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2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 前編

2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

2011/06/26

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 前編

 10回を超える野口さんとの海外遠征の中で、私は初めて野口さんと一緒に山頂に向けてアタックをかけることができなかった。今回の遠征は撮影活動を中心にしながらも一歩後ろに下がって遠征を支えるサポート役も兼ねた立場に徹した。

太陽が稜線から顔を出す
太陽が稜線から顔を出す

 エベレストは、日本の山と違って許可なく登山をすることは禁止されている。野口さんはエベレストのパーミッション(登山の許可書の意)を取得し、私はローツェ(エベレストの隣にある高峰)のパーミッションを取得して頂いていた。従ってC3まではエベレスト、ローツェ共にベースキャンプから同じルート上にあるため物理的に撮影が可能であるが、

キャンプ4までは途中、サウスコル(キャンプ4)の道とローツェへの道が分かれているため、私は必然的にC3までの撮影であることは初めから了解していた。そのため野口さんの三度目のエベレスト登頂シーンは自ら撮影できないものと覚悟していた。それは遠征出発一か月前に私の子供が生まれたことへの野口さんなりの配慮であった。C3(7000メートル)までのリスクとそこから先の世界では比べものにならないほどの差があるのだ。

 そこで、私はベースキャンプに滞在中に私自身が担当しないキャンプ3から上部の撮影をシェルパのミンマさんにお願いすることに決めていた。ミンマさんは事情を理解し8000mの世界を撮影することに意欲を燃やしていた。

ミンマさんは24歳で二度のエベレスト登頂経験がありスピードや体力がある。周囲への気遣いもあり、何より電気関係(これがうとい人に撮影はお願いできない)に詳しいから余計に頼もしい。

アイスフォールのクレバスを渡る
アイスフォールのクレバスを渡る

クレバス
クレパス

 

 5月16日のキャンプ2の夜。私とミンマさんは野口さんも他のシェルパのみんなが寝静まった頃、ローツェやエベレストの周囲を素早く移動する雲を眺めていた。暗く静まりかえった周囲を月が光を放ちながらローツェの高峰を乗り越えて姿を現した。月の光が周囲の真っ白な山肌に反射していく。そこにテントの明かりがからまりあって、まるでおとぎの国のような世界へと変化していく。年に何度かは、現場にいることの幸せをかみしめる瞬間があるが、まさにその時であった。二人で夜のひとときを過ごしているとミンマさんが突然、「平賀、ヒマラヤはどこに落とし穴があるかわからないぞ」と言った。どういう意味だ、と問うと「かつてバブツェリンというシェルパの中でも最強と言われた男がいた。しかし、ここキャンプ2で撮影に夢中になり不幸にもクレバスに落ちて死んだ」と言うのだ。確かに何があるかわからないのは人生もヒマラヤも変わらない事実だ。明日からの上部活動、そしてアタック中も含めて何がおきてもおかしくない。私はミンマの言葉をきちんと胸に刻みこんだ。

c1を目指す2


c1を目指す
c1を目指す

C1を目指す3

 5月17日は朝から風が強く感じられたが、予定通りキャンプ3に出発した。野口さんは天気を心配しながらしきりに上部の雲の動きを確認しつつ一歩一歩かみしめるようにキャンプ3を目指した。この一歩が山頂につながっていることは確かだ。そう想いながら私は撮影を進めていった。

キャンプ3に到着すると我々のテントはもろくも風や雪にいたぶられ、いびつな状態になっていた。すぐにニマさんがテントの中をみてモノが盗まれていないかを確認した。たまに誰かに酸素ボンベや食料を盗まれることがあるためだ。さすがにこの壊れかけたテントに野口さんとニマさんの二人はきついだろうなと思っていると、たまたま居合わせたニマさんの友人シェルパが自分たちのテントを使わせてくれるということになった。困った時はお互いさまとは言うけれど、こういう極限の状況の時に第三者から手を差し伸べてもらえるということは心から感謝しなければならない。野口さんは丁寧にニマさんの友人シェルパに御礼を伝え、ありがたくテントを使わせてもらうことにした。

野口さんが一人、そのテントに入り作業を始めた頃、私は外にいなければいけなかった。厳密には、私はできるだけ早く準備の邪魔にならないように撮影を終えたら再びキャンプ2に戻らなければならないのだ。野口さんは明日からいよいよキャンプ3より上の世界へ。あと48時間ですべての結果がでるのだ。私自身もここからの現場を野口さんと共に共有したい。この先の世界をみたい。想いは複雑であったが、エベレストの南峰の方を見上げると我々を威圧するかのような雪煙が舞い上がっている現実をみると、急に自らが今、本当にやらなければならないこととは何かを考え始めた。今、自分ができること。今、自分自身がやらねばならないこと。それは早くキャンプ2に戻り、ベースキャンプマネージャーの小島君と無線を通じたコミュニケーションを図りアタックに備えることだ。

 私は野口さんのアタック前の最後のインタビュー撮影を終え、固い握手を交わした後、キャンプ2に戻る準備をした。そして最後に私は「野口さん、私の分までエベレスト、楽しんできてください!」と私の分の想いをすべて野口さんとシェルパに託した。


C1で不安そうに天気を伺う

C1で不安そうに天気を伺う

C2の夜
C2の夜


 キャンプ2に戻るとキッチンスタッフでチベット仏教に熱心なナワン・カルさんが数珠を片手にオンマニペメフンと唱えていた。キャンプ2では上部で撮影を担当するミンマさんを含めて5名のシェルパが残っていた。彼らは明日18日に一気にキャンプ2から3に上がり、そこから野口さんと合流して頂上を目指すという。

