マナスル基金 , 富士山清掃 , 私の進む道 , 遺骨調査・収集

2009/01/02

2009年 私の進む道

 新年明けましておめでとうございます。今年は久しぶりに日本で新年を迎えました。この世に誕生して35年。山に登り始めて20年。清掃活動を始めて10年。本当に色々な事がありました。

 さて、今年は青木ガ原樹海ゴミゼロ作戦5カ年計画の最後の年。昨年は富士山クラブに約7000人の参加者が集まり一緒に清掃活動を行った。おかげ様で富士山もだいぶ綺麗になってきました。10年前から始めた富士山清掃活動。もう五合目から上部のゴミはほとんど残っていない。上部に関しては完治宣言を出してもいいんじゃないかな。樹海も以前は不法投棄された粗大ゴミが至る所に溢れていましたが、最近ではゴミ拾いではなくゴミ堀。パッと見まわしてもゴミが見つからない。そこで埋められていそうな場所を捜し出し掘ってみるとやはり出てくる。悪質な不法投棄との闘いです。捨てる人がいるのならば拾い続けるしかない。私たち富士山クラブはゴミに負けない。今年は五ヵ年計画最後の年として、約束を守るためにも樹海のゴミと闘いたい。富士山で一緒にゴミを拾った参加者はみな私たちの仲間です。今年も多くの同志とまた一緒に富士山で汗を流したい。参加者の皆様には心の底から感謝しています。

 ヒマラヤの氷河湖決壊問題ですが、第1回アジア太平洋水サミットから環境大臣会合、洞爺湖サミットへと向け訴え続けてまいりましたが、残念ながら大きな進展はありません。特に水サミット後に具体的なアクションが起こらなかった事に落ち込んでいた私に対し父は

「たかだか一回のサミットで全てが解決するわけがないだろう!お前はシェルパの仲間たちを助けたいと思って訴えているんだろう。たかだか一回のサミットで動かなかったからと諦めるのならば最初からやらなければいいんだ。お前の気持はそんなものだったのか。富士山やエベレストでコツコツと積み重ねた結果、動いたじゃないか。氷河湖問題も同じだよ。同じようにコツコツと積み重ねなさい」

 と怒鳴られ目が覚めた。父の言葉は正しかった。私に次どのようなカードがきれるのか、またなにが出来るのか、新たな戦略を練りたい。

 そして遺骨調査ですが、こちらは大きな進展がありました。厚生省が我々、空援隊に対して御遺骨の事実上の持ち帰りを認めてくださったのだ。前回レイテ島で発見されながら日本に連れて帰れなかった御遺骨を3月中旬、再びレイテ島向かいお迎えにあがりたい。昨年から始めた御遺骨の調査。空援隊の倉田宇山(くらたうさん)氏との出会いは私の人生に大きな影響と衝撃を与えた。倉田さんから諦めなければ道は開けるということを学んだ。そして倉田さんの情熱、使命感、忍耐力、どれをとってもみても頭が下がる。灼熱地獄の洞窟の中、御遺骨を手にしながら、「野口さん、これが現実なんですよ。俺は彼らを日本に帰したい。それだけなんですよ」と涙ながら訴えていた倉田さんの姿は生涯忘れることはない。これからも倉田さんについて行きたい。


 マナスル基金ですが、マナスル峰山麓のサマ村の村人に学校を作ろうと約束をしてから約3年間。通信施設のないサマ村とのコンタクトは極めて困難であり、時に意思疎通にすれ違いが生じ、学校建設にたどり着くまでは長い道のりであった。しかし、村人に約束したことは果たさなければならないと、思うように進まないことが時に歯がゆくて、また悔しかったが、ようやくプロジェクトをスタートさせることが出来ました。ご寄付いただきました多くの皆様にも感謝しています。完成予定は2010年。まだまだホッとできる状況にはありませんが、それでもやっぱりホッとした。

 何事も口で言うのは簡単。しかし、言ったことを実現させる事はとても大変。自らが発言した課題に取り組む日々。そんなことの繰り返しでここまでやってきました。今年は年男。だから何?とっ言ってしまえば別になんてことはありませんが、ただよくここまで生き延びてこられたものだと幸運に感謝。人生生きていれば得るものもあります。また永く生きていればその分だけ失うものもあります。そのバランスがトントンならいいんですが。

 今年もいつも通り目の前の事を1つづつコツコツと確実に積み上げていきたい。そのコツコツの先に大きな変化がある。そう信じて今日のコツ、明日のコツです。それでは、ヒマラヤに行ってまいります。

2009年1月2日 野口健

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