選挙すら行なわれていないネパール社会。昨年12月上旬に選挙が行なわれる予定であったが、結局延期。今年の4月に選挙が行なわれる事になったが、現地でマスコミ関係者に話しを伺うと、選挙を行なえば多くのマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の落選が予想されている。そもそもマオイスト党からは現在約80人の国会議員がいるわけだが、誰一人選挙を経験していない。つまり国民の審判を受けていないわけで、武力闘争によって議席を確保したといっても過言ではない。したがってマオイストの本音は選挙があっては困ると、選挙妨害を行なっているとの見方が多い。

 22日から行なわれたデモ隊は23日には暴徒と化し、走っている車があれば破壊また焼き討ちを行なう。朝から警官隊と衝突を繰り返し我々が泊まっていたマッラホテルの前では警官隊によって細粒ガス弾が打ち込まれ多くの人々が咳き込んでいた。
デモ隊が市内の道路のいたるところに火を放ったタイヤを転がし、一般車両は通行できないようになっていた。政府が外国人用に飛行場まで警官隊に護衛されたバスを出す事になっていたが、そのバスに外国人旅行者が殺到。まるでチキンレースのように
われ先とバスに乗り込もうとするのだが限界がある。そしてデモ隊からは外国人用のバスも投石などで破壊するぞ!との声も聞こえてきた。バスを諦めた私はリキシャー(三輪自転車)一台を貸切、荷物と自らが乗り込み裏道を通り飛行場を目指した。

 途中、何度もデモ隊と遭遇し、頭の上をレンガの塊がピューと投げ込まれた時にはゾッとした。群集はお店の看板などを破壊し、その看板を運び出し運んでいる若者集団に民衆がピューと口笛を吹きながら称える。称えられた暴徒と化した若者は手を振りながらまるでスター気取り。なんとも異様な光景でした。

警察官と衝突2

警察官と衝突3



 ネパールに訪れるたびに恒例となったデモ活動。デモ活動自体が悪いとは思わない。例えば日本でも昨年末にC型肝炎の国の責任を政治決着させろ!といったデモ隊が首相官邸前や国会議事堂前で繰り返され、世論に火をつけ、それに追い詰められた福田総理がついに重い腰をあげ決断するに至ったわけだが、あのデモとネパールのデモの質が全く異なるように感じられる。もし、彼女達が闇雲に破壊活動などを行なえば(日本ではありえないだろうが)国民の共感など受けなかっただろうし、あのような政治決着までたどり着かなかっただろう。デモのあり方が私にはとても誠実に、また計画的であったと受け取れたが、ネパールでは政府に対するデモがどこかのタイミングで商店街を襲ったり、また通行している一般車両に向かったり、時に外国人旅行者だったりと、コントロール不能になる。誰に対する抗議なのか、何故、時に関係のない一般市民にまで暴徒が向いてしまうのか、理解に苦しむ事が多い。それだけ、国民のあらゆる社会に対する不満がマグマのごとく、沸騰し爆発しているとも受け取れるのだが。

 いずれにせよ、このような暴動が繰り返されればただでさえ減少している外国人旅行者(2000年時の半数)のさらなる減少に歯止めがかからなくなるだろう。結果、ネパール社会に与える経済的ダメージは増す。悪循環の繰り返し。ネパールの先行きがとても心配になる。4月に無事に選挙が行なわれる事を切に願う。

 それにしても、飛行場までの逃避行は実に身の危険を感じ怖かった。自然相手の山登りよりも、人間社会のほうがよっぽど怖いという事か。ホテルから飛行場まで一時間以上かけてなんとか帰国してきました。それにしても無事でよかった。

 そして、すぐさま「朝まで生テレビ!」に出演。「現場の世界」から突然、「言葉の世界」に戻ってきて正直、戸惑ってしまった。「高所順応」ではなく「低所順応」が足りなかったかな。
朝まで生テレビ


 学者同士の議論が展開していくのだが、数値などの揚げ足取りに終始。議論になかなか加われなかった私の未熟さを痛感しつつ、またそれ以上に感じたのが世界の現場では自然災害によって多くの人々が亡くなり続けている現実、その危機感とのギャップであった。IPCC含めすでに永年にわたり多くの学者が気候変動による地球温暖化の影響を科学的な根拠に基づいて訴えてきた。もちろん、学者によっては様々な意見があるのも事実。しかし、100パーセントの科学的根拠が揃うのを待っていたら、温暖化に対する対応は間に合わなくなる。もうすでに「待ったなし!」の状況ではないか。求められるのは洞爺湖サミットなどでの政治的な決断ではないだろうか、と同時に国民一人ひとりの自覚ではないだろうか。

 そして「現場」の世界と「言葉」の世界をどのように近づけていくのか、テーマはそこにあったのかな?と反省させられながら事務所に戻りました。
 

 すでに朝刊が届いており、あ~もう朝になったのかと、明日から青森(マタギの工藤さんとのトークショ)、その翌日から西表(テレビロケ)とまた明日からいつもの日本での生活が始まるので、今日はゆっくりと疲れを癒そうと先程まで寝ていましたぁ。明日から、気持ちを切り替えて日本での生活、頑張ります。ヒマラヤ遠征中は野口健公式HPの「野口健メッセージ」にて原稿をアップしてきましたが、今日からブログを開始します。今年もどうか、よろしくお願いします!

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