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「言葉の重さ」 ~『万死に一生』著者・柳井乃武夫さんとの出会い~

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2009/09/03

「言葉の重さ」 ~『万死に一生』著者・柳井乃武夫さんとの出会い~

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『万死に一生』著者・柳井乃武夫さんと

 ヒマラヤ・マナスル峰から帰国し、間もなく二ヶ月。早くもあの生き死にの世界で、必死に生きていた生活が恋しい。ヒマラヤにいた時の方が、遥かに厳しい環境だったのに私にはヒマラヤでの生活の方が日本にいるときよりも楽なのか、肉体面は別として少なくとも精神的にはとても健康。ヒマラヤでの生活は確かに厳しいけれど、要はいかにその日を生き延びるか、日々を精一杯生きているだけで、実にシンプルだ。

 ヒマラヤには通信機材を持ち込んでいるので、日本の情報もそれなりに入ってくるが、タレントの誰々が公園で全裸になって逮捕されたとか、小沢代表が辞任したとか、まあ~ハッキリ言って、どうでもいいようなニュースばかりで、特にヒマラヤなんかにいますと、「日頃の情報がいかにもくだらないなぁ~」と感じる。

 最近ではどこかの県知事が「私を総裁候補としてお戦いになるお覚悟はありますか」とお恥ずかしい限りの勘違いに、日本中が振り回された。また自民党と民主党のやり合いも政策で争うものではなく、互いのスキャンダルを追及することに終始しており、これまたいかにも程度が低い。
 
 我々は日々どうでもいいような情報に振り回されている。しばらく日本にいるとそんな事にも気がつかなくなる。無意識の内に毒されているのかもしれないが、ヒマラヤでは余裕がないせいか、無意味な情報なんかに構っていられない。その分だけ精神的に健康になるのかもしれない。

 政治家も評論家も、コメンテーターも、キャスターもその多くが言葉の世界。抽象的で幼稚な表現かもしれないが、多くの人はカッコいい言葉を並べるもののけっして命を賭けようとしない。別に命を賭けることだけが尊いとは思わないが、言葉だけの世界はどうも苦手。故にヒマラヤの世界が恋しくなるのだろう。
 そんな時、ふとヒマラヤでの出来事を思い出していた。
 以前、太平洋戦争をテーマにした映画「硫黄島からの手紙」を鑑賞した。その中に、玉砕を前にした多くの将兵が、家族などに書き残した手紙を、米兵に見つからないように土に埋めるシーンがあった。一緒に見た友人は「手紙は相手に届かなければ意味がないのに。何で埋めたんだろう」と不思議がったが、私には、死を目前にした彼らが防空壕の中でロウソクの光の下、最後の言葉を書き綴った気持ちが痛いほど分かる。

 5年ほど前だったか、ヒマラヤ遠征での出来事。上部キャンプで悪天候に閉じ込められ身動きが取れなくなった。吹雪で飛ばされそうな小さなテントに一人閉じ込められ、「俺はここで死ぬのか」と覚悟を決めなければならなかった。ひしひしと近づいてくる死の世界。仲間に「書けるうちに遺書を書いた方がいい」と伝え、そして自分も手元にあった紙切れに、日本に残した家族やスタッフに向けた手紙を書こうとするのだが、いざ遺書を書き始めてみるとなかなか言葉がでてこない。これが最後のメッセージになるかと思えば思うほどに言葉が出てこないのだ。そして書き始めたら今度は止まらなくなった。すぐに紙がなくなり、気がついたらマットやテントに油性マジックで書き続けていた。あの時の心境は死に対する恐怖というよりも、どちらかといえば孤独に近いのかもしれない。死を受け入れる心の準備はいつでも孤独な作業だ。

 この言葉を自分で届けることができなくても、いずれ誰かが見つけて家族の元へ届けてくれるだろうと信じて。また手紙を書くことで、どこかで家族と繋がっているという安心感を味わうことができた。「硫黄島からの手紙」やヒマラヤでの経験は、人間は思いを人に伝えるために生きているということを教えてくれた。

 また、この経験がきっかけとなり、先の大戦で命を落とした日本兵のご遺骨収集を始めた。テントの中で死を感じながら「俺は、自分の意思でヒマラヤに来た。それでもたとえ亡骸になっても日本に帰りたい」と心の中で叫んでいる自分がいた。多くの兵士は赤紙一枚で戦地へと派兵された。出兵時にはお国のため、天皇陛下のためと盛大に見送られたであろうが、飢えや病、また孤立無援の中、捕虜になることを許されず、自決しなければならなかった兵士たち。徐々に死を迎えながら薄れる意識の中で一体、何を思ったのだろうか。死を目前にした兵士たちに果たして「天皇陛下バンザイ」はあったのだろうか。ヒマラヤの体験から私なりに感じたのは、兵士たちが最後に想いを馳せたのは国に残した母親や、また恋人や子どものことではなかったかということだった。