 夕方に小島君と無線交信を図り定期交信の時間を確認し、最新の天気予報の情報収集、日本サイドとのやりとりを含め何か問題がないか、情報交換した。小島君もBCマネージャーとして初めての経験だったこともあり、声がやや緊張しているようだ。この無線のやりとりをキャンプ3で聞いていた野口さんが入ってきて、さらに詳しい天気についてのやりとりを重ねていく。実際は、私自身も用もないことを口走っていた。何か明確な要件がなくても人間、追い詰められたりする時には無駄に用もないことを話したくなるものだ。

 

 午後六時を過ぎ、キッチンスタッフのカルさんの夕食の準備が終わる頃、一人の外人が訪ねてきた。年は60歳ぐらいだろうか。聞けば公募隊の隊長をしているというイギリス人だった。要件は何か、と聞くと君のところのシェルパに用事があるのだという。実は、そのイギリス人は以前に我々のシェルパでタムティンさんとミンマさんと共にヒマラヤ登山経験があったので頂上アタック前に別れと応援の言葉を伝えるために我々のテントに足を運んでくれたという。訪ねてきたイギリス人の存在に、シェルパのタムティンがすぐに気が付くと、バラサーブ(隊長)と言って二人は抱き合った。そのかつての隊長は、タムティンやミンマに対し熱く抱擁を交わした。気を付けて頂上を目指してくれと言った。その言葉に二人のシェルパは涙を流していた。ヒマラヤ登山は一人の力で頂きを目指せるほど簡単な事ではないのだ。シェルパと国境を越えた友情が結ばれてこそ、互いに高いパフォーマンスが発揮できるのだ。実際、隊員やシェルパが登頂したその後に祝福の言葉を伝えているケースがほとんどの中で、このイギリス人は出発する前に挨拶にきてくれたのである。これから、シェルパとて極めて危険な場所に行くわけでいつ死ぬかもわからぬ状況になるため、今、ここで感謝の気持ちを伝え合わなければいけないと思ったのではないだろうか。いずれにしてもこのイギリス人とシェルパの行動をみながら私は一人感動していたのだ。

c2からc3を目指す
c2からc3を目指す

 その後、夕食をすませると野口さんからの無線で明日の天気についての相談の無線が入る。このあたりの無線の内容は野口さんのブログ内の文章に詳しく掲載されているので割愛させて頂く。夜、昨日みた月明かりの世界をもう一度、体感したかったが、厚い雲とガスが視界を遮り一向に月がみえない。天気は果たしてこのまま持ってくれるのか。疑問と不安ばかりが募って自ら持参したウォークマンで心を鎮めようと電源を入れると、既に電池が切れていた。この小さな想定外が、大きな何かを予見させる。夜の寒いテントの中で、心を間際らせるアイテムは私にとってはウィスキーか音楽のみだが、どうやら用意できていないらしい。明日早朝2時起床のために私は無理やり頭のスィッチを切り、何にも考えないようにして明日を待った。

 

 午前3時。周囲に慌ただしくカラビナ同士がカチカチと高音で響きあう音がする。シェルパがハーネスをつけて準備をしているのだ。ミンマは、上部に撮影する小型機材を3機、その他バッテリー、テープ等を一式準備していた。

 暗闇の中、ヘッドランプだけを頼りに黙々と準備している姿をみると緊張感がどんどんましてくる。天気はどうだろうか。やや風があるように思える。雲に生命があるかの如くエベレスト上部で動き回っていた。三時半。野口さんから無線が入った。もちろんBCでは小島君も聞いている。一発目、天気が悪い、という声だった。雪が降りはじめてきているという。ここキャンプ2でもちらちらと雪が舞い始めてきていただけにキャンプ3の天候はそれ以上に悪いということかもしれなかった。キャンプ2にいるシェルパは天気の良し悪しに関係なくとりあえずキャンプ3を目指したいという。今日は多くの隊も登るだろうし問題ないはずだ、と意気込んでいるのだ。

一歩一歩前へ
一歩一歩前へ

C2~C3を目指す2
C2~C3を目指す

 野口さんはもう少し様子をみたいということだったが、とりあえずシェルパがキャンプ3に出発することを了解した。たしかに慎重に行きたいところだが、その後の天気が晴れるか、曇るか、雪が降るかは、今のところ誰にもわからないことなのだ。

 

 今日は、長い長い1日になる。1日だけではない。夜、アタックを開始するわけで、もしかしたら2日間、満足に眠れないこともあるだろう。

 アタックとは眠れないものだ、食べれないものだ、ということを教えてくれた登山の先輩が野口さんなのだ。今回はアタック中の状況をつかみ、できる対策をとることが自らの使命(一応、無線のやりとりを録音することも忘れてはいません)なのだ。

 残されたシェルパはキッチンのカルさんと他サポートシェルパの2名と私のみ。サーダーなるダワタシさんと小島君はベースキャンプに待機している。

 ひとまずキャンプ2からのシェルパと野口さんが合流し、なんらかの結論が出るだろう。進むか。待機か。あるいは、一度、キャンプ2に戻るか。いずれにしても一つを選びとって決断しなければらないのだ。この決断というやつが本当に難しいのだが・・・

写真撮影:平賀淳

<後編に続く>

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