 いまだ多くのご遺骨がジャングルの中、野ざらしになっていると聞いたことがあった。ヒマラヤのテントの中に閉じ込められながら、もしここから無事に生還できたら、遺骨収集をせねばと心に誓っていた。

 マナスル峰から帰国してから嬉しい出会いがあった。私が遺骨収集を始めた頃に一冊の本を偶然にも本屋で手にした。『万死に一生』(徳間文庫刊)であるが、これは学徒出陣でフィリピン戦線に送り込まれ、部隊が玉砕しながらも、奇跡の生還を果たした柳井乃武夫さんが書かれた従軍記だ。その著書と出会う直前にレイテ島とポロ島(レイテ島の真横に位置する島)で遺骨調査活動を行っていたが、驚いたことに『万死に一生』の舞台がそのポロ島。柳井さんはポロ島から生還できたたった4名の兵士の中の一人であった。

 灼熱地獄のジャングルを彷徨い、見つけた洞窟の中に足を踏み入れて、ヘッドランプで真っ暗闇を照らしたら、あまりの光景に「あっ」と声を上げてしまった。足元は踏み場がないほど一面にご遺骨が散乱していたのだ。ご遺骨はなにも語ってくれない。私はご遺骨を手にしながら、ここで一体なにがあったのか、もっと知り、感じたかった。そのタイミングで『万死に一生』と出会った。

 そして、この本を手に、再びポロ島に戻った。本の中にある地図を見ながら、ここで部隊がこうなったんだとか、ひとつひとつ確認しながら、収集作業を行った。柳井さんの著書が、ご遺骨の変わりにそこで何が起こったのかを私たちに語ってくれた。

 その柳井さんと直接お会いできることになった。ポロ島で私が撮影したご遺骨の写真をお見せしながら、現場の様子をお話しさせて頂いた。柳井さんは「これほどご遺骨が残っているとは知らなかった。と言うのは遺骨を勝手にもって帰っちゃいけないという話しだったし、また厚労省の発表で遺骨収集は完了したといった話を聞いていたし。ですから、野口さんの活動で、初めてまだそんなに沢山あることを知ってビックリしました」と仰られた。そして、国のために亡くなった兵士のご遺骨115万体をいまだに放置している国の姿勢に対し、「情けないですね。日本人の全てが終戦と同時にすっかり変わっちゃった。日本兵の死体がどうであろうが、もうそんなことおかまいなしになった。悲しいことです。アメリカのアーリントン基地にいくと、あれだけ見事な形で、国に殉じた人たちに対し手厚くしています。ノルマンディーの海岸もそうですね。みんな、どこの国もやっていますよね」とも仰られた。

 またこんなお話もあった。
 「私たち日本兵はただ殺される為に派遣されました。日本では「戦死」という綺麗な言葉がある。戦いで死ぬこと。これは自動詞です。自分が死ぬわけだから。ところが英語では『Kill』。『Killed』ですよね。したがって英語では戦死者のことを『killed In Action』と言う。『Action』は作戦を意味しますから、『作戦によって殺された』となります。つまり殺されるという観念です。それが日本語に訳すると『戦死』になる。自らの意思で戦死を遂げたと。ある理想のもとに、自分で戦って自分で死ぬという自動詞に置き換えられている。そもそもそれがインチキです。無謀な作戦の中、武器もろくに持たされず敵陣にバンザイを叫びながら突撃を命令され、背いたりすれば敵前逃亡罪といわれ、軍法会議も開かれないままその場で即刻仲間たちが銃殺された。これはもう我々はKilled。殺されたんだと。自分の国に殺されなければならなかったこの戦争はなんだ!と思いました」と柳井さんの言葉は1つ1つがズシリと重たかった。

 私は柳井さんのお話を聞きながら、以前気になって調べた事を思い出していた。それは「終戦記念日」なる表現についてである。これでは勝ったのか、負けたのか分からない。「終戦記念日」という言葉で、戦争に負けた事実をごまかしてほしくない。何故ならばあの敗戦をまっすぐに受け止め、どのような根拠であのような無謀な作戦を遂行し、なぜ負けたのか、いやそもそも何のために戦争を始めたのかを、正しく理解するところから戦後日本の再生を始めなければならないのではないかと思うからだ。調べてみると、終戦時に陸相であった下村定が東久邇宮首相に「敗戦ではなく終戦にしてほしい」と注文をつけていたのだった。あれだけ国民を見殺しにしておきながら、結局は自分たちの保身でしかなかったのだ。

 もちろん私は、戦争を知らない世代だが、ヒマラヤの経験がこうして遺骨収集に繋がった。柳井さんとの別れ際、「野口さんのお気持ち、活動には感謝しているんです。ここに戦後初めて、戦死者の悔しい思いが次の日本のゼネレーションに伝わったと思います。戦後60年、ずっと胸につっかえていたわだかまりが、これでやっと抜けました。感謝しています。ありがとうございます」と私には十分すぎるほどのお言葉であった。柳井さんとは決して長くない対談であったが、柳井さんの思いは私にはしっかりと伝わっていた。それは決して言葉だけの世界ではなかった。

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